着たい服がある

ロリータハウツー本ではない

着たい服がある 常喜寝太郎
漫画を読む女S
漫画を読む女S

ロリータ服のハウツー本では全くなかったです。着用の心得とか、立ち居振る舞いのコツとか、メイク方法とかそういうのは一切無いです。ちょっとそういうのに興味があったのです… ロリータ服をきっかけとする、主人公の気づきと成長と出会いの物語とでも言いましょうか… 登場人物の中でもカヤさんは素敵です。毎日酒場(バー)に強めの服を着てやって来てビール類を流し込んでいるお嬢さんです、昼は介護福祉士、夜はバーテン?、働き者のうえ人間の出来た素晴らしいお嬢さんなのです。主人公は偶然彼女と出会いますが、この出会いなくしては物語が成立しませんマジで。全編通して一番好きなシーンはカヤさんちにお泊まりして着せかえごっこ遊びをするとこです。うらやましいぞ。 物語は終盤小澤君を掘り下げて進んでいきますが、羽根をむしって丸裸にしてから建て直しまでの流れの無駄のなさがお見事だと思いました。中盤のSNSで主人公が攻撃される、生徒が改心するまでのくだりも、きつすぎる悪意の描写は無い(ひかえめ)なのが美点だと思いましたが、小澤君の過去と現在の描写も、つらいけど必要最低限というか、過激ではないのが良かった。 ※ここで言いたい過激っていうのは、よく広告である、見た人の興味をひくことだけを特化したような思わせぶりでショッキングで醜悪なシーンの寄せ集めのアレみたいなことです ストーリーの流れありきの、材料の1つとしてのロリータ服なんだな!と勝手に思っていたら、作者インタビューにロリータ服を描きたかったという発言を見かけて今「????」ってなっています。ロリータ服の魅力を伝える的な要素は限りなく薄かったように感じたのですが、、、、???

着たい服がある

"着たい服"がある。"なりたい自分"がある。

着たい服がある 常喜寝太郎
sogor25
sogor25

主人公の女子大生マミは一見背が高くてクールな雰囲気だが、誰にも言えない秘密を抱えている。それはいわゆる"ロリータファッション"に憧れを持っていること。可愛らしいものが好きな自分の趣味嗜好と周囲の人たちがマミに対して抱く"カッコいい女性"像との乖離のために、自身の本音を内に秘めて半ば外装を取り繕うようにして日々を過ごしていたマミだったが、バイト先の同僚・小澤との出会いにより少しずつ変わっていく。 やや変則的な導入だけに奇抜な印象を受けるかもしれないが、作品の根底にあるテーマはとても普遍的なもの。ベタな言い方をすれば"自分らしい生き方"という感じになるかもしれないけど、マミという人間を通して、"自分らしさ"と一言ではとても表現し得ない感情や生き方を見せてくれる。 そして、その根底に流れるテーマは一貫していながら、巻が変わるごとにそのテーマを違ったアプローチで表現してくる。その上でマミの物語が動き始めるきっかけとなったロリータファッションについて蔑ろにはせず、マミという人間を構成する要素として最後まで描かれている。 作中の経過時間はそこまで長くはないけれど、作品全体を通して読むと1人の人間の人生に触れたような感覚さえ覚える壮大な物語。 全5巻読了。

着たい服がある

これは服の話だけではとどまらないもっと誰にでも当てはまるあなたの物語。

着たい服がある 常喜寝太郎
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

世間体。キャラクター。あなたはこうあるべき。そんなもんクソくらえ! 生きたいように生きることの難しさ。 しがらみに絡めとられ身動きができなくなっている人にこそ読んで欲しい。 背が高く、クールな見た目で周囲から思われるようなキャラクターを自然と演じてきてしまった主人公が、バイトのヘルプに来た人の世間体度外視の服装を見てハッとする。 着たい服を着て良いんだ、と。 かねてから好きだったロリータファッションに思い切って袖を通してみると・・。 ズシンッ!と脳髄に響いた。 誰より自分を肯定しなきゃいけないのは自分だったのだ。 そしてそれが何より難しい。 多様性の時代に突入したとはいえ、他人と違うことをするのが怖いと思う人は多いだろう、特に同調圧力が強い日本では。 なぜ、やりたいこと、表現したいことを抑え込み、息を潜め、自らの欲求を見て見ないふりして、日常を過ごさなくてはいけないのか。 自分の欲求に素直に生きた方が100倍気持ちがいいのではないか。 他人に迷惑をかけるわけでもなし・・。 しかし、世間にどう見られてしまうのか・・。 こういった悩み、葛藤を丁寧に描き、「自分らしく生きたいように生きる」大切さを分からせてくれる素晴らしい漫画だ。 まだ1巻なのでこれから、さらにどのように向き合っていくのかが楽しみだ。

