あらすじ

能楽の祖、世阿弥には封印した能があった。それは“刻渡(ときわた)り”と呼ばれる、流れの異なる刻(とき)を一つにする舞。邪阿弥(じゃあみ)の舞う“刻渡り”によって、家康が忍者として天下を取った“もうひとつの江戸時代”が、柳生十兵衛の生きる江戸時代に重なるとき、凄絶なる戦いの火蓋が切って落とされる。剣鬼・喇嘛仏(ラマブツ)と呼ばれる長岡与五郎興秋(ながおかよごろうおきあき)が、十兵衛に真剣による立ち会いを申し出る時、邪阿弥は十兵衛の生きる江戸時代で、再び“刻渡り”を舞い始める。舞いに呼応するかのように、徳川秀忠が指揮を執る甲賀軍艦が柳生の庄の上空に迫っていた。
柳生十兵衛死す 秘曲“世阿弥”(1)

山城国相良郡(やましろのくにさがらごおり)で発見された柳生十兵衛三厳(やぎゅうじゅうべえみつよし)の死体は、潰れていたはずの左目は開き、開いていた右目が閉ざされていた。「風太郎忍法帖が、私の作品の原点の一つであることは間違いない!!」と言う石川賢氏による筆が冴え渡る!!慶安二年(1649年)能楽師・今春竹阿弥(こんぱるたけあみ)の舞う、過去の世界に誘う夢幻能によって十兵衛の眼前に現れたのは、甲賀葵の御紋を兜にいだく“徳川家康”を名乗る忍者だった。十兵衛と竹阿弥の命をもらいに地獄より推参したと言う家康は、徳川四天王・榊原康政(さかきばらやすまさ)、酒井忠次(さかいただつぐ)、本多忠勝(ほんだただかつ)、井伊直政(いいなおまさ)による人馬一体となった騎馬忍法で十兵衛を襲う!!

柳生十兵衛死す 武蔵と小次郎(2)

能楽の祖、世阿弥には封印した能があった。それは“刻渡(ときわた)り”と呼ばれる、流れの異なる刻(とき)を一つにする舞。邪阿弥(じゃあみ)の舞う“刻渡り”によって、家康が忍者として天下を取った“もうひとつの江戸時代”が、柳生十兵衛の生きる江戸時代に重なるとき、凄絶なる戦いの火蓋が切って落とされる。剣鬼・喇嘛仏(ラマブツ)と呼ばれる長岡与五郎興秋(ながおかよごろうおきあき)が、十兵衛に真剣による立ち会いを申し出る時、邪阿弥は十兵衛の生きる江戸時代で、再び“刻渡り”を舞い始める。舞いに呼応するかのように、徳川秀忠が指揮を執る甲賀軍艦が柳生の庄の上空に迫っていた。

柳生十兵衛死す 刻は意志なり(3)

異形なる飛行物が飛び交い、忍者・徳川家康を将軍とした忍びが支配する江戸時代が、慶安二年(1649年)に侵入していることを、月ノ輪の宮に告げる柳生十兵衛。月ノ輪の宮にとって、それはにわかに信じられない出来事だったが、竹阿弥の説明により、十兵衛らとともに邪阿弥が潜む五重塔へと向かう。過去と未来を自在に操れるほどに影能を極めた邪阿弥。そこに“もうひとつの江戸時代”から徳川秀忠の命を受けた宮本武蔵が現れ、十兵衛と対峙する。

柳生十兵衛死す 信長・秀吉・家康(4)

宮本武蔵との戦いのさなか、突入してきた甲賀軍艦とともに亜空間に飲み込まれた柳生十兵衛とウマナミ。刻(とき)のはざまで能楽を大成させた世阿弥と出会い、刻を操るコツは自らの意志の力であることを知らされる。忍者・徳川家康を将軍とした忍びが支配する江戸時代がなぜできたのか。徳川家の秘密をあばくことを強く心に誓いながら、十兵衛は家康出生の刻を目指す。さまざまな次元を通過し、辿り着いた刻は永禄元年(1558年)、美濃・三河国境。この地でそれから2年余りの時を過ごしていた十兵衛の元を、「戦(いくさ)をなくすために天下を取る」と豪語する若き日の織田信長が訪れる。そこへ時を同じくして“十兵衛抹殺”に燃える、徳川家光と佐々木小次郎が迫っていた。

柳生十兵衛死す 血風の彼方で(5)

ついに後の天下人、徳川家康こと松平元康(まつだいらもとやす)の元に辿り着いた柳生十兵衛。しかし、十兵衛の眼前には、二人の元康公が座していた。音もなく、闇から現れた能楽師・狂阿弥は、そんな十兵衛に向かって驚愕の言葉を投げかける。その言葉の真意を正すべく狂阿弥に詰め寄った十兵衛は、二つの江戸時代が生まれた理由を知る……。死したはずの剣豪達が“もうひとつの江戸時代”に生きていたという驚異の設定で描かれた山田風太郎の小説を原作に、石川賢の力強い筆致が炸裂した戦国絵巻、ここに堂々の完結。