読んだけど掴みどころがない。物語の筋は分かるけどそれ以外は何も分からなかった。その感覚を楽しむものなのか? 有識者いたら教えてほしい
初めて読んだときは、興奮して寝付けなったくらいです。主人公・鯉太郎は大相撲巡業のイベントで力士をふっ飛ばし、それがきっかけで空流部屋入り。実直ながら激情家の鯉太郎は兄弟子たちに反発するも、やがてうちとけて新弟子検査へ。そこであるエリート力士との間に因縁が生まれ、それを引きずって初土俵である夏場所の前相撲を迎える、と序盤の流れはこんな感じ。それと並行して鯉太郎の父で、角界を追われた大関・火竜の悲劇が語られています。この親子関係の描き方がていねいで、導線としても非常に効いているのですね。鯉太郎の性格や生い立ち、そして目指すところまでがこの描写を通してストレートに伝わり、一気に感情移入できてしまう。また悪役もとことん悪党ぽく描かれていて心底イヤな奴と思わせてくれる。鯉太郎の私生活の余計な描写も省いてまさに電車道の一直線ストーリー。ひねりはあってもすかしはなし。掛け値なしに燃えます!
こういうまともな人間が出てこない漫画好きだなー 連載作のような貫禄がある漫画だった。 実験のネタ自体はよくあるやつだけど、展開の仕方が面白いし何より絵がすごく上手い。シリーズで読みたい。 というかあんな薬をいとも簡単に作れるなんて先輩は天才すぎないか? これタイトル「モルモトくんはモルモット」て読むらしい。いい意味でひどい。
トドに関節技決めようとしたら、体躯が円筒すぎて出来ないの笑った。次はなんだ?
あるある思春期漫画。普通によくまとまっていた。ただ徒歩五分のスーパーに行って、二時間後に帰ってきた母親、なにしてたのか分からなかった
当初は柔道マンガとして始まり、いくつものシリーズを経由しながら、ひじょうに長い年月を経て、とうとう『ドカベン』に終止符が打たれた。最終巻の最終話では、第一巻の第一話における山田と岩鬼の出会いをそのまま回想としてなぞり、このあまりにシンプルでありながら、これしかないという演出には言うにいわれぬ感慨を憶えたものだった。 『大甲子園』を含めたドカベンシリーズの本流だけで全205巻。それ以外の支流からドカベンシリーズの本流に合流してきたものを合わせれば300巻に迫る勢いである。じつは、こち亀の200巻の記録をゆうに超えてしまっているのだ。 この途方もない事態は、おそらく『ドカベン』にのみ関わるものではない。すべての野球マンガに、野球マンガというジャンルに関わるものであると思う。マンガには様々なジャンルがあるが、そのなかでも野球マンガというジャンルは、マンガという体系に対して、ある特権的な位置を占めていると思うのだ。これはハリウッドが西部劇というジャンルとともに映画産業を発展させてきたのとよく似ているような気がする。すなわち、ここでは映画が西部劇を撮るのではなく、西部劇という土壌が映画を撮らせているというある種の逆転現象が起きている。映画においてもっとも重要な光線の処理の問題、これをハリウッドはその近郊の年中天候の変わりにくい荒涼地帯で西部劇を撮ることで解決してきたのだ。天候がほいほい変わればそのたびに撮影を中断せねばならないが、西部劇ならばそんな心配はしないでどんどん撮影をすすめ、作品を量産することができる。つまり、こうした西部劇の量産で興行した潤沢な資金を次の撮影にまた注ぎ込むというサイクルがハリウッドにはできていたということだ。 では、マンガはどうかといえば、マンガ制作に天候はあまり関係がなさそうだが、やはり手塚治虫の登場いらい体系の整えられてきたコマと記号の処理という問題が"大友以降"のマンガにおいても頭をもたげてやまないはずなのだ。というより、マンガにおける諸問題はコマをいかに処理し、記号をいかに処理するかに集約されるはずだ。あれだけマンガというものに抗ってみせた『スラムダンク』の井上雄彦もけっきょくはコマからは逃れられないし、記号には頼らざるを得ないところがあった。