着たい服がある

「多様性」っていうけど「自分らしさ」ってなにさ?という話

着たい服がある 常喜寝太郎
mampuku
mampuku

 これだ!!!と叫びたくなる漫画。 「強い女性像!!ガラスの靴を叩き割れ!YEAH!!」ってな感じでハリウッドやディズニーを中心に流行っている欧米型の歪んだフェミニズムに「それって結局マチズモの焼き直しなのでは?」とモヤモヤしている人も男女問わず多いことだと思います。男ウケの悪いオルチャンメイクを「お前ら(男)のためにやってるんじゃないし」と堂々やるところまでは素晴らしい傾向だと思うのですが、だったらフリフリで可愛いスカートを自分の為に穿いてもいいじゃない!というのがこの漫画のテーマの出発点。  そして本題は、周囲に奇異の目を向けられながらも奇抜なファッションで出勤してくる同僚・小澤くんのこの言葉。 「何着てどこ行くかは自分で決めます」  常に周囲の目を気にして自身を持てず、小さな願望をひた隠しにしてきたマミは衝撃に打たれます。ひそかに憧れを抱いていたロリータファッションに恐る恐る身を包み、そしてここから自分の臆病さ、周囲の同調圧力、偏見などとの戦いが始まります。  私はずっと進学校でその手の圧力とは無縁だったのであまり共感はできませんが、マミの周囲の偏見社会には憤りを覚えます。日本の学校教育はおりこうさんを作る洗脳教育みたいなとこがあると言われてますが、偏差値が上がれば上がるほど自由になるともいわれていますね。とはいえ難しい顔して常識とやらを押し付けてくる人というのはどこへ行ってもいるものです。  経験上、小澤くんのように堂々としていれば周囲は黙ります。俗世のマウント合戦から解脱して、心の在りようによって世界が変わる、そんな「スッキリする話」がもっと増えたら素敵だなと思います。

