もしも願いが叶うならの犬の言葉がわかる話と、軟派の高橋が好きだった。ギャグセンと、斜め上の発想力、不良だけどなんか憎めない感じのキャラがほんとに良かった。つまりいつもの西森先生ってことだ! ただ、個人的には長編のほうがキャラに愛着もわくし、物語に起伏があって好みかもなぁ。
ドラマ化に乗じて作られた特別編。ほうぼうのレビューを見てると賛否両論あるようだ。細かいこと言い出すとキリがない設定だらけなんで文句の一つも言いたくなるけど、どんな形であれ新作が出たことは歓迎したい(と思いたい) 往年のファンは「今日から俺は!!」の世界を引きずりすぎないで、サガワ視点のみに絞って読むべし。ヒーローが現実世界に飛び出してくるような話がありますよね?アレです。ちょいとFGOみたいに三橋と伊藤を召喚して、ワルモノを懲らしめました!っていうノリで読むのがおすすめ。
メグちゃんがめちゃくちゃ可愛い…このマンガの魅力の大半はソコだと思う。天使みたいな美少女が少年のようなピュアなハートを持っているアンバランスさがたまらん。数いるラブコメヒロインの中でもかなり可愛くないか?脇役達もみんないいキャラしてるんだけど、最初から「メグちゃんが選ぶのはどうせ主人公の源造だろ…オレたちが選ばれないことなんて分かってるんだ…!」と言っちゃってるのが面白かった。
「狩る側と狩られる側、キミはどっち」と聞かれれば、僕は当然狩られる側なわけです。生物は抑圧されることであらたな進化の可能性を得ると言われていますが、僕も中高生のころにヤンキーに対するステルス性能を獲得し、幸いなことにいままで絡まれたことはありません(かわりに、精神が不安定な人と野生動物にはよく絡まれます)。そんな僕ですから、ヤンキー漫画は好きではありません。ヤンキー漫画に描かれている友情は仲間内のものだけで、""それ以外”には向けられないからです。""それ以外”な僕がどうして感情移入できましょうか(いやできない)。 今回紹介する『お茶にごす。』はヤンキーが主人公のマンガです。でもヤンキー漫画ではありません。そこに描かれているのは「優しさとはなにか」に葛藤するひとりの青年です。 『お茶にごす。』の主人公・船橋雅矢は恐ろしい人相と人智を超えた強さで、近隣の不良から”悪魔まークン”と恐れられる男です。そんな彼の望みは『平和な生活を送りたい』ということ。しかし、その凶悪な人相に寄ってくるクズを返り討ちにしているうちに、いつのまにか修羅の道へと突き進んでしまったのです。 高校入学をきっかけにほのぼのスクールライフを送ろうと思ったまークンは、部活に入ろうと思うものの、彼の悪評は広まっており誰も目も合わせてくれません。そんなとき、茶道部の部長・姉崎さんが、誰もが恐れるまークンを勧誘したのです!公平に接してくれた姉崎さんに心打たれたまークンは茶道部に入部し、新たな最凶伝説を作っていくのです。 そんなまークンに「アンタの顔が怖いから」といつだってストレートにツッコミをいれる女の子が夏帆。ちょっとばかりガサツで活発な夏帆は、どうすれば優しさを表せられるのか、まークンと同じように悩み、同じように部長にあこがれています。 しかし、まークンが憧れる部長も、特別な人間ではありません。まークンを勧誘した時も膝が震えるほどビビっていたのです。彼女は、人に優しくすることに躊躇しないと決めただけの、普通の人間なのです。 普通なのに優しい部長に憧れた、普通になりたいまークンは、さまさまざな経験から段々と他人に優しくできるようなります。「もしかしたら、自分は人にやさしくできるかもしれない」そう思った時、同時にあることに気が付いてしまいます。それは「災いを呼びこむ自分は、いるだけで他人を傷つけてしまう」ということ。自分が他人に誤解されるのはかまわなくても、周囲の人にまで迷惑はかけられない。 部長を大事に思うからこそ、近づかないという選択をしたまークンを、夏帆は川へ蹴り落とします。そして、彼の人生を変える一言を発するのです。 以前紹介した『道士郎でござる』の道士郎とは違う、悩める最強の男の小さな一歩がとても心地よいのです。全然爽やかな風ではないのに、爽やかな気持ちになれる、不思議なマンガなのです。 それにしても、西森博之先生が描く人間のクズは本当に非道でドキドキしますね!
