あらすじピアノの調律の家業を継ぐため実家に戻った新(あらた)。彼女はそこで他人との交わりを拒否するかのような生き方をしている饗子(きょうこ)と出会う。響子は国際的なピアニストの娘だった。未熟な二人がピアノを通して少しずつ交流を深めていく。近づいては離れ、一瞬の理解と寄り添いに喜びを感じつつ、二人は自分の人生を生きていく。他に四季賞2021春のコンテスト四季大賞受賞作で、発表時に大きな話題を呼んだ読み切り『あさがくる』も収録。
輝く人の物語は私の心を掴むが、輝けずに足掻き、うつむく人の物語は私の足首を捉えてしばし立ち止まらせる。その時私は「道」を振り返る。 ★★★ 二篇の物語が紡がれる。 『夏・ユートピアノ』は調律師の卵とピアニストの娘の物語。偉大な親を持つもの同士、苦しみや諦めの中、辛うじて調律師の卵が、時を止めてしまったピアニストの娘の手を取る。 ほんのひととき、共にいた程度の関係。それで何故二人が前を向けるのか、言葉では明示されないが実感はよく伝わる。調律の機微、少し進む事の重要性、大事な物から離れない事。過程の一コマひとコマが切実なのだ。 『あさがくる』は宝塚受験に失敗した人と、これから受験する人の物語。他人との関係が下手な受験生も、彼女と関わりながら落選の傷が癒えない人も、なかなかもどかしい。 しかし最後まで読むと、自分にもあるそのもどかしさが決して無意味なものではない、という希望が見出せる。 ★★★ 一筋縄ではいかない、強いカタルシスもない、もどかしい二人の物語はそれでも、私の希望になる。それはかつて何かを得ようともがき、得られずに終わった「道」も実は終わっていない、という事を描くから。 二人の道も、私の道も、本当の終わりまではどんなにもどかしくても終わらない。そして本当の終わりまでは、何度でも立ち上がっていいのだ……そんななかなか気付きにくい勇気をもらった気がした。