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わかる
第二部終了しましたね。いい意味で裏切られる展開でした。第三部開始が5月か・・・3ヶ月待ち遠しいです。 編集担当者さんのTwitterで知りましたが、単行本1巻が重版かかったようです。これで連載も安心して楽しめそう、よかった!

第二部終了しましたね。いい意味で裏切られる展開でした。第三部開始が5月か・・・3ヶ月待ち遠しいです。 編集担当者さんのTwitterで知りましたが、単行本1巻が重版かかったようです。これで連載も安心して楽しめそう、よかった!

@すみ

終わっちゃいましたね。おお重版!本当に良かった…!!渋すぎる表紙なので心配してました。

ふと思ったのですが、なんかこうやって部ごとに休載をはさみながらの連載って、ドラマやアニメの分割クールみたいですごく面白いですね。次があるとわかってるから待てます笑

休載ですること無かったので作中に登場した場所と移動ルートを地図にまとめてみました。抜けなどあれば教えて下さい。 『望郷太郎』の聖地巡礼マップhttps://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vgLd4LHQOAG_-MJXgTP9SvN5uf_WAeI8&hl=ja&usp=sharing

休載ですること無かったので作中に登場した場所と移動ルートを地図にまとめてみました。抜けなどあれば教えて下さい。 『望郷太郎』の聖地巡礼マップhttps://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vgLd4LHQOAG_-MJXgTP9SvN5uf_WAeI8&hl=ja&usp=sharing

@名無し太郎

あっさり別れを告げて1人旅をしようとした太郎。パルなしとか無理だろ…と思ったけど、もうざっくり5300kmくらい移動してきたんだな…そりゃ自信もつくか

あっさり別れを...

えっ、これ1巻の書影??
売れない演歌歌手のCDジャケットじゃなくて???

マンバ通信から気になって読んだ。めっちゃ面白かった。
物語のあらすじは「家出をした少年が宇宙人二匹とロケットで星を巡る話」と、少年心をくすぐるものだが、「金」や「死生観」などのテーマが強く「子供向けの雑誌で連載したのか、本当に⁉」と思うくらいのブラックユーモアが飛んできたりもする。そういう意味ではたしかに大人も楽しめる(大人のが楽しめるといっても良いかもしれない)
星々での出来事もワクワクさせてくれる話が多く、ジュラシックシックパートをSFに落とし込んだような話や、スターウォーズ1のレースを宇宙でやったような話、注文の多い料理店のパロディを活用した狼人間の暮らす星、寿命をとらなくなった娯楽に飢えた惑星など、羅列するだけで楽しくなるような設定が多い。そして、この出来事を支えてる中身の面白さが、その星で暮らす住人がそれぞれの倫理観をちゃんと持っていることである。つまり主人公と他星の住人とのコミュニケーションコミュニケーションの絶妙な取れてなさ具合がリアリティを担保しているのだ。いやぁ、面白い作品だった。もっと多くの人に読まれてほしい

毎週楽しみに読んでいます。「度胸星」以来のミステリアス感を味わっています。第二章も楽しみですね。 これまでの週刊モーニング12月発売時期を見ると、12月第1週が新年1号、第2週が2・3合併号、第4週が4・5合併号ということが多いです。 ということは、12月20日金曜発売のコミックス第1巻の帯に「この続きは現在発売中のモーニング2・3合併号ですぐ読める」or「来週発売の4・5合併号を待て」となりそうですね。

毎週楽しみに読んでいます。「度胸星」以来のミステリアス感を味わっています。第二章も楽しみですね。 これまでの週刊モーニング12月発売時期を見ると、12月第1週が新年1号、第2週が2・3合併号、第4週が4・5合併号ということが多いです。 ということは、12月20日金曜発売のコミックス第1巻の帯に「この続きは現在発売中のモーニング2・3合併号ですぐ読める」or「来週発売の4・5合併号を待て」となりそうですね。

@すみ

おお…!!ありがたい!1巻発売のタイミングで2章開始なんですね!もう本当に早く読みたくてしょうがないです。今日モーニングモーニング開いて望郷太郎望郷太郎載ってないのに気づいてショックでした

まず『望郷太郎望郷太郎』というタイトルからは望月峯太郎望月峯太郎の名前を思い起こさせずにはいられない。いまでは望月ミネタロウ望月ミネタロウとして活動している、あの望月峯太郎である。彼はやはり『ドラゴンヘッドドラゴンヘッド』を境に名前をあらためたのだと思う。次の連載作の『万祝』は望月峯太郎名義ではあるが、内実は峯太郎→ミネタロウへの過渡期、もしくはミネタロウ名義の作品と位置づけられると思われる。というのは『ドラゴンヘッド』を境にして、動的で黒いコマ作りが、静的で白いコマ作りに変貌しているからである。これはマンガ家としての作家性を追求するための"閉じた"姿勢であると思う。逆にいえば、それ以前の望月峯太郎は"開いて"いた。開いて世間の荒波に揉まれる方向から、閉じて自らの作家性を研磨する方向へシフトしたともいえるかもしれない。

ところで『ドラゴンヘッド』をはじめ、あるいは岡崎京子岡崎京子の『リバーズ・エッジリバーズ・エッジ』や『ヘルタースケルターヘルタースケルター』、新井英樹新井英樹の『真説 ザ・ワールド・イズ・マインザ・ワールド・イズ・マイン』など、90年代~2000年代初頭のある種のマンガには、いわゆる世紀末感というか、何かが崩壊してゆく感覚、良くも悪くもそういうような時代的なスペクタクルがあった。あの時代からもうすぐ20年が経ち、来年には、なんとも荒唐無稽なことに、大友克洋大友克洋の霊感まったくその通りに東京オリンピックが開催されることとなったが、辺りを見渡せば、大友が描いた雑多でゴタゴタしたサイバーパンク感あふれる近未来はどこにもなく、奇妙なまでに画一的でのっぺりとした嘘明るい光景は、本来のミニマリズムが追求する引き算的な美学における完成度の高さとはまるで無縁の心身共の貧しさからくる単なる経費削減であるし、おもてなしの心を履き違えてボランティアでオリンピックを運営しようなどと寝言をいう。ようするに世界の崩壊などは起こらずに、ただずるずると地盤だけが沈下してゆき、見てくれだけはどうにかそれっぽく体裁をととのえながらも、ただ確実に豊かさは随所から消え去っている。いっそのこと世紀末に世界を崩壊させて仕切り直したほうが良かったのではと思うほど、当時からすでに黄昏といわれていたのが、いつまでも沈みきらない夏の夕日のようにいまだ延命を続けている。あの時代には崩壊させるに足る世界がまだあった。しかし、いまではそんな舞台さえ、なにもなくなってしまった。無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、無駄を省いていたら、ほんとうになにもなくなってしまったのである。いまや望月ミネタロウのように独自の作家性を発揮する高踏派のマンガ家も安心とはいえないのではないだろうか、何しろ地盤の沈下がいちじるしい。マンガも所詮はいち産業なので、地盤がどこまでも沈下してゆけば、独自の作家性もいつしか個人の趣味と見分けがつかなくなろう。

いま、山田芳裕山田芳裕の『望郷太郎』は、この"なにもない"ところから新たなはじめの一歩一歩を踏み出そうとしている稀有なマンガであると思う。キャリアを重ねて閉じてゆく作家が多いなかであえて開いてみせた山田芳裕の冒険者的な勇気に敬礼を捧げたい。マンガ表現の限界を探求する閉じた作家が重要ないっぽうで、また彼らは開いた作家によってもその地盤を支えられているのである。