アンの世界地図~It's a small world~

理不尽な親の元を飛び出して徳島で幸せになる方法

アンの世界地図~It's a small world~ 吟鳥子
兎来栄寿
兎来栄寿

「両親を敬う」 それは基本的には理想であり、美徳です。 しかし、人間的に致命的な欠陥を持ち、それを我が子に容赦なく振り撒く親というのも確かに存在します。理不尽な暴力やネグレクトに晒され続けてなお、「それでも親は親だから」と言えるものでしょうか。憎悪と殺意以外の感情を向けられない肉親の存在は、心を病ませます。なまじ家族であるだけに、離れることも叶わない。それは呪縛です。血の繋がりを呪い、同じ血が流れ遺伝子を受け継いでいる自分すらも嫌悪の対象となります。そんな風になるくらいであれば、いっそのこと物理的に距離を取ってしまった方が余程良いです。 今回紹介する『アンの世界地図』は、そんな選択をして幸せを手に入れた女の子のお話です。そして、様々な要素が詰まり充実した物語です。   ■家出ロリータ少女、徳島で着物少女に出会う 主人公の竹宮アンは、フランス貴族に憧れる16歳の少女。父親は単身赴任中、東京のボロアパート(通称:ゴミ屋敷)にて酒乱の母親と二人暮らし。綺羅びやかなロリータ服が唯一のアイデンティティだったアンですが、ある日、母親の酒が入ったことによる蛮行で自らの宝物の洋服の数々をズタズタにされ、遂に祖母のいる徳島を目指して家を飛び出します。そして、辿り着いた徳島の地にて、美しい着物の少女アキと出会い、アンはアキの家で暮らし始めます。 ロリータ服で近所のコンビニで半額弁当を買って行き、店員には「値引きのロリータ」「ビンボー姫」などと仇名を付けられている、小さい頃から貧乏だったアン。他の家庭では注いで貰えた愛情をろくに注いで貰えなかったことは、深い傷をアンに与えていました。 > 自分のこどもに食べさせることも着せることにも > 興味のない親っているんです とアンがアキの祖父に語るシーンの言葉が重く響きます。あまつさえ、自分の本当に大切にしている物をゴミ扱いされては、我慢の限界に達するのも解ります。 徳島の神社にて、 > 毎朝しあわせな気持ちで > 起きてみたいです と祈る彼女の切実さ、いじましさに胸が搾られる想いです。 その後、彼女はお遍路さんを助けるおもてなし文化「お接待」の心を大切にしているアキを母親代わりとして、新しい暮らしの中で幸せに起きられる朝を得ます。ずっと自分のいる場所を「ここではない」と思い続けて来た少女の、その世界地図が新たに拓けていく時。出だしは少々辛いですが、その分そのカタルシスとなる部分は優しく暖かで胸に沁み入って来ます。     ■日本や徳島の豊かな文化 (画像『アンの世界地図』1巻4頁) この作品、開幕が「吾輩は猫である」ならぬ、「わたしは家である」というモノローグから始まります。そこで行われるのが「うだつが上がらない」の「うだつ」の解説。他にも、神社の参拝の仕方や、着物の着方、お箸の持ち方など、時折日本人として知っておくと良い雑学が語られ、作品に溶け込んでいます。 又、徳島の名産料理なども実に美味しそうに描かれます。青とうがらし味噌を塗って、青じそを巻いて食べるおにぎりや、みょうが・シソ・甘辛豚肉・干しエビ・半熟卵・しらがねぎ・きゅうり・かにかまという豪華な付け合せのたらいに入ったたらいうどんなど、実に食欲をそそってくれます。もう、これらを食べるために徳島に行ってみたいと思わせられる程。今、「マチ★アソビ」などで注目を集める徳島ですが、この作品にも注目し、これらを提供する場所を作るのも良い町おこしになるのではないでしょうか。 更に、ここまでに書いたことだけであればまだ通常の少女マンガの範疇なのですが、1巻後半では突如として濃厚なボードゲーム語りから麻雀が描かれます。少女マンガとしては異端ですが、そこがまた面白い所で。ゲームというのもまた一つの対人コミュニケーションの手段。家族麻雀を通して紡がれる絆や想い、そこにもまた優しさと暖かさが満ちています。不良になった息子とも、麻雀を通してなら繋がることができたという描写があるのですが、親子の間でそういった絆となる物を持っておくことは良いと思います。 一冊の中にメインストーリーの他にも多様な要素が盛り込まれており、飽きさせません。    ■十年後の小さな幸せのお供に、『アンと世界地図』を 吟鳥子先生は、「現実の十年後の小さな幸せにつながる少女漫画が好きで、そういうものを描けたらいい」と仰っていました。曰く、「20年前に読んだ、タイトルも忘れた低年齢向け少女漫画で、おばあちゃんがクラシックなイギリス風ケーキを焼いて、孫の少女が「あ、お茶はアールグレイがいいな」と言った。その台詞からアールグレイという茶葉を覚えて、今でもクラシックなケーキを食べる時はアールグレイを淹れる。そういう幸せ」と。『アンの世界地図』は間違いなくそういう幸せをくれる作品になっています。それは徳島に足を運んでたらいうどんを食べた時かもしれませんし、誰かと心を通わせる瞬間かもしれません。いずれにせよ、読んでいる瞬間、そして読み終えた後の未来において、素敵な時間を約束してくれる作品です。 今年読んだ少女マンガの中でも、屈指の作品。男性でも読み易い内容ですので、お薦めです。  吟鳥子先生の作品は、切なさと優しさに満ちています。『アンの世界地図』を気に入ったら、他の作品にも是非手を伸ばしてみると良いでしょう。