南瓜とマヨネーズにはリアリティがある。それは設定の話ではない。言うならば『噛み合わなさ』だ。
それは、なんでもしてあげたいとは違う人と一緒に生活していることだったり、あるいは売春までして守りたいものがなにか分からなくなってしまったり、言うつもりもないお金のことを勢いで責めてしまったり、なんとなく気まずくなって同棲関係が破綻することだったり。
セイちゃんとのやり取りにはこうした『噛み合わなさ』にあふれている。
いつの間にか袋小路に追い込まれてしまって、どうしようもなくなっている感覚。これは平凡だからこそ生じるものだ。
理想の恋人『ハギオ』はこうした平凡とは対比的だ。『彼のためならなんでもできる』のだから『噛み合わない』なんてことは起き得ない。
加えて、主人公はハギオの冷酷さに気が付いている。気が付いて、知らないふりをしていたのだ。いうなればハギオは主人公にとって、物語の恋のように盲信できる存在として描かれている。
けれども主人公はリカとの繋がりに助けられ、ハギオの幻想から逃れて、平凡を勝ち取る。
平凡はこれだけありふれていながらも、得難く、劇的だ。南瓜とマヨネーズを読んで、私が心が強く動かされたのは『平凡』だからだろうと思った。
わたしたちのこのありふれた平凡は本当はとてもこわれやすくてなくさないことは奇跡名作復刊!!魚喃キリコが描く心に沁みる長編恋愛ストーリー!!ハギオのためなら、たぶん、あたしなんだってやる※本書は1999年に宝島社から同タイトルで発売されたものと同じ内容になります。
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