終了
追悼水木しげる ゲゲゲの人生展
2017年3月8日〜3月20日
松屋銀座
2015年11月30日、日本を代表する漫画家・水木しげるは、93歳で他界しました。激動の時代を生き抜いた生涯は、漫画家としてだけでなく、妖怪研究家としても高く評価され、戦争体験や独自の世界観から生み出された数々の言葉にも注目が集まりました。そうした水木しげるの生涯を回顧する展覧会を開催します。 水木しげるは、1922年(大正11年)に生まれ、鳥取県境港市で育ちました。子供の頃から好奇心が旺盛で、近所に住む「のんのんばあ」から妖怪やお化けの話を聞かされては、死後の世界や妖怪に興味を持っていました 1943年に太平洋戦争に召集され、南方前線に赴きラバウルで片腕を失いましたが、奇跡的に生還します。戦後、美術学校に入学し、貧しい生活をしていく中で、1964年、「ガロ」で漫画家としてデビューし、1965年には第6回講談社児童まんが賞を受賞。以後、人気作家として「ゲゲゲの鬼太郎」、「悪魔くん」などヒットを連発しました。 2003年には故郷の境港市に「水木しげる記念館」が開館され、すでに300万人の入館者が来場し、2010年には妻の武良布枝さんによるエッセイをドラマ化したNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」も放送され、多くの共感を呼んだことは記憶に新しいところです。 本展では、水木プロダクションの全面的な協力のもと、人間・水木しげるが遺したものを徹底的に振り返ります。少年期の習作、戦地で描いたスケッチ、貸本時代からの貴重な漫画や妖怪画の原稿など、卓越した画力とメッセージ性がうかがえる作品130点以上を一堂に展示します。さらに、その人生経験に裏打ちされた独自の哲学が読み取れる名言紹介、作品が生み出された書斎の再現、愛用していた私物や世界中で収集した妖怪・精霊像コレクション、家族へのインタビュー映像や写真などを通じて水木しげるが追い求めた「幸福とは何か」に迫ります。初出品作品も多数。まさに水木しげる回顧展の決定版といえるものです。
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概要

2015年11月30日、日本を代表する漫画家・水木しげるは、93歳で他界しました。激動の時代を生き抜いた生涯は、漫画家としてだけでなく、妖怪研究家としても高く評価され、戦争体験や独自の世界観から生み出された数々の言葉にも注目が集まりました。そうした水木しげるの生涯を回顧する展覧会を開催します。 水木しげるは、1922年(大正11年)に生まれ、鳥取県境港市で育ちました。子供の頃から好奇心が旺盛で、近所に住む「のんのんばあ」から妖怪やお化けの話を聞かされては、死後の世界や妖怪に興味を持っていました 1943年に太平洋戦争に召集され、南方前線に赴きラバウルで片腕を失いましたが、奇跡的に生還します。戦後、美術学校に入学し、貧しい生活をしていく中で、1964年、「ガロ」で漫画家としてデビューし、1965年には第6回講談社児童まんが賞を受賞。以後、人気作家として「ゲゲゲの鬼太郎」、「悪魔くん」などヒットを連発しました。 2003年には故郷の境港市に「水木しげる記念館」が開館され、すでに300万人の入館者が来場し、2010年には妻の武良布枝さんによるエッセイをドラマ化したNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」も放送され、多くの共感を呼んだことは記憶に新しいところです。 本展では、水木プロダクションの全面的な協力のもと、人間・水木しげるが遺したものを徹底的に振り返ります。少年期の習作、戦地で描いたスケッチ、貸本時代からの貴重な漫画や妖怪画の原稿など、卓越した画力とメッセージ性がうかがえる作品130点以上を一堂に展示します。さらに、その人生経験に裏打ちされた独自の哲学が読み取れる名言紹介、作品が生み出された書斎の再現、愛用していた私物や世界中で収集した妖怪・精霊像コレクション、家族へのインタビュー映像や写真などを通じて水木しげるが追い求めた「幸福とは何か」に迫ります。初出品作品も多数。まさに水木しげる回顧展の決定版といえるものです。