カラスヤサトシの日本びっくりカレー

マトリョミン...

カラスヤサトシの日本びっくりカレー カラスヤサトシ
nyae
nyae

正直なところ、カレー美味しそう!食べたい!!っていう漫画ではなかったです。 「美味しいカレーを食す」漫画ではなく「カレー好きが色んなカレーを食べたりまつわるあれやこれやを体験し、思ったことや感じたことをそのまま描いた」という感じです。しかしこれが女性マンガ誌で連載していたというのはにわかに信じがたい。 主に東京と関西地方の店がたくさん出てくるんですが、調べるといまは閉店してしまっているところも少なくない。そしてこの作者はとにかく「激辛カレー」が好きで、自分はあまり辛いものが得意ではないことから、グルメガイド的には参考にならない部分が多いです。なんですけど、なんとなくダラダラ読んでしまう、クセになる漫画でした。 カレーって、知ろうとすればするほど好きになる料理だな、と知りました。好きになる、というか沼にハマって戻れなくなるイメージでしょうか。 この漫画を読んで、カレーと全く関係ないところで得たものは「マトリョミン」という楽器の存在を知ったこと。マトリョミン演りたい。演りたい演りたいめちゃくちゃ演りたい!!!気になったらYouTubeとかで見てみてください。

ぼくのワンピース

何者にもなれない全ての人に捧ぐ物語

ぼくのワンピース 山田睦月 菅野彰
sogor25
sogor25

私は"LGBT"という呼称が好きではない。L/G/B/T(もしくは"Q"に分類される定義も含め)それぞれが全く違う性質を有しているのに、"LGBT"という名前を獲得した結果、あたかも同一の性質をもった1つの集団のように見える感覚、それがどうも受け入れがたいのである。 この作品の主人公・神鳥谷等(ひととのや ひとし)も、子供の頃から自分で自分を"普通"ではないと認識しながら、どうにも名前をつけること、定義づけをすることができないある"性質"を持っていた。 神鳥谷のその"性質"はジェンダーなのか、好みの問題なのか、それとも何かの病気なのか。そして果たして自分は何者なのか。これはそんな悩みを持つ神鳥谷と、彼とは逆に自分自身に対して不満も疑問も全く持たない大学の同級生・佐原真人、そしてその周囲の人々との物語。 神鳥谷の疑問に対して作品の中から無理やり答えを捻り出すとするなら、「自分は自分でしかない」という陳腐な言葉になるかもしれない。しかし、それを神鳥谷と佐原の、そして周囲の人々との交流を通して作品全体で表現している。物語としても、雑誌連載の作品を単行本化する際に話と話のつなぎ目をなくして1本の大長編のような構成にすることで、神鳥谷と佐原がともに歩んだ人生をまるごと描いたような、そんな壮大な雰囲気の作品になっている。 読む人によって、誰の視点を強く意識するか、そしてこの作品がどういう物語なのかという定義が変わってきそうな、いろんな表情がある作品。タイトルだけを見るとジェンダーがテーマのようにも見えるけど、実際はもっと受け入れる裾野の広い、"何者にもなれない"全ての人を肯定してくれる物語。 上下巻読了