私的漫画世界|みず谷なおき|人類ネコ科
sakurakoji.sakura.ne.jp
「みず谷なおき」は「望月三起也(1938年生)」のアシスタントを経て漫画家デビューを果たしています。望月三起也の作品は我が家には一冊もありませんが「秘密探偵JA(1964-1969年)」,「ワイルド7(1969-1979年)」はリアルタイムで読んでいました。
「みず谷なおき」がアシスタントをしていたのは1980年代の初めでしょうから,おそらく「ワイルド7」が終了したあたりでしょう。「Hello! あんくる」の愛蔵版(未完ですが)の巻末にあるみず谷なおきの訃報に寄せる三鷹公一のインタビューでは「優しい鷲JJ(1980年)」の頃でしたと回顧しています。
派手なアクションが売りの望月三起也のアシスタントを経験したにもかかわらず,絵柄は彼の影響をあまり受けなかったようです。もっとも,望月三起也の絵柄は独特ですから,影響されたアシスタントは少ないようです。
wikipedia にはアシスタントとして村上もとか(六三四の剣),井上コオ(侍ジャイアンツ),土山しげる(喧嘩ラーメン),みず谷なおき,三鷹公一,小林まこと(1・2の三四郎 )などの名前が並んでいます。みなさん独自の表現方法をもっています。
漫画の世界も独自性が命であり,借り物の絵やストーリーでは長持ちしません。自分の世界を確立し,それが読者の共感を呼ぶものであれば漫画家冥利につきるというものです。
「みず谷なおき」のデビュー作である「ズーム・イン!」はまだ彼の持ち味は見えませんが,「ぱわふる宅配便」でずいぶん絵柄がすっきりするとともに独自のギャグ要素が見られるようになります。
少年サンデー増刊に連載された「人類ネコ科」や「ブラッディエンジェルズ」において自分の世界を確立し,それが多くの読者の熱烈な支持を受けました。その世界は月刊少年キャプテンにおける「Hello!あんくる」,「バーバリアンズ」にも引き継がれました。
「みず谷なおき」は佳作の人というよりは(完全主義者のため)遅筆の人と表現した方が適切のようです。彼は原稿をほとんど一人で仕上げており,その美しさは驚くべきものであったと関係者は口をそろえています。
そのような妥協を拒む完全原稿の作家が週刊誌に連載を出せるはずもありません。週刊誌連載の話が出たとき,みず谷は言下に拒否したという逸話が残されています。
すでに完結した「ジェミニストリート」においては作者として納得ができない面があったのか,単行本化を承諾しませんでした。そのため,「ジェミニストリート」はみず谷ファンの間では手に入らない幻の作品となっています。
また,「バーバリアン2」では漫画作品としてはとても珍しい描き下ろしとなっています。連載作品ですとどうしても雑誌編集部の意向が反映されることになり,みず谷はそれが苦痛だったのでしょう。自分の感性で描き上げた作品を世に出すという稀有の姿勢が寡作の人と結び付いています。
「Hello!あんくる」の最終話をまとめ,描き下ろしの「バーバリアンズ3」の構想を進めていたときに不帰の人となりました。享年38歳はあまりにも早すぎるというしかありません。みず谷なおきさんのご冥福を心からお祈りいたします。
漫画家は亡くなっても作品は世に残ります。私が彼の三部作としている「人類ネコ科」や「ブラッディエンジェルズ」,「Hello!あんくる」はこれからも新しい世代や私のようにあの頃を懐かしむ人たちに読み継がれることでしょう。