リビドーズ

性と愛と

リビドーズ 笠原真樹
六文銭
六文銭

広告で大きなイチ◯ツみたいなのがまわってきて、矢も盾もたまらず読んでしまった作品。 全7巻読んで、当初想定していた以上に壮大なテーマだったなというのが率直な感想。 作者が『群青戦記』の人だと読んでから気づき、妙に納得した。 さてその内容ですが、 「リビド」と呼ばれる謎のウィルス?みたいなものに感染すると、異性に性的興奮を覚えると自身の欲望をコントロールできずに襲いかかり、粘膜経由から相手にも感染させる。 特に男性の場合は、体が膨張し(要はアレのように)、肉体的にも強靭な感じになる。 主人公もひょんなことで、バイトによくくる風俗嬢から感染してしまうが、他のリビド感染者と異なり、自我が一定保てて、肉体的にも常に変化しているわけではなく、ある程度制御がきく状態。 幼馴染で長年の思い人であった初瀬が、リビド感染者に襲われそうになったところ、リビド感染によって手にした力で助けることから物語は進む。 主人公と同じようにリビドの能力はあるが自我が保てている人も現れ、その能力を使って革命を起こそうとする集団が現れたりします。 彼らから勧誘的に主人公の力を求めてきたり、ないしは上述のように特別な肉体であるから「リビド」の抗体をつくるため、人類存亡のために国家に狙われたりする。 このあたりはパニックホラー系やディストピア系な物語では醍醐味ですよね。 主人公は、初瀬さんへの思いを武器に闘うわけですが・・・ この思いというのが、ただの性的なものなのか愛なのか?そんなことを終始考えている。 性的興奮しなければ強くなれず、強くなければ守れない。 本人を前に欲情などしていいのか、など葛藤しているわけです。 彼女への思いはピュアゆえに、苦悩も大きい。 読み進めていくうちに、自分自身 性は汚いもので、愛は綺麗なものと思い込んでいたけど、そもそも性と愛は切っても切れないものではないのか? とか、色々考えてしまいました。 ただ、そんな小難しい話よりも、登場人物は良い味だしているし(初瀬さんは天然で可愛いし、クセのあるキャラたちは皆信念があって愛着もてる。AV監督の人とか)パニックホラー的な、パンデミックな状況下のバトル漫画として十分面白いので、この手のジャンルが好きな人にはオススメできる作品だと思います。 裏にありそうな、性と愛とかいう壮大なテーマはスパイス的に楽しんでいただければと。

守娘

台湾怪奇譚と抑圧される女性 #1巻応援 #完結応援

守娘 シャオナオナオ
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

『陳守娘(タン・シュウリョン)』の伝説を題材にした物語は、墨っぽい美麗な作画で幻惑と苦悩の物語へと私を誘う。 舞台は清代の台南。不思議な祈祷師・守娘と出会うのは、名家のお転婆お嬢様。彼女は謎の水死体を皮切りに、様々な女性の苦しみの声を聞き、寄り添い、行動し……そうしてある巨悪の構造に巻き込まれてゆく。 彼女は当時の女性達がする、纏足をしていない。その分自由に走れる彼女は「女性のために」走る存在。一方で守娘は主人公を導くが、彼女自身も元は苦しむ女性であり、意外と無力な存在でもある。 描かれるのは、女性にあまりにも厳しい家父長制社会。そこで女性達は神や霊に縋り、まじないに頼り……その社会構造を恨むのではなく、その社会構造をなんとか生きのびようとする。その理不尽に、男である私は言葉を失う。 さらに描かれるのは、人間社会の恐ろしさに対する霊的存在の無力さ。膨大な怨念が、せいぜい足に痣を付けて何かを知らせることしかできない。でも、それをきっかけに何かが変わる時……そしてやはり無力な守娘がお嬢様に「諦めない事」を伝える時、そこに残る僅かな希望に安堵する。 しかしその希望を前にして「この時代に生まれなくて良かった」と男の私は言いたくない。この怨念と希望は、何千年も受け継がれ、そしてこのままでは、これからも受け継がれる物だから。 この物語にある「女性の抑圧」は、恐らくあらゆる時代の女性に接続する。『アンナ・コムネナ』は千年前の皇宮でも女性は不自由だった事を描き出す。そして『女の子がいる場所は』は現代の世界中・そして日本の少女への抑圧を描く。 今を生きる男の私は「抑圧はなくなった」「差別は解消しつつある」と簡単に言ってしまいそうになる。しかし現在も抑圧される女性は存在し、その言葉は彼女たちにも届くかもしれない。彼女たちははどう思うだろうか。 この事はあらゆる差別・抑圧に通じる。苦しみは私に見えない所で生まれ続けるだろう事を、忘れずに言葉を紡ぎたい。

ネコと海の彼方

幼いロマンシスと喪失の海 #1巻応援 #完結応援

ネコと海の彼方 星期一回收日 陳巧蓉(巧喵)
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

本作を読み終えて数日が経った。その印象はあまりにも鮮烈で、私は日々の隙間を見つけては主人公と、彼女の大切な人について考える。美しい友愛と、その喪失を。 主人公を暗闇から助け出してくれたあの子。二人の日々は眩しくて、私は自身の幼い恋や友情を思い出す。 ナイショがあってもいい、寄り添うことが相手への想い。そんな二人だけの独特な関係に、心温まりつつ強く魅了される……それだけに、後半の展開は辛い。 主人公は単純に悲しむだけではない。その言動はキューブラー・ロスの「死の受容5段階」がモデルにあるのだろうか。喪失を否定するように怒ったり、取り戻そうとしたり。 「彼女を留めておきたい、忘れたくない」という強い想いはしかし、足掻けば足掻くほど苦悩の深みに嵌まっていく……絶望感を共有する。 しかし生き残った人には、明日が来る。 恐らく友情も恋も、人生の目的ではない。それは人生を支えるもの。大切な物を沢山くれた、特別なあの子を特別なままに相対化する主人公の、漆黒の海に夜明けは来る……その静かで晴れやかな終局は、今もさざなみのように心に打ち寄せる。