渚 ~河野別荘地短編集~

個人的に期待の作家

渚 ~河野別荘地短編集~ 河野別荘地
六文銭
六文銭

短編集を読めば、その作家との相性がわかると思うんです。 短編という基本1話完結形式のなかで、物語上最低限必要なエッセンスのみつまっているから、その取捨選択というか、核となる部分だけみせてくれると相性も定まる気がするんですね。 そういう意味で、本作を読んだ瞬間、この作家さん好きだなと思いました。 個人的に石黒正数先生に近しいイメージなのですが、何気ない日常の中にファンタジーやホラーっぽい要素をスパイス的にいれてくるの、ホント好きなんですよね。 この作家さんも、似たような感じで、ドツボでした。 日常の切り方って、作家さんの個性が光ると思うんですよ。 え、そんなとこ注目するの? ってポイントが、興味深かったりするとそのままハマってしまいます。 (逆もまたしかり・・・) 本作も、短編の中にぎっしり作家の魅力がつまっております。 「スマートアシスタント」では、突然意識や感情を持ち始めたスマートアシスタントとの交流を描き、「生水」ではスライムみたいな生き物「生水」が当たり前のように日常にいる世界を描き、「旬」では書道教室の未亡人と、書道教室に通い始めた女子高生、そして主人公の3人をエロスこみでリアルな肉体関係(そしてほんのり切ない関係)を描き、そして表題作「渚」では人魚が、下半身を手術して人間になるという話たち。 題材とする着眼点もさることながら、人物の描き方もリアリティがあって自分好み。 作風も派手さはないのですが、じんわり染み込んで惹きつける魅力があります。 なんにせよ今後が楽しみな作家さんでした。

