古地図大好き女子高生・ちづか。風の向くまま気の向くまま、今日も古地図片手に街散策! あなたの住む街にも現れるかも? 街歩きが楽しくなる、出会いと感動の“街再発見”コミック!
独自&独特なる審美眼を持つ謎の美女「マダムG」と、その助手・雨宮青年の数奇でアカデミックな日常。今回、美の深淵へと誘うのは、切手から幽霊画、高峯秀子まで多種多様。摩訶不思議、眉目秀麗なエッセイドラマ!
日常を非日常に変える天才の最新エッセイ! 稀代のさんぽ者・グレゴリ青山が、脳内から実存まで、猫にキモノに京都に… 縦横無尽に赴き考察するエッセイまんが。なんでもない風景が、グレゴリ先生の手にかかれば、とんでもなく魅力的に大変化! 出世作・旅のグシリーズ以来、京都観光シリーズ、スケオタデイズ等をものした著者の最新作!
稀代のさんぽ者・グレゴリ青山が、脳内から実存まで、琵琶湖からインドまで、多くの場所に赴き考察するエッセイまんが。月刊フラワーズで好評連載中の「グレさんぽ」がついに待望の単行本化!! 出世作・旅のグシリーズ以来、京都観光シリーズ、スケオタデイズ等をものした著者の最新作! 7月に集英社インターナショナルから発売された「深ぼり京都さんぽ」に続きグレゴリ青山の新刊が2か月連続発売!! 読み応えたっぷりのフラワーコミックススペシャル。楽しいさんぽに必携の書!!
独自の「審美眼」が弾ける蠱惑のエッセイ・コミック 究極の「美」を探して、飽くなき追求を続ける謎めいた美女マダムGと、その書生(?)雨宮青年のコンビが暮らす「マダムGの館」。妖しいその扉の向こうにはめくるめく華麗な世界が広がっている。その秘密めいた部屋を彩るのは、探偵小説、魔都上海、豪華客船、インド映画、竹久夢二、太宰治、夢野久作そして猫のくりんくりん(??)&more...!! ひとたびその扉を開けた者にとって引き返すことは到底不可能だろう。雑誌「旅行人」(バックパッカーのバイブル)でデビュー以来、古書情報誌「彷書月刊」をはじめ青年誌から情報誌、新聞等に至るまで多彩なメディアで神出鬼没の作家・グレゴリ青山。「月刊flowers」で異彩を放つ彼女の注目連載、待望のコミックス化。
その子犬は、生まれる時産道でへその緒が切れ呼吸を始めるまで30分かかった。「残念ですがこの子は育たないと思います」獣医にそう言われた石川夫妻は「この子頑張ってるだから生きてるかぎり私が世話をするわ」「そうだね最善を尽くそう」そう話してその犬を世話すると決めた。「おとうさんこの子鳴かないね鳴けないのかしら一度も声を聞かないわ」子犬は立っても、バランスを保つことができない。石川さんはスポンジと布で頭を守るヘッドギアを作った。はじめは3歩翌日は7歩。何度転んでも子犬は前に進もうとした。「この子倒れても倒れても起き上がろうとしている」「起き上がりこぼしのコボちゃんだ」名前が決まった「コボ」は、それから奇跡の犬となる…。北海道ムツゴロウ王国で、30余年。犬と人とが同居する楽園“百友坊”で、2000匹の犬たちと石川さんが見つめてきた命の物語を、短編の名手・奈知未佐子が温かく精緻なタッチで描き出す…ブー、マロ、タブ、ミゾレ、ダーチャ、タロー、ベルク、ラーナ、シグレ、トカチ、そして奇跡の犬、コボ。11匹の犬たちの物語。犬と人、出会いと別れの感動の実話。単行本化にあたって、石川利昭氏が綴ったそれぞれの犬の思い出エッセイも同時収録。実際の犬たちの写真なども多数収録。読み応えたっぷりのコミックスです。
華道に茶道に歌舞伎に陶芸。鵜飼いに書道に盆踊り…!? なんて素敵なディスカバー・ジャパン!! お稽古ごとは、いと楽し!! 『千利休』が好評重版中の清原なつのサンがあらゆる趣味を体験レポート! 清原サンが飛び込んだ、日本の芸道、伝統の世界。その奥深さ、美しさ、おもしろさがギュギュッと満載。歴史上の偉人も、多数登場! 楽しくて、種類が豊富でしかも、ためになる。よくばりなあなたに読んでほしい!! 読めばやってみたくなる、清原流お稽古エッセイコミック 登場です!!
明治時代の作家、国木田独歩は、その昔より、壮麗な原野として、ひろく「武蔵野」と呼ばれ、伝聞されてきた、東京とその近郊の一帯をみずからの足で練り歩き、いまや生活と自然とが一体となり、雑木林のそこここに生い茂る、その当時現在の武蔵野の地をみずからの目で再定義し、その美しさを随筆『武蔵野』に書き記しましたが、どうやら、古地図大好きガールちづかのやっていることは、独歩にずいぶんと近いのではないでしょうか。 ちづかは古地図という飛び道具を使い、みずからの目で、あの街やこの町から、些細な、でも、とっても喜ばしいちょっとした出来事を発見します。古代人のみた武蔵野も、独歩のみた武蔵野も、ちづかのみている現在の東京も、そして、これから先のあの街やこの町も、それらの風景は川の流れのように絶えず変化をして、あとには残らないけれど、それでもひとつ変わらないことがある、それはみずからの目でものをみて、そこから些細な、でも、とっても喜ばしい何かを感じとることのできる人間の心だとおもいます。