あらすじ

個人として存在することを止め、ちりぢりになり世界中に広がる。「拡散」という現象に翻弄されながら旅を続ける少年・克彦が選んだ結末とは。テーマ、表現力ともにヨーロッパのみならずアジアでも話題を呼んだ物語がここに完結。
拡散(1)

父の転勤明けで5年ぶりに我が家へと帰ってきた瀬下あざみは、すぐに幼なじみの男の子・カッちゃんこと東部克彦(とうべかつひこ)に会いに行く。川原に座るカッちゃんを見つけたあざみは昔のように声をかけるが、彼に冷たくあしらわれてしまう…。

拡散(2)

個人として存在することを止め、ちりぢりになり世界中に広がる。「拡散」という現象に翻弄されながら旅を続ける少年・克彦が選んだ結末とは。テーマ、表現力ともにヨーロッパのみならずアジアでも話題を呼んだ物語がここに完結。

拡散

『ミヨリの森』小田ひで次の入魂感じる名作

拡散 小田ひで次
名無し

『ミヨリの森』小田ひで次の入魂感じる名作です https://manba.co.jp/boards/31433 東部克彦にはある『病』があります その鍵ーそれこそがまさにこの『拡散』 この名作の感想を投稿するにあたり 『拡散』という言葉をもう一度調べてみました =================== かくさん 【拡散】 《名・ス自》 1. 広がり散ること。  「核―」 2. 一つの液体に他の液体を、あるいは一つの気体に他の気体を入れた時、 二つの物体がだんだんと混ざり、全体が等質となる現象。 =================== まさに、です。 (それってどういうこと!?と何処を切り取ってもネタバレになってしまうのですが) 圧倒される画面と 線の一本一本、画面の一つ一つに 拡散された主人公の息吹まで感じるようです ストーリーの方 最初に読んだ時”甘酸っぱい展開かな?男女の恋かな?”と思ってしまった私が甘かったです ええ…どうして…なんで… と頭を何度も捻っては読み返してしまうようなストーリーとラストです 何度も読み耽ってしまいますが 読み込むうちに『彼の目線で世界を見る』とどんな風に映るんだろうと 最近思います (お話が難しいところが多いので 逆に"彼目線"になってみたら譜に落ちることがあるのではと 思ったのですが) やはり、生きていると感じる 自分と他者の違和感…そんな部分に共通点を感じました どうしてみんなは拡散しないんだろう 何故自分は”普通"でいられないんだろう そんな私の感想もタイトル通り拡散し始めてふわふわと答えが無くなってきました… 読んでいただきこの拡散感を誰かと共有したい気持… レビュー書き終え…ま… あっ…私も拡散しそう……

拡散

草の根のレジスタンス

拡散 小田ひで次
影絵が趣味
影絵が趣味

じぶんの存在が拡散して、塵や空気のように雲散霧消してしまう少年の物語という触れ込みですが、とんでもない! そんな手では触れられないようなヤワな物語ではありません! と、まずは言っておきたい。むしろ、ザラザラとして、ゴツゴツとして、きわめて肉感にあふれる物語だと思います。 物語、あるいはもっと一般的に語りというものは、基本的に拡散しがちなものです。放っておけば、しぜんに拡散します。ですから、物語の話者たちは、語りが自然に還らないようにあれこれと工夫を凝らす。塵や空気のようにではなく、ひとつの結晶たろうとするんです。まあ、しかし、どんな物語も、どんなに強固そうにみえる結晶も、拡散してしまう運命からは逃れられない。むしろ、より強靭な結晶力をもつ物語ほど、みずから率先して拡散しているようにさえ思えます。たとえば、スピノザは『エチカ - 幾何学的秩序に従って論証された』で、神の証明を試みましたが、そのあまりにも強靭なテキストは、答えに辿り着くさいごの一点で、まるで、てんとう虫が枝の先の一点に辿り着いたときのように拡散しているように思われてなりません。 ほとんどの物語は、みずからの語りの結晶が拡散してしまうなど想像してもいないなか、それがより強靭で精巧な語りになってくると、みずからの拡散を予見してしまうようなところがあるんだと思います。それにつき、この『拡散』は、結晶が拡散してしまうところから始まっている。ほとんどの物語のように結晶を形作ろうとすることを目的としているのではなく、拡散してしまわないよう抵抗することを目的としているんです。 でも、だからといって、何ら特別なことをしているわけではないんです。むしろ、ほとんどの一般的な物語のほうが特別といいますか、ほんとうに魔法のように語りを紡いでいきますよね。とても大好きな物語はいつだって魔法のようです。が、『拡散』には、そんな魔法はありません。『拡散』にあるのは、結晶が拡散して消え入らんとするのを随所でどうにか防ごうとする草の根の抵抗活動のみ。それはそれは地道な、魔法とは程遠い、泥くさい作業の連続。それは川のように海へと拡散してしまう語りに、ひたすら瘤を穿っていくかのような地道な作業。でも、そんな瘤のひとつびとつが『拡散』にザラザラとして、ゴツゴツとした、物語ならざる肉感を与えているのだと思います。