主婦のあやさんは「平凡な女と結婚して人生がつまらない」と愚痴る夫との離婚を考えています。会社員のけいとさんは「君を愛してる」「君は僕の妻だから」と無自覚に束縛しようとする婚約者との結婚に悩んでいます。2人は近所に住んでいますが面識はありません。しかしどちらも何者でもなかった自分を取り戻そうと奮闘します。 分類すればシスターフッドの物語になるかもしれないけど、共闘するんじゃなくてそれぞれがそれぞれに戦っているところがいい。戦うのはあなた自身だけど味方はいるよって南Q太先生の作品らしいなと思う。ジェンダーとかハラスメントの問題もストーリーに含まれているけど、それだけで語るのが物足りなくなるくらいのパンチ力がある。こんなに自分を奮い立たせてくれる作品は今のところ他にない。
節目節目に、いや、今この時も選択をせまられ決断しているし日々、迷いながら生きてるんだよな〜 あらすじに書いてある通り、行き詰まりを感じる日々だなと思います。 アヤの様に、ふと時間があると負のループでしかないの理解しているのに、色々と検索しちゃう気持ちも共感でしかなかった。色々とリアルでしたね。旦那さんが離婚したいと思ってるってネット通して知るのすごく辛いだろうな。。 アヤとけいと、二人が出会って物語が動き出すんですね、普通って何だろう。 心揺さぶる作品になるのではないかなと思っています。
一筋縄ではいかないようで。 最後の話だけ、広海視点になっている。 一人称が僕、性別は女、9歳。 タイトルとあらすじを考えると、彼女が主人公だったんだろう。 母がご飯を作らない宣言をしたシーンはとても好きだ。 互いに子連れ再婚して、お金は折半しているのに、家事は折半していない。 偏食の義娘、文句は言わないけど辛辣な感想を言う夫。 心が狭くなっていることを自覚して、ストレスを減らす方向に向かったんだなと思った。見習いたい。 子連れ再婚した夫妻の生活は、要所要所に、ドロドロしたものが覗き、それを覆い隠すように日常が続いていく。 描きたいことを描きつつ、一巻完結になるようにされたなら、突然の大団円に思えても仕方ないのかもしれない。 渦巻いたドロドロは横において、それぞれ幸せなこともあるよと分かったほうが、読んでいる方も後味が良いから。 とはいえ、漫画の端々から覗くドロドロは、嫌いではなかった。
あれ、9巻があると思ったら、ない?! 8巻のあとがきに「9巻でお会いできたらうれしい」とあるのに?! と探すも、出てきたのは悲しい打ち切りの考察。 でも私はラッキーだ。 続編の『ひらけ駒!return』がすでに刊行されている。 『ひらけ駒!』では、将棋に一過性でハマっているだけだと思った我が子が、どんどん将棋にのめり込み、悩み成長していく様子が描かれている。 母は子供よりゆるいペースで将棋を学びつつ、プロ棋士たちにキャーキャーしたり、子供の成長を喜んだり、心配したり。 すごくリアルな、子どもを見守る母目線がたくさんあるなと思ったら、あるブログに南Q太先生(おなじシングルマザー)の子供も将棋にはまっていると書かれたブログがあるとリンクが貼られていた。 漫画のワンシーンのような先生のブログで綴られる日常に、これがベースにあるんだなと理解した。 漫画に描かれている、将棋を嗜む様々な人たちを見ていたら、特に主人公の母が将棋の試合に参加し始めた頃合いくらいから、自分も将棋を勉強したくなってきて、アプリをインストールした。 作中でもいろいろ出てきていたけど、それ以上に基本的なルールがたくさんあって、びっくりした。 軽くさわりだけ、と思っていたのに、なかなか壁は厚かった。 主人公の宝くんが、どれほどのめり込んでいったのかよくわかった。
リボンの騎士のサファイア姫がタイトルの元になってるのかな。女と男、両方の心があるケイトさん。そんなケイトさんのことを好きだという男性と結婚していたけど、旦那さんが失業してからケンカが増えていって2人は離婚することになります。結局お互いに男女の役割にこだわっていたということなのかもしれません。 多様性を題材にしている作品が増えていますが、南Q太先生は以前からこのことについて描かれていたような気がします。今このタイミング、このテーマ、しかもフィールヤングでこの読切を読めるって意義深いことだと思いました。ケイトさんが月明かりの下を新しいパートナーと帰っていくラストが優しかったです。
いやぁ、読んでる最中は心穏やかではなかったですね。 完結しててよかった。。 物を作る世界ってとても素敵だなと思う所と、人間の弱さ、脆さ、強さですかね。 それが紺ちゃんと言う名前の一人の女の子を通してこの漫画で描かれていて、最終巻までほぼ一気読みしました。 ちなみに読了後も、色んな意味でしばらくドキドキしてました。
