交響詩篇エウレカセブン

君はエウレカセブンのプレイリストを作っただろうか?

交響詩篇エウレカセブン 片岡人生 BONES
せのおです( ˘ω˘ )
せのおです( ˘ω˘ )

君はエウレカセブンのプレイリストを作っただろうか? スーパーカー、ジョイディビジョン、ニューオーダー、oasis、ビョーク、ハービーハンコック、Beastie Boys、コーネリアス、坂本龍一…などなど、 この名々を見るだけで人生がいかに豊かになったか分かるだろう、 君はエウレカセブンを観て何を始めたか?何に憧れたか? 思いっきりボードを蹴ってみたい、メットなしでスクーター走らせて「この最悪な街」から逃げ出してみたい、音楽に体をあずけて思いっきり踊ってみたい、みんなでサッカーをしてみたい、 一つずつ叶えた日々は、今でもかけがえのない日々である 君はエウレカセブンを観て誰に出会ったか? 吉田健一というアニメーターを初めて強く意識した。彼の描く人物の表情に涙した。彼の関わった作品を夢中で観た。それだけで多くの出会いになった。 君はエウレカセブンを観て何を学んだか? 「ねだるな、勝ちとれ、さすれば与えられん」! そして「ア〜イキャ〜ンフラ〜〜イ!」と叫べば好きな子の元までひとっ飛びで行けちゃうかも?! エウレカセブンを学べばサブカルチャーを一周できちゃうくらいには、様々な要素が散りばめられています。これほど青くさい10代の為になるアニメ・漫画はないでしょう… そんなエウレカセブンにトリコジカケニナったわたしの人生は、まだまだ「つづく」!!

ドカベン

だから野球マンガは面白い!

ドカベン 水島新司
影絵が趣味
影絵が趣味

当初は柔道マンガとして始まり、いくつものシリーズを経由しながら、ひじょうに長い年月を経て、とうとう『ドカベン』に終止符が打たれた。最終巻の最終話では、第一巻の第一話における山田と岩鬼の出会いをそのまま回想としてなぞり、このあまりにシンプルでありながら、これしかないという演出には言うにいわれぬ感慨を憶えたものだった。 『大甲子園』を含めたドカベンシリーズの本流だけで全205巻。それ以外の支流からドカベンシリーズの本流に合流してきたものを合わせれば300巻に迫る勢いである。じつは、こち亀の200巻の記録をゆうに超えてしまっているのだ。 この途方もない事態は、おそらく『ドカベン』にのみ関わるものではない。すべての野球マンガに、野球マンガというジャンルに関わるものであると思う。マンガには様々なジャンルがあるが、そのなかでも野球マンガというジャンルは、マンガという体系に対して、ある特権的な位置を占めていると思うのだ。これはハリウッドが西部劇というジャンルとともに映画産業を発展させてきたのとよく似ているような気がする。すなわち、ここでは映画が西部劇を撮るのではなく、西部劇という土壌が映画を撮らせているというある種の逆転現象が起きている。映画においてもっとも重要な光線の処理の問題、これをハリウッドはその近郊の年中天候の変わりにくい荒涼地帯で西部劇を撮ることで解決してきたのだ。天候がほいほい変わればそのたびに撮影を中断せねばならないが、西部劇ならばそんな心配はしないでどんどん撮影をすすめ、作品を量産することができる。つまり、こうした西部劇の量産で興行した潤沢な資金を次の撮影にまた注ぎ込むというサイクルがハリウッドにはできていたということだ。 では、マンガはどうかといえば、マンガ制作に天候はあまり関係がなさそうだが、やはり手塚治虫の登場いらい体系の整えられてきたコマと記号の処理という問題が"大友以降"のマンガにおいても頭をもたげてやまないはずなのだ。というより、マンガにおける諸問題はコマをいかに処理し、記号をいかに処理するかに集約されるはずだ。あれだけマンガというものに抗ってみせた『スラムダンク』の井上雄彦もけっきょくはコマからは逃れられないし、記号には頼らざるを得ないところがあった。そもそも井上がマンガに抗わざるを得なかったのはマンガ家という身分でありながらバスケが好きだったという不幸に由来する。マンガでバスケの動きをどう表現するか、それは文字通りマンガへの過酷な抵抗であったことだろう。『スラムダンク』の美しさは、このマンガへの過酷な抵抗と山王への果敢な挑戦がダブるところに集約されるだろう。ただ、あくまでも井上に許されていたのはマンガへの飽くなき抵抗という姿勢までで勝利ではなかった、だからこそ湘北が山王に奇跡のような勝利をおさめたときに連載を止めねばならなかったのだ。その点で、マンガは野球に愛されていると言わざるを得ない。愛に守られてスクスクと育ち、野球マンガに特有の素晴らしき楽天性でもって『スラムダンク』とはまたちがった豊かさを随所で花開かせている。そのことは近年ますます豊饒となった野球マンガのひとつ『おおきく振りかぶって』にもよく描かれている。すなわち、打者のほとんどが打ち上げてしまう三橋くんのまっすぐ、打者はボールの運動をじっさいに目で正確に追っているのではなく、その軌道を経験的な記号として捉えてバットを振っている、と。このことは野球を外からみる側にもいえる。投手が構えて、ボールが投げられる、打者が構えて、バットが振られる、この一連の運動を隈なく目で追っているひとなどいないはずなのだ。わたしたちが見ているのは、投手が構えて、次の瞬間には、構えていた打者がスイングし終えていて、マウンドの投手はまるでバレエでも踊るみたいな不可思議な格好になっている。この野球をみるときの呼吸はマンガの呼吸とぴったり合いはしないだろうか。コマからコマのあいだの欠落を敢えて埋めようとはしなくてもマンガは野球を経済的に語る術をはじめから心得ていた。つまり野球マンガは、あるいはバスケマンガのように、マンガそのものに抵抗する必要があらかじめなかった。この追い風を受けてマンガは野球という物語を幾重にも変奏して量産することができたのではないかと思うのだ。

