あのときのこどもさん

ノストラダムス、ビーダマン、ミニ四駆、エスパークス…… #1巻応援

あのときのこどもさん カメントツ
兎来栄寿
兎来栄寿

1990年代に子供時代を過ごした30代にダイレクトクリティカルヒットする、筆者のカメントツさんが幼いころの思い出を描いた作品です。 ノストラダムスの大予言、恐怖の大王、流行りましたよね。『MMR』などによって極限まで終末の恐怖を煽られていた私も多分に漏れず、世界の終末がどのように訪れるのか戦々恐々としていました。今考えると、人間がいかに踊らされやすい生き物か解る事例であると思います。 ビーダマンも流行っていましたね。カメントツさんによる「なぜビーダマンが流行ったのか? それは『飛ぶ』『光る』『かわいい』という人間の根源的欲求をすべて満たしているから」という説には思わずなるほどと首肯してしまいました。キラカードや宝石を集めたり、ラピュタやピレネーの城に無性に惹かれたりするのもそういった類の理由なのかもしれません。付け加えるなら、投擲や射撃に類する行為というのは狩猟時代の本能的な名残りもあるのかもしれません。ともあれ、小島さんの改造ビーダマンなどには「やるやる!」と頷くことしきりでした。 バトル鉛筆はうちの学校でも禁止されてしまいました。バトル消しゴムまで使っていたドラクエ神推し小学生としては切なさ乱れ打ちでしたが、しかし私たちのバトエン熱はそんなことではかき消すことはできませんでした。通常の鉛筆に1〜6の数字を振って、ノートに数字に対応する効果を記すことで「脱法バトル鉛筆」を嗜んでいました。そうすると自然とオリジナル能力を考え出すことにも繋がり、ゲームとして更に進化していったのですがそうした部分でもカメントツさんのエピソードと通ずるところがあって深い共感をしました。 エスパークスに関しては、しっかり公式の許可を得ているようで綿密なストーリー解説がなされており、当時は断片的にしか知らなかった物語やキャラクターを今改めて知ることができて感謝しています。 2巻で出てくる、カードダスやそこから派生するオリジナルゲーム作りのエピソードも大好きです。冨樫義博さんなどもそうですが、ああいう時に異様に高いクリエイティビティを発揮していた人は何かしらの人物になれている気がします。遊びって大事だなぁと。 読んでいる間だけ、あのころ小学生だった自分に戻れる作品です。直撃世代の方にはもちろんですが、世代から外れている方にも「ああ、こういうものがあったんだなぁ」と楽しく読める歴史的な知識を学ぶ資料として面白く描かれているのではないでしょうか。

クジマ歌えば家ほろろ

妙なリアリティのある奇妙な鳥人間と居候コメディ!

クジマ歌えば家ほろろ 紺野アキラ
吉川きっちょむ(芸人)
吉川きっちょむ(芸人)

めっちゃくちゃ好きです!! 中学一年の鴻田新(こうだあらた)が学校からの帰り道に出会ったのは腹をすかせた奇妙な人型の鳥みたいな人語を話す生物・クジマ。 聞くところによるとロシアから来たという。 日本食が食べたくて来たというが…。 いろいろあって翌年の春にロシアに帰るまで住むことになったクジマと鴻田家のホームコメディ! https://gekkansunday.net/work/4466/ 1話あたりそこまで長くない話で、寒くなると日本に来て暖かくなるとロシアに行く渡り鳥みたいなやつに居候されるっていう奇妙な設定が素晴らしくハマって面白いです! 奇妙な鳥ってだけでも面白いのに、ロシアから来てるからロシア語話せるしロシア料理作れるし、たまに外国人みたいな「分からないデス」みたいなとぼけ方を入れてきたり、ブチ切れるとロシア語で罵倒したりともう、面白い! 単純にロシア人の留学ものとして見てもいいのかなって思ったら、最悪、虫食べて生きていけるっていう、それはもうマジで鳥じゃんっていう部分も垣間見せたりでクセになる! 紺野アキラ先生、いままで読切も漏れなく全部面白かったので、連載始まって本当に嬉しいです! ホラーも面白かったので、この鳥にも少し怖さがある気もしますが、ホラーとコメディって表裏一体なので楽しみです。

えをかくふたり

祈りに似た絵という言語 #1巻応援

えをかくふたり 中村一般
兎来栄寿
兎来栄寿

こういう作品が、とてもとても大切だと思います。 『ゆうれい犬と街散歩』の中村一般さんの新作です。 ″ふたりにとって、「絵」は言語だった″ という印象的で秀逸なモノローグから幕を開けるこの物語は、25歳のイラストレーター花海修(はなみおさむ)が主人公。AI人型ロボットがデータ収集目的でひとり暮らしのモニターを募集していたところに修が応募して見事当選したことで「DLHC2030」、通称ハルと共に暮らしていく日々の様子を描いていきます。 元々イラストレーターとして活躍されていた筆者自身の経験がふんだんに込められているようで、現代におけるイラストレーターの仕事描写の解像度が高いです。本の装画の仕事では、帯やバーコードの位置を意識して絵を考えるなど言われてみればなるほどと思うような仕事のディティールの妙があります。装画仕事の進め方やリモート会議の様子など非常にリアルです そうした仕事マンガとしての興味深さもありながら、この作品の何よりの美点は創作者として生活している修の感性の豊さです。 2話の「夕陽はメッチャ動物的」の件なども良いですが、とりわけ1巻の最後に収録された5話が最高です。 ″俺の経験上、「絵を描くという行為」そのものは、  祈りに近いような気がしていて″ のパートは、読んでいてしみじみとする素晴らしい言語化がされているなと思います。絵のみならず、他の創作や多くのことに通ずる真理でしょう。 かつて神保町の高岡書店の店長が閉店時に「マンガがあれば、僕らはまたどこかで繋がれます」と語ってくださいましたが、マンガという言語で世界や人と繋がっている私にはとても沁みました。 ″いつから絵を描くことは  資本主義の競争に勝つための  武器になっちまったんじゃ〜!″ ″そういうことを忘れない人間でいたい  彼らにきちんと祈れる人間でありたい″ という修の語る言葉は、今の時代において極めて重要なテーゼです。一番大事なことを常に忘れずに、見失わずに生きていたいと思わせてくれます。 そして、イラストレーターということもあって決めのシーンの一枚絵から生み出される情緒がまた堪らず、湧き起こる感情を繊細かつ雄弁に補強します。 何気ない風景の1コマにも魅力が宿っており、読んだ後は心に風を通したように軽やかにしてくれる作品です。