序盤から中盤にかけてのドキドキ感は半端じゃありません。ミステリアスな雰囲気が満載で、この先どうなっていくのか続きが気になって気になって。ただ、やっぱりみんな思ってることだけど、最後がねえ。もう少しいい感じに終わらせてくれたら、最高の作品になってたと思うんだけどなあ。でもそれを差し引いても、あの何とも言えない、独特の世界観は格別です。
死ぬまでに何度でも読み返したい名作です。 正直、簡単に感想を書くのは自分には難しくて、かと言って内容をだらだら説明するのもなんか違うなという気がします。 この漫画は、例えば、脳や精神に疾患があったりコミュニケーションが困難だと思われる人が目の前にいたとして、障害の有る無しの線引きをその人と自分との間に引くのが本当に正しいのか?むしろ有る無しを決めること自体は正解か?というのを問うてるところがあります。ただ説教くささはなく、たくさんのユーモアを交えて描かれています。キャラクターも全員が愛おしく魅力的です。 舞台は日本のはずだけどどこか外国風情で、また話のほとんどが病院の敷地内で進むので全体的に現実感がない。でも気づけば物語の中に入り込んでいて、読み終わって現実に引き戻されると胸にポッカリ穴が開いたような寂しさがある。同時に脳にこびりついて離れない何かもある。 今頃あの子たちはどうしてるかな、と思いを馳せずにはいられない。
あなたにとって望月ミネタロウの代表作は何ですか? 私にとってのそれは「東京怪童」なんですけど。こないだ始まった「フレデリック」で【あの「ドラゴンヘッド」と「ちいさこべえ」の作者の新連載がスタート!】と紹介されててビックリしました。あれ!?「バタアシ金魚」は!?と。まあ、代表作があり過ぎるということかもしれませんが…。 私が「バタアシ金魚」を読んだのは10年位前ですが、主人公・カオル君のブレーキが壊れた熱血さが理解できなかった。これは連載当時との感覚が合わないから起こるギャップなのかな?と思ってたのですが、どうやらリアルタイムで読んだ人にとってもカオル君の熱さは時代遅れで、みんなソノコ状態だったそうです。でも圧倒的に表現の仕方が新しくてカッコ良かった!と聞いたことがあります。 岡崎京子のエッセイでも「バタアシ金魚のカオル君みたいに」という言葉がありましたが、カオル君のバカみたいなガムシャラさって、本当はどんな時代でも一番カッコいいことであるべきなんじゃないかと思います。 今、このクチコミを書いてて「ちいさこべえ」の主人公とカオル君って似てるかも?と気づきました。望月ミネタロウが描いている、人間にこうあって欲しいと思う姿(ヒーロー像?)って、初めから変わっていないのかもしれません。
自分は映画から知った人間で、原作が望月峯太郎とは長い間知らなかった(というか漫画原作であることすら知らず)。 映画も観てないんですが、もっと若い男女がウェーイしてる漫画だと勝手に思っていたら全然違った。女の子のほうは若いけど相手の男はパッと見おじさん。まあ年齢のこととかは別に内容にはそんなに関係ないですが、読んでてなにより「絵が上手いな」という感想が先にくる。 出会ったばかりの男女が色々あってヤクザや親戚から追われてとにかく逃げ回る話なんですけど、女の子の美しさとエロさばかりが気になってしまう。 で、原作を知った上で映画はどうなのか…と思って調べたら色々違ってそうで観る気は起きなかった。
表紙がまるでシュルレアリスムの絵画のよう。単行本は未見だったので、ちょっと得した気分になりつつあらためて読むと、あれ?雑誌連載当時は、怖え~、と思っていたのが、気色悪る~という感想に変わっていました。90年代後半に髪の長い女のホラーや、ストーカーを題材にしたテレビドラマなどが流行りましたからそのせいもあるのかも。もはやありえる話になってしまったというか。だから、この作品における描写の気色悪さが、以前より際立ってみえてきたんでしょう。ぺろんとした顔や手入れされてない長い髪はともかく、なぜか持っている紙袋やバッグ、伝線したストッキング、汚れた靴、髪が絡みついたブラシなどの少しずれた座敷女の風貌。そして雷や蛾といった心理的に不安になるイメージの挿入。「ドラゴンヘッド」の時も感じましたが、この著者は日常を少しだけありえる範囲で外すことで、気味の悪さを演出するのが非常にうまい。うん、これに気付いたことも、いまさらながら得した気分です。