バジリスク~甲賀忍法帖~

パチスロでも大人気

バジリスク~甲賀忍法帖~ せがわまさき 山田風太郎
マウナケア
マウナケア

「ダークナイト」や「アベンジャーズ」もいいけれど、日本人としては”超人”や”集団能力戦”といえばやっぱり忍者でしょう。数多くの名作が存在し、その小説の大家である山田風太郎ファンである私にとっては、ヒーロー大作を見ると、つい、忍者だったらこうだよな、なんて思ってしまうのですよね。ま、それはさておき、その山田風太郎の代表作である甲賀忍法帖が原作であるこの作品。忍者の設定を生かしきり、壮絶な忍術戦を見事に描いていて、なおかつロマンチック…と、これでおもしろくない訳がありません。徳川の跡継ぎ争いに利用され闘うことになった伊賀と甲賀。選ばれたのはそれぞれ10人の精鋭たち。ヘビ人間にクモ人間、カマイタチ使いに毒吐息女、顔を写し取る男に不死身の男らによる人智を超えた闘いは凄絶を極める。そしてタイトルのモチーフになっている大将格の瞳術の男と破幻の瞳を持つ女、引き裂かれた愛する2人に待つものは…と、最後まで一気に読めるジェットコースター・ストーリーです。最近またパチスロになって人気のようですが、それでハマった方にもぜひ読んで欲しいですね。

機動警察パトレイバー

きみにいかれてメタメタ めちゃメカ狂い

機動警察パトレイバー ゆうきまさみ
ぱにゃにゃんだー

ゆうきまさみが描くパトレイバー は本当によく出来た作品だと思います。週刊連載なのでそれなりの話数にはなるのですが、1話その1のように話が区切られているので、全体としては20数話構成。ストーリーも細かいところへ枝分かれはしますが、基本的には謎のレイバーグリフォンとの戦いに終始しているので、話にブレがありません。一つの話を長く続けてここまで深めていけたのはパトレイバー シリーズの中でも、飛び抜けている点ではないかなと思います。 また、これは作家性の領域、あるいは漫画家という職業の強みかもしれませんが、キャラクターの魅力がずいぶん引き出されてます。特に主人公の野明のかわいさは全パトレイバーの中でピカイチ。そればかりか、あの太田さんまでも時折深みのようなものを見せるのですから、たいしたものです。 個人的に残念だった点をあげるのなら、野明がレイバーのことをイングラムと機体名で呼んでることですかね。アーリーデイズから入った人間としてはアルフォンスと呼んで欲しかった。完全に私の趣味ですが。 パトレイバーはゆうきまさみもTwitterなどで公言しているように、マルチメディア展開を念頭に置いた企画のようで、アニメが先、漫画が先ということはないらしいようです。あるのはどれが好きかでしょう。話として通ずるものも多く、例えばアーリーデイズと漫画には、海に現れた謎の巨大生命体を扱った話がありますが、前者ではハイドロジェンデストロイヤーで撃退しようとする本多猪四郎版ゴジラのパロディとして、後者として人間ドラマを織り交ぜたシリアスなストーリーとして仕上げていたりします。マルチメディア展開が故に楽しめる要素として、それぞれが楽しいですので、漫画共々パトレイバーは読まれ見られ続けて欲しいです。