カワセミさんの釣りごはん

料理好き人見知りJK×釣り好きヤンキーJK、ボツから蘇ったガールミーツガール

カワセミさんの釣りごはん 匡乃下キヨマサ
sogor25
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親の仕事の関係で東京から福岡の田舎に転校してきた女子高生・白梨翡翠(やまなし カワセミ)。料理好きな彼女だけど、持ち前の人見知り能力を遺憾なく発揮して調理部の門を叩くことすらできず、転校初日からぼっち生活まっしぐら。そんな中、見た目どう見ても田舎ヤンキーな同級生女子・魚取魚鷹(うおとり ミサゴ)に声を掛けられ、「ちょっと付き合え」と半ば強引に拉致られて連れてこられたのは山の中。死を覚悟したカワセミだったが、ミサゴが取り出したのはただの釣り竿。ということで、料理好き人見知り女子と釣り好き田舎ヤンキー女子とのガールミーツガール(?)から始まる作品。 ヤンキーっぽい雰囲気のミサゴが釣りに対してめちゃくちゃ詳しいというギャップもいいけど、人見知りだけど初めて体験する釣りに新鮮なリアクションを見せたり料理のことになると豹変するカワセミの一挙手一投足が面白くて、コメディとしてだけでもずっと読んでいられる作品です。 また、キャラの造形だけではなく、釣り上げた魚や料理、水面や風景まで、細かい部分の作画を丁寧に描いているのも注目すべき点の1つ。さらに福岡が舞台であることによる方言女子の要素や、ミサゴの家族から勝手に認定された公式百合要素まで、楽しそうな要素がたくさん詰まっていいます。 ちなみにこの作品、双葉社による"プロのための「セカンドオピニオン」"という企画によって連載にまで至った作品。この作品が一度でも企画が通らずボツになりかけたというだけでも驚きですが、それを見事に拾って頂いた双葉社と連載に至ってもこれだけ面白い作品を描き続けて頂いてる匡乃下キヨマサさんには感謝しかありません。 1巻まで読了。

南回帰船

伝説として

南回帰船 たなか亜希夫 中上健次
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し

中上健次は、戦後文学界に突出した小説家である。 漱石や鴎外、谷崎や三島に比肩するほどの、我らが時代の作家だ。 その中上が、漫画原作のためオリジナルに作品を書き下ろす。描き手は『迷走王 ボーダー』(原作:狩撫麻礼)のたなか亜希夫…このニュースに触れた時、心が震えた。「真正の小説家が、本気で漫画に立ち向かうのか。遂に漫画は“そこ”まで来たのか」と。 結果は、拍子抜けするような失敗であった。 だが、これ以降現在に至るまで、中上健次のような才能が、真っ向から「漫画」に挑んだことはない。 その意味で、本作は「伝説の失敗作」である。 作品内に乱反射するテーマを見れば、中上が本気であったことは間違いない。たなかも渾身の仕事で応えている。 しかし、マイク・タイソンまで繰り出したその「漫画」は、まるでこれまで存在した劇画のパロディのように上滑りした印象のまま、未完に終わった。 たなか亜希夫であるなら、盟友・狩撫麻礼との諸作は当然として、石井隆と組んだ『人が人を愛することのどうしようもなさ』や、ヒット作『軍鶏』(原作:橋本以蔵)のほうが、明らかにそのマリアージュは成功している。 なぜ中上健次ほどの巨大な才能がこんなにも不格好な空振りをしたのかを考えるのは、興味深い比較文学論になりえるだろう。 とにかく、これだけははっきり言える。 「漫画は“そこ”をとうに超えてしまっていたのだ」と。 アクション・コミックス版『南回帰船』1巻のあとがきに、中上は書いている。 “「南回帰船」はオデッセウスのように自己発見の旅に出るその少年の叙事詩である” 刊行当時、自分はこの一節を読んで、「おお、これは狩撫麻礼×谷口ジロー『LIVE!オデッセイ』へのオマージュ、あるいは挑戦なんだな」と思った。狩撫とのコンビで有名なたなかと組んで、「オデッセウス」とか「自己発見の旅」というなら、当然そうなんだろう、と…。 だが、それは間違っていたようだ。 中上健次は、たぶん『LIVE!オデッセイ』を知らなかったのだろう。 惜しい。 もう少し中上が、自らが挑むジャンルへの知識と執着を持っていれば、結果は違っていたかもしれなかったのに。 フォークナーがハワード・ホークスと組んで、ヘミングウェイの原作を映画化した『脱出』やチャンドラー原作の『三つ数えろ』が出来たような、そんな「伝説」になっていたかもしれないものとして、自分は今も『南回帰船』を忘れられずにいるのです。 以下は、余談として。 『南回帰船』の原作は、散逸していた中上の原稿を収集した「劇画原作小説」として単行本化されており、その監修者である大塚英志による「解説」もネット上にはある。中上が目指した「劇画」と大塚原作の資質は随分と異なるのだが、検索してみるのも一興だと思う。