「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」という言葉があります。社会的にも肉体的にも力のない僕には全く関係のない言葉ですが、『ザ・ムーン』や『DEATH NOTE』をはじめ、正義を問いかける作品は強くココロに残っています。その中でも、もっと身近な正義を描く『道士郎でござる!』が、僕は大好きなのです。 物語は、12年前にアメリカに渡った桐柳道士郎が、なぜか武士になって日本に帰ってくるところからはじまります。ふと、現代に蘇った憲兵を描く『ケンペーくん』(ならやたかし)を思い出しましたが、道士郎とは全く関係ありません(これもある意味、正義を問いかける作品であります)。道士郎はチートといえるほど強大な力を持つ男です。そして、行動理念は武士道。武士道的観点からクズだと思えば、ヤンキーだろうがヤクザだろうが問答無用で叩き潰します。道士郎が殴ればヤンキーは空中を回転しながら飛んでいき、復讐など考えられないほどのトラウマを植え付けられます。身近にある悪に天誅を下すのが道士郎なのです。 向かう所敵なしの道士郎の代わりに、物語の主役となっていくのが、道士郎に目をつけられ、殿にされてしまった健助です。健助は、小心者で、常識的で、自身に危険のない範囲で優しい、そんな普通の少年です。道士郎に関わったことで、ちょっとした優しさを発揮してしまったがゆえに、どんどん道を踏み外し、高校は退学し、転校した底辺校では級長になってしまい、挙句の果てに、ヤクザと対決するはめになります。 はじめのうちは、健助が巻き込まれたトラブルを道士郎とが解決するという、「水戸黄門」か「いけ、ピカチュウ!」のような展開もあります。しかし強大すぎる道士郎の力と見境のない正義感は、およそ制御できるものではなく、放っておけば無限にトラブルが拡大してしまうのです。社会から完全にはみ出した道士郎という存在に振り回されることなく一般生活を営むために、健助は自分の力で解決を目指すようになっていくのです。 健助はちっぽけな人間でしたが、道士郎によって追い詰められることで身につけたクソ度胸で、強大な敵に立ち向かうことができるようになります。どんな敵でも必ず倒す道士郎と、弱くて殴られても決して折れない健助の姿に、周囲のクズたちも少しずつ変わっていくのです。あの二人がいるから俺は頑張れる――そうやってグズでザコだったモブキャラが頑張る姿には心動かないはずがないのです。 とてつもなく笑えて、グズの所業に心から頭にきて、成長するキャラクターたちに感動する……全8巻の短い物語の中で、あらゆる方向に心が揺さぶられる、王道の名作が『道士郎でござる』なのです。
高校入学を機に「今日から俺は‼︎」と同じタイミングでツッパリデビューする卑怯者の金髪 三橋と良いウニ 伊藤の三年間を描いたヤンキーギャグ漫画。 もちろんケンカ主体ですが、他のヤンキー漫画に比べ普通の高校生活を軸に物語は進行するので、苦手意識のある人も読みやすい内容になっています。 一度読み始めると、三橋と伊藤のコンビ芸に心を奪われて世界観に引き込まれてしまいます。ケンカ云々より、こっちの方が主な気がします。 常に明るい漫画なので、気分が落ちてる時なんかはおすすめです。ただ他のヤンキー漫画と比べると、読後になんだか強くなった気には、ならないタイプの作品です。 地獄会の白井
こんなにも最高なのに!
もしも願いが叶うならの犬の言葉がわかる話と、軟派の高橋が好きだった。ギャグセンと、斜め上の発想力、不良だけどなんか憎めない感じのキャラがほんとに良かった。つまりいつもの西森先生ってことだ! ただ、個人的には長編のほうがキャラに愛着もわくし、物語に起伏があって好みかもなぁ。