安易に語らず雄弁に語る物語 #1巻応援
ほそやゆきのさんの待望の作品集が発売されました。 四季賞2021春で四季大賞を受賞した「あさがくる」は公開当時非常に話題になった名作短編です。その作者が昨年秋に&Sofaで連載を始めるとして注目されていたのが表題作の「夏・ユートピアノ」です。 ピアノの調律師の娘で進路に迷いを抱いている新(あらた)と、有名ピアニスト駒木牧子の娘である弱視のピアニスト・響子が出逢うことで生じるハーモニーが描かれる「夏・ユートピアノ」。 宝塚の受験に4回落ち続けた19歳の朝顔が、同じく宝塚を目指す少女・胡桃と邂逅によって運命のクロワゼが紡がれる「あさがくる」。 いずれも、芸術に関わるものに人生を捧げるうら若き乙女たちとそれぞれの懊悩が描かれている作品を2作品収録しています。 ほそやゆきのさんの良さの最たるところは、(特に要となるシーンにおける)間や静寂の使い方。大切なことや想いを安易にセリフに託さず、むしろそういった部分をこそ絵で、表情で、無言のままに表現します。文字の密度が非常に濃いページもあり、コントラストがよりその効果を引き上げています。 そして、そのような演出の巧さによって引き立てられるキャラクターたちの複雑な感情の丈が、大きく胸を打ちます。それは、個々人の記憶の奥底にある思い出と結びついたり、重ねたりする大きな力を持ちます。 このふたつのお話には、どちらも希望があります。すべての願いが叶うほど安易で優しくはないこの世界ではないですが、叶わなかった願いを抱えて歩み行く先の道を照らしてくれる暖かな光のような作品です。 待ち望んでいた人も多いであろう短編集、この機会に多くの未読の方にも届けたいです。
輝く人の物語は私の心を掴むが、輝けずに足掻き、うつむく人の物語は私の足首を捉えてしばし立ち止まらせる。その時私は「道」を振り返る。
★★★
二篇の物語が紡がれる。
『夏・ユートピアノ』は調律師の卵とピアニストの娘の物語。偉大な親を持つもの同士、苦しみや諦めの中、辛うじて調律師の卵が、時を止めてしまったピアニストの娘の手を取る。
ほんのひととき、共にいた程度の関係。それで何故二人が前を向けるのか、言葉では明示されないが実感はよく伝わる。調律の機微、少し進む事の重要性、大事な物から離れない事。過程の一コマひとコマが切実なのだ。
『あさがくる』は宝塚受験に失敗した人と、これから受験する人の物語。他人との関係が下手な受験生も、彼女と関わりながら落選の傷が癒えない人も、なかなかもどかしい。
しかし最後まで読むと、自分にもあるそのもどかしさが決して無意味なものではない、という希望が見出せる。
★★★
一筋縄ではいかない、強いカタルシスもない、もどかしい二人の物語はそれでも、私の希望になる。それはかつて何かを得ようともがき、得られずに終わった「道」も実は終わっていない、という事を描くから。
二人の道も、私の道も、本当の終わりまではどんなにもどかしくても終わらない。そして本当の終わりまでは、何度でも立ち上がっていいのだ……そんななかなか気付きにくい勇気をもらった気がした。