ルリドラゴン

周りに支えられ存在していることを痛感できる。

ルリドラゴン 眞藤雅興
干し芋
干し芋

ある朝起きたら、角が生えていた女子高生のルナ。 早速、母親に報告するも、「お父さんが、龍だからね。」「遺伝だしね。」と軽くいなされる。母親の態度に、そんな重要なことではないのかとそのまま登校。 同じクラスの子たちも、反応はそれぞれだが、概ね受け入れている感じ。 先生からあてられて、本を読んでいると火を吐いて、口の中やけどしたり、血まみれになったり、前の席の子の髪の毛を焦がしたり・・・。 今現在では、人と違うことでいじめにあったり、仲間外れになって孤立したり、生きずらい世の中。 それを、親や親友が陰で、支えてくれている。なんでも話せて、相談できて、前向きなアドバイスをくれる存在はとても大きい。それによって、一歩を踏み出し、新たな関係性を作っていく。環境が変わったことで引っ込み思案だった自分の殻を破って話したことのないクラスメイトと話してみたり、自分の行動で周りも変わってくるし、周りが変われば、環境も変わってくるし、一人で悩まなくてもいいんだよって教えてくれる、とっても素敵な漫画。 突飛な設定もすんなり入ってっくるのは、登場人物たちの心の奥の優しさがあるから。 1巻読了。

親愛なる贄たちへ

既視感はあるが意外に読ませる

親愛なる贄たちへ 八町智大
名無し

まずプラスやスクエア、増刊誌を含むジャンプの読み切りには、スタイリッシュな絵柄の系譜というのがあると勝手に思ってて、もちろん本作だけじゃなく、少し前の「檻の中のソリスト」だったり最近話題を呼んでいる「宇宙の卵」や今日発売のWJ44号に載ったばかりの「根暗闇蔵」など、挙げればきりがないよなー そんでこの読み切りも、西洋風スタイリッシュの系譜だと言っていい。ジャンルはダーク・ファンタジー、ストーリーは大まかに言うと世界観が前面に出て来るタイプで、生命を左右する過酷な状況のさなか、主人公は運命に翻弄されながらも大切な人を守るために行動し、世界の秘密にも触れたりする、まあ王道なあれだ。世界観はさておき、その画風に初期の進撃の巨人を思い出す向きも多そうだが、もう一つ、重要な影響を見てとるのは難しくないようにおもう。他でもない、藤本タツキだ 割と真面目な話なんだけど、そこを緩和させるかのようなシリアスな笑いがところどころに現れてくる。冒頭のセックスがどうこうというくだりは笑っちゃいけない場面なのに盛大に草が生えた、訴訟。この緊張と緩和、間の取り方など、まさにタツキ作品の特徴のそれをリスペクトしたように思えてならない。加えて、途中からファイアパンチのトガタっぽいキャラクターまで出てくるのですよ。 タツキチルドレンの鑑や・・・(適当) 世界観でも正直既視感はあった。巨人要素では進撃がそれだが、封建的な村が舞台であり、神への生贄が定期的に捧げられ、巨人が聳え立つ。お気づきでしょう、山下和美のランドっぽいぞと。影響受けてそうだぞと。 しかしじゃあこの読み切りが先行作のエピゴーネンにすぎないのかというとそうとも言い切れないのがまた興味深い。絵は、上手かは意見が分かれるところだろうが、丁寧に描かれているし、世界観、ストーリー、キャラクターにしても既視感や稚拙さがそこかしこに見え隠れするが、その奥に不透明な、何か芯のようなものが一本通ってる感じがして、不思議と読ませる。捻ったようでいて、よく考えると、実は行きて帰りし物語の王道には忠実に沿っているのが助けになっているのだろうか。 昔、インターネットには何の見返りもないのに発想が独特で、クールな漫画があきれるほどたくさん公開されていた、という趣旨のあとがきを以前書いたのは新都社出身の詩野うら先生だっただろうか。週刊少年ワロス、個人サイトにそれらの漫画は載っていた。たぶん、多くはいまもそのまま読める。そういう漫画たちを思い出させてくれたのが、本作の「不思議と読ませる」の正体かもしれない。 哲学者ロラン・バルトはかつて「テクストは引用の織物である」と有名な言葉を残した。ぼくらが「オリジナリティ」だと思っている発想も、実のところこれまで培われた歴史の上に成立しているのだ。バルトが語ったのは広義の文章全般についてだったけど、漫画にもそれは当てはまるのではないだろうか。つまり、どんな漫画であっても、ほぼ例外なく何かしらの先行作の影響下の元に成立している、と。 そうした先行作の影響から抜け出して、独自の何かを見つけられた時が、真の勝負どころなのかもしれないな。