コーラル ~手のひらの海~

勇気を持った子どもたち

コーラル ~手のひらの海~ TONO
pennzou
pennzou

『コーラル ~手のひらの海~』は2007年から2014年にかけて『ネムキ』(朝日新聞社、朝日新聞出版)および『Nemuki+』(朝日新聞出版)にて連載された、TONO先生による長編作品です。全5巻の単行本に纏められています。 交通事故に遭い入院している少女・珊瑚。事故当時、珊瑚の母は珊瑚には本当の父親が別にいると言い残し、家を出ていってしまった。珊瑚はコーラルという人魚を主人公とした、人魚がいる世界の物語を空想している。人魚たちは人魚の兵隊を使役する。人魚の兵隊は人魚を守るために命を与えられた、男の水死体である。 人魚の兵隊・ソルトの姿形は、珊瑚が入院先で仲良しになり、そして亡くなってしまったサトシをモデルにしています。珊瑚が空想する物語にソルトが登場することは、珊瑚がサトシを(物語の中で)生かし続けることを意味します。 このように人魚の世界は珊瑚の空想でできているので、珊瑚の思うままです。ソルトを登場させるだけでなく、もっと願望を重ねた理想的な世界にすることだって出来るはず。物語が現実逃避の手段であるなら、なおのことそうするのが自然な気がします。しかし珊瑚はそうしません。人魚は、その血肉が万病に効くという理由で人間に襲われるし、身体を蝕んでくる回虫などから常に身を守らなくてはいけない。さらに人魚たちも一枚岩ではなく、それぞれに悪意もあるし意地悪さも持っている。そういう風に人魚の世界は作られています。それはちょうど、現実の珊瑚の身の回りに不安やノイズがつきまとっていることが反映されたかのようです。 珊瑚は、どうして人魚の世界をそのように空想するのでしょうか。 TONO先生のマンガには、ハードな状況に対峙する勇気や強い気持ちをもった子どもたちがたくさん描かれています。それはTONO先生が、子どもたちという存在に対しての信頼というか祈りというか、そういった希望を載せてマンガを描いているからだと思います。同時にそれは、現実世界や大人たちのイヤな部分を克明に描いているということでもあります。 この傾向は『チキタ★GUGU』や『ラビット・ハンティング』に顕著でしょうか。21年10月現在の最新作である『アデライトの花』も4巻で特にその傾向が強まったと考えます。 本作においても、珊瑚やコーラルはそういう勇気を持った子どもたちとして描かれていて、人魚の世界がハードにできているのはこれを描くためだと自分は考えています。勇気を持って頑張るコーラルの物語を想像することで、珊瑚は現実で勇気を持つことができる。大雑把な捉え方ではありますが、これは自分が物語全般を読む・見る理由のひとつでもあるので納得感もあります。 ただその上で、自分がもっと重要だと思うのは、勇気を持った子どもたちが描かれることは大人をも肯定することなんじゃないか、ということです。なぜなら、大人は子どもが育っただけだからです。(いい意味での、『少年は荒野をめざす』の日夏さんですね) 大人と子どもの違いって色々あるように思ってしまうけど、加齢していることと、大人には子どもに対して責任があること、本当のところはそれぐらいしかなんじゃないでしょうか。 そういうのもあって、自分はTONO先生の作品を読むと、現実社会を、時に勇気を持ってでも真摯にやっていかなきゃな…という気持ちになります。本作だと、ラスト付近の展開なんかに強くそう思わされます。 絵について書きます。『チキタ★GUGU』の連載後に開始された本作の段階で、TONO先生の絵柄はかなり確立されていると思います。キャラクターのみならず、背景の、例えば模様のような印象をもつ海藻などにも、TONO先生の絵!としか言いようのない独自の魅力があります。単行本表紙イラストなどの、淡く、それでいて少しくすんだような色合いの水彩で描かれたカラーは、きらびやかなだけでない人魚の世界を表しているかのようです。 先述の通り本作では現実と対峙するための方法として空想の物語を大きく扱っていますが、それ以外の方法も扱っています。そういうところも自分はとても好きです。 好きついでに、自分の本作の特に好きなところを挙げると、4巻途中(ボイルというキャラクターがね、めちゃくちゃいいんですよ…ポーラチュカ……)からガッとギアがシフトアップして物語の一番深いところまで達し、そこから少しずつ凪いだ水面に向かっていく、あの感じです。これは『チキタ★GUGU』にも同じようなところがあるので、TONO先生の作家性なのかもしれません。 最後に『薫さんの帰郷 (TONO初期作品集)』の表題作のモノローグを紹介させてください。以下引用です。 「勇気がいるな 幸せになるにはいつだってね 楽しい毎日を送るにはどうしてもね」(『薫さんの帰郷』、朝日ソノラマ、1998年、p174)

アキンボー

びっくりするくらい名作だった

アキンボー 下吉田本郷
かしこ
かしこ

下吉田本郷先生の代表作といえば「万福児」ですね。このイメージがとても強いので「アキンボー」を手に取った時も、ほのぼのギャグ漫画なのかな〜?と思っていましたが、最終的に私の心の名作10選に選ばせて頂きました。 詳しく説明すると、妻に先立たれて海辺の家に犬と二人で暮らしていた元大工のじーちゃんが人魚の赤ん坊のアキちゃんを拾って育てる話なので、ほのぼの育児ギャグ漫画といっても間違いではないです。小さい頃のアキちゃんのふてぶてしさは万福児の福志にも似ているし、そんなアキちゃんとじーちゃんと犬のフジオのやり取りはめちゃくちゃ面白いです。しかしこの物語は赤ん坊だったアキちゃんが中学生になるまで続きます。じーちゃんにはアキちゃんを人魚として育てるべきか人間の女の子として育てるべきかという葛藤が生まれたり、アキちゃんも成長して外の世界が見てみたくなり学校に行ったら初めてじーちゃん以外の人間との出会いがあったり、色々あるんだよ………。 最後まで読むと、こんなに立派に育てたじーちゃんは偉いし、アキちゃんがいつまでも幸せでいられるように願わずにはいられない。すごくいい漫画なんです。