影絵が趣味1年以上前編集導入の、母のひとコマ、父のひとコマ、娘のひとコマ、それから、それら三人に息子を加えた朝の忙しないリビングを俯瞰で描いた大コマ、もうたったのこれだけで十二分に素晴らしい。 「サトル、ニンジン食べて!」という母に、 「ボク、サトルって名前 キライだ」とかえす息子。これで一頁。 なかなか衝撃的なセリフではあるけれど、テンポがいいのか、なんなのか、あまり悲壮感のようなものはなく、むしろ恩寵にあふれている。 父は日常の忙しなさから逃れるために山へ行こうとする。ところが道行く先々でひとに捕まってしまい、なかなか山へ辿り着けない。けっきょく今日も忙しくなってしまい、泣く泣く山は諦めることに。でも、山へ行けなくても、このマンガの端々に恩寵がひっそりと息づいていることは山をみるより明らかである。1わかるfavoriteわかるreply返信report通報
あらすじ「そうだ、今日は山へ行こう」 …ある日の朝、小説家の生方(うぶかた)は目覚めと共にそう思い立つ。一切の日常を後にして、取材でもなんでもなく、ただ山に行くため、彼は自転車で出発するが…!? 表題作ほか、母と子を描く「春の小川」、実験的な野心作「柳の木」など、日常と非日常が混じり合う瞬間を切り取った、シリーズ“ここではないどこか”連作集・第一弾。 ※このコンテンツは「山へ行く」文庫版をデジタル化したものです。続きを読む
山へ行く
導入の、母のひとコマ、父のひとコマ、娘のひとコマ、それから、それら三人に息子を加えた朝の忙しないリビングを俯瞰で描いた大コマ、もうたったのこれだけで十二分に素晴らしい。
「サトル、ニンジン食べて!」という母に、
「ボク、サトルって名前 キライだ」とかえす息子。これで一頁。
なかなか衝撃的なセリフではあるけれど、テンポがいいのか、なんなのか、あまり悲壮感のようなものはなく、むしろ恩寵にあふれている。
父は日常の忙しなさから逃れるために山へ行こうとする。ところが道行く先々でひとに捕まってしまい、なかなか山へ辿り着けない。けっきょく今日も忙しくなってしまい、泣く泣く山は諦めることに。でも、山へ行けなくても、このマンガの端々に恩寵がひっそりと息づいていることは山をみるより明らかである。