そもそも井上がマンガに抗わざるを得なかったのはマンガ家という身分でありながらバスケが好きだったという不幸に由来する。マンガでバスケの動きをどう表現するか、それは文字通りマンガへの過酷な抵抗であったことだろう。『スラムダンク』の美しさは、このマンガへの過酷な抵抗と山王への果敢な挑戦がダブるところに集約されるだろう。ただ、あくまでも井上に許されていたのはマンガへの飽くなき抵抗という姿勢までで勝利ではなかった、だからこそ湘北が山王に奇跡のような勝利をおさめたときに連載を止めねばならなかったのだ。その点で、マンガは野球に愛されていると言わざるを得ない。愛に守られてスクスクと育ち、野球マンガに特有の素晴らしき楽天性でもって『スラムダンク』とはまたちがった豊かさを随所で花開かせている。そのことは近年ますます豊饒となった野球マンガのひとつ『おおきく振りかぶって』にもよく描かれている。すなわち、打者のほとんどが打ち上げてしまう三橋くんのまっすぐ、打者はボールの運動をじっさいに目で正確に追っているのではなく、その軌道を経験的な記号として捉えてバットを振っている、と。このことは野球を外からみる側にもいえる。投手が構えて、ボールが投げられる、打者が構えて、バットが振られる、この一連の運動を隈なく目で追っているひとなどいないはずなのだ。わたしたちが見ているのは、投手が構えて、次の瞬間には、構えていた打者がスイングし終えていて、マウンドの投手はまるでバレエでも踊るみたいな不可思議な格好になっている。この野球をみるときの呼吸はマンガの呼吸とぴったり合いはしないだろうか。コマからコマのあいだの欠落を敢えて埋めようとはしなくてもマンガは野球を経済的に語る術をはじめから心得ていた。つまり野球マンガは、あるいはバスケマンガのように、マンガそのものに抵抗する必要があらかじめなかった。この追い風を受けてマンガは野球という物語を幾重にも変奏して量産することができたのではないかと思うのだ。
ラッキースケベっていうご都合主義に対するアンチテーゼとして、皆が恣意的にラッキースケベを起こそうとしているっていうコンセプトが好き
ダウンタウンDXとのコラボ企画で、板垣先生が芸能人たちをバキ風に描いてるのだが、どれもめちゃくちゃ似ていてビビった。設定としては闘技場(トークバトル・コロッセオ)に君臨する最強の戦士・ダウンタウンに挑む姿をイメージして描いてるらしいw 公式サイト https://www.ytv.co.jp/dtdx/baki/ https://prtimes.jp/i/39547/14/resize/d39547-14-216826-0.jpg
めっちゃ面白かった…!!ジュニオールの灰谷音屋先生が描いたとは思えない超ハードでダークな忍のお話…!! **人が妖に転ずる世界に生きるあずみみたいなハードな忍を、陰影がハッキリしたスタイリッシュな絵柄で描く。**そんなん面白いに決まってる…!! 兄のことを「兄様」と呼ぶ妹。足抜けしようとした幼馴染を平気で殺し、自らを「化生」と呼ぶ兄…好き…。 妖、鶫・鳶丸兄妹、忍の里…まだまだこの世界について深く知りたいので、本当に連載化してほしいです…!! https://i.imgur.com/VTG4Tl3.jpg 【あらすじ】 鳶丸(とびまる)と鶫(つぐみ)は、婆が仕切る忍の里に暮らす兄妹。ある日、3ヶ月間「干殺し」にした城から妹の鶫が戻って来ず、鳶丸が向かうことに…。 【週刊少年チャンピオン2019年42号掲載】 https://www.akitashoten.co.jp/w-champion/2019/42
これ新宿でたまたま見かけたけど結構良かった ちゃんと見ないと羽生くんだとわからないけど https://cyclist.sanspo.com/489916
読んだけど掴みどころがない。物語の筋は分かるけどそれ以外は何も分からなかった。その感覚を楽しむものなのか? 有識者いたら教えてほしい