萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について萩尾望都が怒っているのは昔のこと以上に、大泉時代を自分を巻き込んだ形でコンテンツ化しようとする動きじゃないかな 竹宮惠子が「少年の名はジルベール」で萩尾望都のことを書かなければ、 そして対談等の協力企画への対応をマスコミに丸投げしなければ、何も語ることなく静かに暮らしていたろうに 竹宮惠子は自業自得でしかないと思う マスコミ的には「企画的に面白いものを出せ」と藪を突いたら、企画ごと叩き潰す巨龍が出てきちゃった感じかな この先どうするのだろう
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について萩尾望都のは聖なる友愛だと思ってた そりゃ少年たちの間で交わされる友愛ならば、広い意味で少年愛なのかも、とは感じていたけど性愛ではないよなー ブロマンスが近いのか?
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について萩尾望都の「トーマの心臓」と竹宮惠子の「風と木の詩」が同じ少年愛の枠で話されることが多かったが「トーマの心臓」や「11月のギムナジウム」はそういうのじゃないだろうという判断していたのが間違っていないとわかって安心したよ
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について萩尾望都が良ければ自分は受ける」と言った理由が書かれていた。 竹宮惠子も断るつもりだったけれどマスコミが全然諦めてくれないので、絶対に断るに決まっている萩尾望都に丸投げしたのだと。 マネージャーに聞いたので確かですという念押しつき。 竹宮サイドの萩尾望都への侮りっぷりは堂に入ってるわな。 本人たち全然自覚ないっぽいけど。
萩尾望都の「一度きりの大泉の話」について萩尾望都「あそび玉」と竹宮惠子の「地球へ…」は似ている 「あそび玉」は『別冊少女コミック』1972年1月号 「地球へ…」は『月刊マンガ少年』1977年1月号 メモ 「11月のギムナジウム」「別冊少女コミック」1971年11月号 「雪と星と天使と(サンルームにて)」「別冊少女コミック」1970年12月号 「風と木の詩」『週刊少女コミック』1976年10号