わずか1冊の単行本の中にものすごく壮大なテーマが託されている。 あえて手前の部屋と向こうの部屋のパースをずらすことで、あちらの世界とこちらの世界の彼岸を再現していたり、ベランダの柵がコマ割りとなっていたり、ここでは書ききれない程の重層的な技法が含まれている。そして、それら全てを包括するように、あえて切り離された記号とも文字とも絵とも捉えられる高野のみが到達出来た線画によって、生と死の彼岸が描かれている。
こないだ「自分はるきさんの性格に似てるってよく言われるけど全く嬉しくない」という人に出会ったんですが、私はるきさんという作品の魅力はあの生き方にあるし、読んだ人は全員憧れるものだろうと思っていたので衝撃でした!その人曰くああいう地に足がついてない生き方は好きじゃない、自分はどちらかと言えばエッちゃんタイプの人間だと思うとも言っていました。もしかしたら嫌いな人にそんなことを言われたから悪印象になってしまったのかもしれないなぁ…と思いつつ、よくよく考えたらあれってバブルの終わり頃の漫画だから今と感覚が違うところも結構ありますね。るきさんは在宅で病院の保険の計算の仕事をしていてるけど、計算が得意だから1ヶ月分を1週間で終わらせて、あとはのんびり暮らしてる。でも今それを東京で一人暮らしで出来るかって言ったら出来ないもんな(それが出来るのはエッちゃんタイプの人な気がする…)。その人はそういうことを言ってるのかもしれない。でも私は自転車に乗りながらおせんべいをかじったり、突然イタリアに飛んでっちゃうようなるきさんにやっぱり憧れる。地に足がついてない方が自分でも予想がつかないことが起きて、より人生が楽しくなるってことがあると思うから。
※ネタバレを含むクチコミです。
あとがきを読むと、高野文子はフィクションの世界と実用性を同時に持つ物語を志向し、著した作品であると語っている。 ドミトリーともきんすは、その言葉通りの作品だ。日本の名研究者の若かりし頃に想いを馳せて、もしも自分が寮で暮らしていたら、という空想から展開される。 私は研究者には詳しくないが、なんとなくキャラを掴んでるんだろうなぁと思えるくらい魅力的に彼らが語られている。偉大な研究者に対して、こんなに親しみを抱かせてくれる作品が他にあるだろうか? 物語の世界の中で、研究者たちと仲良くなれたような気になってしまう素敵な作品だった
日本のお友達――春ノ波止場デウマレタ鳥ハ やりたい劇の役になれなかったことを独白する場面から、しばらく目が離せなくなった。初版の淡いカラーページと少女的な感傷の組み合わせがあまりに美しすぎる。 物語も、嫉妬から、チルチル役の笛子さんの境遇を知り、手を差し伸べる、成長譚として完成されている。とにかく美しい漫画だった。
どの短編も見れば見るほどに発見がある。とりわけ私は「あぜ道ロードにセクシー姉ちゃん」に衝撃を受けた。 主人公は田舎に暮らす普通の女の子。田舎に対しての「うんざり感」が見て取れ、都会に思いを馳せている。スゴイのはこれを「語らずに」表現しているところだ。 田舎っぽい話題で話しかけてくる母親に、主人公はまともに返事をしない。その聞き流す態度で、その心情を表しているのだ。たしかに会話は、言外の態度で、本心などがバレる。そのリアルさをそのまま漫画に持ってきたのだ。この時代にこの作品に出会った人は面食らっただろうな~
当時好きだった人にこの漫画を貸したら感想が「エプロンの眼鏡っ娘がよかった。ああいうの弱いんだよね〜」で、あの傑作「奥村さんのお茄子」をまさかの萌え目線でみていた。ショックだった。3年の片思いが終了した。
いまだかつて、こんなにもギラギラと生々しい短編集をみたことがない。漫画が漫画でなくなるスレスレの作品群、でも、そんなとき、高野文子は誰よりも漫画というものの本質に接近している……。
伝説の漫画家、高野文子の5冊目となる単行本作品集の最後を飾るのが『奥村さんのお茄子』。 ずっとずっと遥か遠くからはるばるやって来たという謎の女性が唐突にヘンテコな質問をしてくる「1969年6月6日の木曜日、お昼なに召し上がりました?」。はなしは当然、1969年6月6日木曜日のお昼のことを中心にして進んでいき、謎の女性はどうやら宇宙人であることがぼんやり分かってくるのだけど……。 と、そんなことは案外どうでもよくて、物語のさいごの調査報告とともにお唄がはじまります。誰かの忘れ去られた他愛のない1日も、誰かの忘れられない特別な1日も、そんなものが積もり積もってできる日々のすべての一瞬一瞬、そんな一瞬のどれでもいいひとつにちょっと目を向けてみれば、そこには無数の奇跡がひっそりと息づいている、それはとてもひとつの物語では語りつくすことのできない無数の奇跡、そこでは小さな草や虫や影から宇宙人までもがひと息に登場する。 語りつくことができないのなら、せめて、お唄にしてみましょう。 ぼーがいっぽんあったとさ…… ちなみに、このお唄をさいごまでうたって、この本をいちばんさいしょから読み返してみると、そこには無数の奇跡が、さらにお外に出て散歩をしてみるともっとたくさんの無数の奇跡が……。
わずか1冊の単行本の中にものすごく壮大なテーマが託されている。 あえて手前の部屋と向こうの部屋のパースをずらすことで、あちらの世界とこちらの世界の彼岸を再現していたり、ベランダの柵がコマ割りとなっていたり、ここでは書ききれない程の重層的な技法が含まれている。そして、それら全てを包括するように、あえて切り離された記号とも文字とも絵とも捉えられる高野のみが到達出来た線画によって、生と死の彼岸が描かれている。