あらすじ

「ロリ―タ」が、家族にバレた。そして母との喧嘩中、思わず言ってしまった「ロリータを着ている時だけが本当の自分」という言葉が、家族に決定的な亀裂を生んでしまう。「家族」という名の「小さな社会」の中で、「自分らしさ」を貫くためにはどうすれば良いのか。主人公・マミがたどり着く答えとは…!?
着たい服がある 1巻

女子大生マミには、誰にも言えない「秘密」があった。それは、「ロリータファッション」に憧れていること。背が高く、一見クールなマミは、家族からも友達からも「かっこいい女性」像を自然と求められ、そのイメージから外れることに臆病になっていた。だが、周りの目を気にせず奇抜すぎるファッションをし続けるバイト先の同僚・小澤くんに感化され、徐々に「本当の自分」を開放していく――。

着たい服がある(2)

「ロリ―タ」が、家族にバレた。そして母との喧嘩中、思わず言ってしまった「ロリータを着ている時だけが本当の自分」という言葉が、家族に決定的な亀裂を生んでしまう。「家族」という名の「小さな社会」の中で、「自分らしさ」を貫くためにはどうすれば良いのか。主人公・マミがたどり着く答えとは…!?

着たい服がある(3)

「自分らしくある事」と「幸せになれる事」は違う―。その言葉が、主人公・マミに刺さる。ロリータファッションに出会い、少しずつ「自分らしさ」を獲得してきたマミだったが、憧れの男性・小澤は仕事にしか興味がなく、マミの「自分らしさ」は彼に響かない。更にマミは、ファッション業界でバイヤーとして働く小澤と比較して、自分の個性は「誰にでも替えがきくツマラナイもの」という劣等感すら持ってしまい…。

着たい服がある(4)

SNS上で、意図せずロリータを着た動画が拡散してしまったマミ。さらにSNSのコメント欄には、マミの人間性を勝手に決めつけたような書き込みが。自分自身すらまだ「自分のこと」が分からないのに、他人から好き勝手に論評されることに動揺し、疲弊するマミ。そんなとき、ファッションマガジン「KERA」編集部の近藤から、マミは予想外の「ある依頼」を受ける。自分には不相応な、身の丈に合わない依頼だと一度は断るマミだが、近藤の「あなたの“身の丈”を決めるのは誰か。ネット上の人たちでも、家族でも、友達でもない。あなた自身だ」という言葉に、マミの心は揺れはじめる…。

着たい服がある(5)

様々なシーンでマミを勇気づけてくれた、ポジティブな小澤の言葉たち。しかし、そんな言葉の裏側にあった、小澤の哀しい過去が明らかになる。愛する人の「闇」を知ってしまった時、自分に何ができるのか。誰かに「寄り添う」とは、一体どういうことなのか。「自分」と「他者」の関わりを真摯に描き続けてきた『着たい服がある』の、最終にして最高の完結5巻!

着たい服がある

ロリータハウツー本ではない

着たい服がある 常喜寝太郎
漫画を読む女S
漫画を読む女S

ロリータ服のハウツー本では全くなかったです。着用の心得とか、立ち居振る舞いのコツとか、メイク方法とかそういうのは一切無いです。ちょっとそういうのに興味があったのです… ロリータ服をきっかけとする、主人公の気づきと成長と出会いの物語とでも言いましょうか… 登場人物の中でもカヤさんは素敵です。毎日酒場(バー)に強めの服を着てやって来てビール類を流し込んでいるお嬢さんです、昼は介護福祉士、夜はバーテン?、働き者のうえ人間の出来た素晴らしいお嬢さんなのです。主人公は偶然彼女と出会いますが、この出会いなくしては物語が成立しませんマジで。全編通して一番好きなシーンはカヤさんちにお泊まりして着せかえごっこ遊びをするとこです。うらやましいぞ。 物語は終盤小澤君を掘り下げて進んでいきますが、羽根をむしって丸裸にしてから建て直しまでの流れの無駄のなさがお見事だと思いました。中盤のSNSで主人公が攻撃される、生徒が改心するまでのくだりも、きつすぎる悪意の描写は無い(ひかえめ)なのが美点だと思いましたが、小澤君の過去と現在の描写も、つらいけど必要最低限というか、過激ではないのが良かった。 ※ここで言いたい過激っていうのは、よく広告である、見た人の興味をひくことだけを特化したような思わせぶりでショッキングで醜悪なシーンの寄せ集めのアレみたいなことです ストーリーの流れありきの、材料の1つとしてのロリータ服なんだな!と勝手に思っていたら、作者インタビューにロリータ服を描きたかったという発言を見かけて今「????」ってなっています。ロリータ服の魅力を伝える的な要素は限りなく薄かったように感じたのですが、、、、???