ときいて飛びついてしまったのですがことはそう単純ではありません。 ベストセラーを書き上げたあと、スランプに陥った主人公の小説家・ユウが出会ったのは自身のファンを名乗る不思議な女性・エル。お互いの悩みや身上を打ち明けるうちにふたりの距離はどんどん近づいていき、エルは書けなくなってしまったユウに対してゴーストライターを申し出ます。 生活と創作の両側面に入り込んでくるエルの存在。ユウは心身ともに大きく揺り動かされることに…と途中からヤバそうな空気がじわじわ漂い始めて読むのが止まらなくなりました。 ふたりが支え合っている姿に心を温められつつも、何が起こるのか常にゾクゾク…というふたつの意味で目が離せません。 ユウに度々送られてくるストーカーらしき手紙や、エルの性格の掴みどころのなさが洋画テイストといいましょうか、サスペンスの緊張感を演出していてよいです。この辺りの味わいはもしかしたら原作小説の『デルフィーヌの友情』からきているものなのかも? とはいえあとがきにもあるように原作とは物語の進め方がかなり違っているようです。『デルフィーヌ〜』そのものがまさに作家の自伝風に書かれた小説らしく、ユウのキャラクターとも重なってくるところがあり、こちらもどんな作品なのか読んでみたくなりました。
子どもがいる男女が結婚し、一緒に暮らし家族になっていくお話。 家族ってものすごく曖昧で不安定なコミュニティだ。夫婦なんてそもそも他人同士で、離婚するという権利も与えられている。離婚したら子どもは父と母どちらかと離れることになるし、再婚したら父か母が増えたり兄弟姉妹ができたりするし。 離れてようが血縁があろうがなかろうが、全部含めて家族である。家族じゃないよと突き放す権利もたぶんある。 同じ境遇、同じ立場でも、同じだけ相手を思いやるのは難しいこと。相手の過去や親族との関わり方。血が繋がってないから、あるいは繋がってるから生まれる距離感。 家族にならなければ見えてこないもどかしさがリアルに描かれている。 最後は駆け足でハッピーエンドに向かっていった感があるけれど、許せないことも理解できないことも含めて、受け入れようと思えるものが家族なのかなあと感じた。 救いにも呪いにもなるようなテーマだからこそ、あたたかく終わってくれて嬉しかった。
「ひらけ駒!」の続きかと思って読み始めるとそうではないのでガッカリするかもしれない…。これは途中で連載が終わってしまったことに対する南Q太先生のリベンジなんだと思います。最初は主人公の宝くんが将棋にハマり出した頃から始まるので「ひらけ駒!」と内容が重複してしまうのですが、2巻の後半くらいから宝くんが中学生になり奨励会の入会試験を受けるエピソードが始まります。あとがきには『思い描いてたところまで描けました』とありました。実際に南Q太先生の息子さんが将棋をされているそうで、最終回は現実とリンクするところがあったんだろうなと思いながら読みました。しみじみ。
これって南Q太先生の初めての週刊連載だったんですね!その週刊連載が大変だったことは「ひらけ駒!return」のあとがきに書いてありました。力作揃いの週刊モーニングでは不評だったかもしれないけど、私としてはすごく面白かったので8巻で完結されてしまったのは残念です。まだ幼稚園に通ってるくらい小さい子がとっても強かったり、ふんわりおっとりしてて美人な女流棋士さんがめっちゃ強かったり、印象的だったあのキャラクター達はあれからどうなったんだろう…と気になってしまうことはたくさんあります。でも、今までルールも知らずに色んな将棋マンガを読んできた私にとって、初めて自分も将棋をやってみたいと思った作品でした!主人公の宝くんのママが見よう見まねで将棋を覚えてハマっていく姿を見ていたらマネしたくなり、今はアプリをダウンロードして勉強しています。将棋が強い子は「算数が得意!」とか「頭がいい!」なんてイメージがありましたが、宝くんを見ていてそういう自分の思い込みが払拭されていくのが快感でした。何かに熱中することのドキドキと挑戦することのキラキラを味わえます!
主婦のあやさんは「平凡な女と結婚して人生がつまらない」と愚痴る夫との離婚を考えています。会社員のけいとさんは「君を愛してる」「君は僕の妻だから」と無自覚に束縛しようとする婚約者との結婚に悩んでいます。2人は近所に住んでいますが面識はありません。しかしどちらも何者でもなかった自分を取り戻そうと奮闘します。 分類すればシスターフッドの物語になるかもしれないけど、共闘するんじゃなくてそれぞれがそれぞれに戦っているところがいい。戦うのはあなた自身だけど味方はいるよって南Q太先生の作品らしいなと思う。ジェンダーとかハラスメントの問題もストーリーに含まれているけど、それだけで語るのが物足りなくなるくらいのパンチ力がある。こんなに自分を奮い立たせてくれる作品は今のところ他にない。