夏目房之介1年以上前そうなんですよ。同じような同世代漫画青年は多かったと思いますよ。森田芳光なんかも、そうじゃないかな。単行本が出たからって、スクラップも捨てられずにいまだに持ってる方も何ですが、多くの人は捨てたんじゃないかな。こういう時代感の中でのことは、なかなか後の世代には伝わらないところかもしれません。マンバ通信大友克洋『THE COMPLETE WORKS1 銃声』講談社 2023年【夏目房之介のマンガ与太話 その21】8わかる
夏目房之介1年以上前>夏目先生は特に、百年後、二百年後の研究者に必要な史料、推論を残されようとしているのだとおもいます。 ありがとうございます。そこまで壮大ではないのですが、ここ十年くらいは、出会った若い研究者たちの疑問や最近の漫画だけで漫画を判断している読者の方々に、できるだけ答えられたらと思って書いています。しかし、思いのほか「自分の知っているはずの歴史」を通じるように書くのは難しく、また客観性を維持するために資料を参照したり、言説を引用するのも、なかなか困難だったりします。また、年齢的にそういう書き方と視点を持たざるをえないみたいですね。マンバ通信すがやみつる『コミカライズ魂』【夏目房之介のマンガ与太話 その15】
夏目房之介1年以上前楽天夫婦と一門の集合写真について、ツイッターで新美ぬゑ氏からご指摘いただきました。写真の女性たちは、時事漫画でやっていた漫画研究会から楽天画塾に参加した人たちではないか、とのことでした。結構女性がいたようで、「有名になった作家だと新漫画派集団で唯一の女性メンバーだった加藤(矢崎)武子がいます」とのことでした。ありがとうございます!マンバ通信漫画家はいつからいるのか?【夏目房之介のマンガ与太話7】5わかる
夏目房之介1年以上前いや僕だって似たことは思いつきますよ。だけど、実際頭の中で考えただけで、その分量の多さ、多様さに、普通はすぐ匙を投げるんだと思います。考えただけでくらくらする。マンバ通信南信長『漫画家の自画像』から【夏目房之介のマンガ与太話 その6】1わかる
夏目房之介1年以上前フェイスブック記事へのすがやみつるさんのコメントでは、水木先生はヨーグルトの瓶に染粉を入れてマンガ原稿に彩色してたそうです。漫画家はああいう形に弱いんでしょうか?マンバ通信南信長『漫画家の自画像』から【夏目房之介のマンガ与太話 その6】
夏目房之介1年以上前なるほど、そういう見方もありえますね。ただ、多くの場合突然尋ねちゃったりするんで、それがまだ許される時代だったともいえますね。迷惑な話ですが。 マンバ通信南信長『漫画家の自画像』から【夏目房之介のマンガ与太話 その6】3わかる
夏目房之介1年以上前夏目です。フェイスブックの告知に漫画編集者の佐藤敏章氏がコメントをくれました。 「佐藤 敏章 ざっくり言うと、さいとう・プロの「構成」は、ネームですね。ただ、このネームには、簡単な指示は書かれていますが、下絵が入っていません。シナリオを読んで、下絵を入れるのが「構図」です。映画で言うと、カメラマンの仕事でしょうか。」マンバ通信さいとう・たかをと分業制-2【夏目房之介のマンガ与太話 その5】8わかる
夏目房之介1年以上前個人の作家という概念が確立するのはほとんど19世紀の西洋みたいですね。ルネサンスはダ・ヴィンチにせよ誰にせよ工房が基本で、日本でものちに美術と見なされる工芸も絵もかつては工房制作です。それが明治維新以降西洋の美術概念を輸入することで個人の芸術家が美術を制作するという考え方に切り替わる。歴史的には親方と弟子の徒弟制工房がずっと基本でした。近代芸術観はここ二百年とかの話で、日本ではそれこそ明治維新以降の輸入概念なんだそうです。マンバ通信さいとう・たかをと分業制−1【夏目房之介のマンガ与太話 その4】1わかる
夏目房之介1年以上前名無しさん いやいや、谷口さんの原画のキレイさは尋常じゃないのです。色んな原画を見ましたが、あそこまで完成度の高い原画は少ない。そもそも鉛筆画のラフの時点で完成度が異常に高く、直しの跡が少ない。多分そこに至るまでに相当練ってきてるんでしょうが、何よりも原稿のタブロー的な完成度に拘りがあったんだと思います。手塚さんはもちろん、諸星さんもけっこう修正ホワイトやキリバリだらけだし、そっちがむしろ普通だはないかと。マンバ通信漫画家とアシスタント【夏目房之介のマンガ与太話 その3】2わかる