『バタ金』で世に現れて以来、望月峯太郎(ミネタロウ)は、ずっと「今、一番カッコイイ」へ向かって漫画を描いてくれている。 『バタアシ金魚』は文句なしの最先端で、当時の「ヤンマガ」力をまざまざと見せつけた青春ギャグだった。鮮やかな作風チェンジをした『座敷女』は現在でも頭抜けたサイコホラーの傑作たり得ているし、『ドラゴンヘッド』の始まりは、『AKIRA』以降の漫画に「新基準」設定を強いるほど強烈なインパクトを与えた。 一方で、そのあまりに「センス漲る」個性ゆえ、物語が長篇化すると、著者の希求する感覚と作品世界の拡がりに軋轢が生じ、収拾がつかなくなる傾向がある。 このキャリア初期の長篇作は、そんな「暴走」が初めて記録された、稀有な失敗作だ。 だが、それが失敗であるからこそ美しいものもあるのだ。 こんなに一途に己の感覚を追い込み、そして暴走しクラッシュしてしまう才能! しかし、望月峯太郎は、何度もボロボロになりながら、常に新たな可能性に向かって立ち上がる作家でもあるのです。
だいたい理由は分かっていて、巻数が多いのと表紙の絵がなんか立体感あって『ちいさこべえ』『東京怪童』とかとは違う雰囲気なのかなと思っていたから。結論から言うとそんなことは全然なく、僕が望月作品に求めているものがあった。 現代的な海賊がかつてマネーロンダリングなどに使われた宝島を探すってだけの話なんだけど、それを取り巻く人間模様がスリリング。自然現象が大迫力で描かれていて、人智を超えた力に魅せられる人間が出てくるのも彼らしい。 めちゃめちゃエンタメでギャグが冴えててお洒落で健康的にエロくて、読後感も良い。海に出たくなる。
バタアシ金魚の続編です。 バタアシ金魚の頃から一貫して描かれているのは「追う・追われる」⇔「追われる・追う」の関係性。これは男女関係におさまらず人生のあらゆる局面に露呈する公式のようなものではないでしょうか。 何はともあれ、追いかけたり追われたりしているあいだは人生はつづくのです、あるいは人生を描く物語にしても同様でしょう、追いかけたり追われたりしているあいだは物語はつづくのです。たとえば、どこまでも逃げつづけるルパンと、どこまでも追いつづける銭形、この二人の関係はほんとうに美しいですね、ときに愛のようなもの感じることすらあります。この美しさは二人が"どこまでも"「追う・追われる」ことからくる美しさに他ならないでしょう。 ところで、バタアシ金魚は完結というにはあまりに中途半端な終り方をして、お茶の間にいたっては堂々と未完としています。これは「追う・追われる」⇔「追われる・追う」の関係性が崩れ去れば物語が停滞してしまうことを作者が直観していたからではないでしょうか。名誉ある未完、あるいは未完であること運命づけられた作品というのは時々出てくるものですが、そういった作品は後世に読み継がれることが多いように思います。
ある晩、アパートの隣の部屋をノックする音があまりにもうるさくて、ドアを開けて覗いてみるとロングコートをきた大女がいた…っていう始まり方で、ヒロシがこの女に付きまとわれるようになるストーカー的な恐怖に襲われるマンガ。 ただ、犯罪実録的な怖さというよりも、この大女の狂気じみた行動・言動やありえない身体能力(短距離走インターハイ選手よりも足が速い)が妖怪じみていて、口裂け女とかの都市伝説的な怖さがある。 1巻完結で無駄のない怖さ。一人暮らしやめたくなる。
タイトルからして冒険ものか何かかと思って読み始め、読破したあと「パニックホラー」だったことに気づいた…。読まなければよかった…。怖すぎた。面白かったけど…。ドラゴンヘッドではなくて「リュウズ(竜頭)」っていうもう少しホラーっぽいタイトルにしておいて下されば、読まなかったかもしれないのに。ノブオのボディペイント本当にトラウマ…
序盤から中盤にかけてのドキドキ感は半端じゃありません。ミステリアスな雰囲気が満載で、この先どうなっていくのか続きが気になって気になって。ただ、やっぱりみんな思ってることだけど、最後がねえ。もう少しいい感じに終わらせてくれたら、最高の作品になってたと思うんだけどなあ。でもそれを差し引いても、あの何とも言えない、独特の世界観は格別です。