ヒモ男に捨てられたイラストレータの塔子、塔子とルームシェアしてる普通のOLちひろ、自由人のフリーター里子、学生の頃からの男友達に今も片思いしてるデリヘル嬢の秋代。4人の「どこにでもいるような」女の子達のお話です。 塔子、ちひろ、秋代は色んなストレスを抱え込んじゃってて、ハッキリ言って病んでます。でもそんな彼女達のことをどこか他人事とは思えないんですよね…。フリータの里子だけは割と心が平和なんです。朝寝坊して公園を散歩しただけの何も起きない一日でも幸せだと言える里子がいるから、他の3人のエピソードも暗い気持ちになり過ぎないで読めました。でも最終的にはちゃんと闇から抜け出してると思うんだよなぁ〜。単純なハッピーエンドではないけれど。
るきさんと雰囲気が似ている。オリベを読んだ時もそう思ったけどハルチンもかなりそうだった。同じマガジンハウスのHanakoとかOliveで連載されてたからだろうか、似てるのか似せてるのか…。個人的に「のほほん女主人公漫画」と呼んでますが、エッセイと創作の境界線が曖昧だよな〜と思ってる3作品です。 ハルチン2の最後に「ハルチン番外編ナナナン」という魚喃キリコ先生のエッセイ漫画が収録されているのですが、それを読むと魚喃先生ってハルチンそのまんまなんだなぁ!と思いました。もしかしたらるきさんもオリベもモデルは先生方自身なのかも。でも自分をものすごく客観視してキャラクター化してるからエッセイっぽくならないのかな…。
どんなに名作でも世代が違うと読むことがないままになってしまう作品ってあると思いますが、自分にとってのそれが魚喃キリコでした。こんなにハイセンスな漫画を読んでる人なんて周りに誰もいなかったですし、センスが高いからこそ若い感性に刺さるような作品なのかな?とずっと誤解していました。新装版が発売されたことをきっかけに大人になってから読みましたが、圧倒される面白さでした。全作品を読まねば!と思うほどです。 この「短編集」というシンプルすぎる名前の短編集には、「南瓜とマヨネーズ」の土田とハギオがまだ付き合っていた頃の話だったり、他の作品と繋がっている短編が多々あるようなので、魚喃キリコ作品を読めば読むほど感想も変わってくるんだろうなと思っています。
南瓜とマヨネーズにはリアリティがある。それは設定の話ではない。言うならば『噛み合わなさ』だ。 それは、なんでもしてあげたいとは違う人と一緒に生活していることだったり、あるいは売春までして守りたいものがなにか分からなくなってしまったり、言うつもりもないお金のことを勢いで責めてしまったり、なんとなく気まずくなって同棲関係が破綻することだったり。 セイちゃんとのやり取りにはこうした『噛み合わなさ』にあふれている。 いつの間にか袋小路に追い込まれてしまって、どうしようもなくなっている感覚。これは平凡だからこそ生じるものだ。 理想の恋人『ハギオ』はこうした平凡とは対比的だ。『彼のためならなんでもできる』のだから『噛み合わない』なんてことは起き得ない。 加えて、主人公はハギオの冷酷さに気が付いている。気が付いて、知らないふりをしていたのだ。いうなればハギオは主人公にとって、物語の恋のように盲信できる存在として描かれている。 けれども主人公はリカとの繋がりに助けられ、ハギオの幻想から逃れて、平凡を勝ち取る。 平凡はこれだけありふれていながらも、得難く、劇的だ。南瓜とマヨネーズを読んで、私が心が強く動かされたのは『平凡』だからだろうと思った。
※ネタバレを含むクチコミです。
ヒモ男に捨てられたイラストレータの塔子、塔子とルームシェアしてる普通のOLちひろ、自由人のフリーター里子、学生の頃からの男友達に今も片思いしてるデリヘル嬢の秋代。4人の「どこにでもいるような」女の子達のお話です。 塔子、ちひろ、秋代は色んなストレスを抱え込んじゃってて、ハッキリ言って病んでます。でもそんな彼女達のことをどこか他人事とは思えないんですよね…。フリータの里子だけは割と心が平和なんです。朝寝坊して公園を散歩しただけの何も起きない一日でも幸せだと言える里子がいるから、他の3人のエピソードも暗い気持ちになり過ぎないで読めました。でも最終的にはちゃんと闇から抜け出してると思うんだよなぁ〜。単純なハッピーエンドではないけれど。