この小さな手
受け入れられないぶん祈りたい
この小さな手 郷田マモラ 吉田浩
野愛
野愛
完全なるフィクションだったらよかった、原作者と切り離して読むことができたらよかった。 事件のことを描くわけにはいかないのも、漫画として読みやすく成立させなければいけないのもわかるけど、なんだか受け入れきれないでいる。 作中の主人公も相当に愚かな男だ。 自覚ないまま親になってしまい、子どもが産まれても変わらずにいる。 妻が事故で意識不明になって、やっと妻の苦労に気づく。子どもを施設に預けてしばらく経って、やっと父親の自覚が芽生える。 完全なるフィクションだと思って読んでいたら腹が立つほど愚かだけど、逆に原作者の人となりと結びついて納得できる。 どんな悪い人もだらしない人も優しさや悲しさを抱えている。傷ついても傷つけても人は絶対にやり直すことができる。 それは当たり前だけど、当たり前だからこそ受け入れられないこともある。 子どもを思う気持ち、妻を思う気持ち、そこは真実なんだろうなあ。だからこそやるせないなあ。 わたしは郷田マモラの作品が好きだ。弱くて傷つきやすくて優しい人なんだと思っている。 傷ついた人も傷つけた人もみんな傷が癒えますように。優しいままであり続けられますように。やり直せますように。
MAKOTO 完全版
すべてのひとに救いがありますように
MAKOTO 完全版 郷田マモラ
野愛
野愛
死んでしまったひとに、何故死んでしまったのかを問うてもわからない。残されたひとは残されたものから何かを拾い集め、つなぎ合わせて、生きていくしかない。 真言のように幽霊が見えて解剖ができて警察官の友人がいれば別かもしれないけれど、それでも真実にたどり着くのは難しいことだ。 無念を晴らす、真実を突き止めるという行為は死んでしまったひとのためでもあるが、残されたひとが前を向いて生きるための行為でもあるのだと思う。 真言の能力によって、死んでいったひとたちだけではなく残されたひとたちも救われているのだ。 世の中の多くのひとは、幽霊も見えないし医者でも警察でもない。真言のように真実に向かって突き進めるひとは一握りだ。 それでも、残されたひとは生きていかなければいけない。死んでいったひとのことを忘れずに、できうる限りのことをして、前を向いて生きていかなければならない。 生きているひとにも、死んでいったひとにも救いがある世界でありますように。 最後のお話で真言自身にも救いがあったのがよかったなあ。 決して押し付けがましくなく、前を向いて生きるひとを優しく支えてくれるような作品でした。
この小さな手
愚者の詩
この小さな手 郷田マモラ 吉田浩
(とりあえず)名無し
(とりあえず)名無し
郷田マモラは、稀有な才能である。 彼は、あのしなやかで硬質な、独自としか言いようのない描線で、極めて重いテーマを果敢にフィクションへと昇華する。 遺体の監察医が主人公の『きらきらひかる』、新人刑務官と死刑囚の友情を描く『モリのアサガオ』、さらに、裁判員制度を通して死刑を見つめた『サマヨイザクラ』など、彼の作品は不器用だけれど真率な力に溢れている。 関西の巷のエネルギーに満ちたはるき悦巳と、猥雑さにまみれた青木雄二を、足して二で割り、さらに端正にしたかのような、真にユニークな存在だったのだ。 だが、郷田マモラは、愚か者でもある。 彼が犯した罪について、ここで触れるつもりはない。 しかし明らかに、彼は愚か者だ。 本作『この小さな手』は、郷田が原作を担当し、吉田浩が作画を担当している。 マンバの「あらすじ」の、郷田が寄せたと思しきテキストにある通り、あまりキャリアがあるとは思えない吉田は、郷田が描いたネームを忠実に漫画に起こしたであろうことが、その画面からうかがえる。 本来は、郷田自らがあの筆致で描くべきだっただろう。 この、それほど優れているとは言えないかもしれない漫画には、しかし、確実に漫画家・郷田マモラがいる。 その愚かさが、傲慢さが、不器用さが、真率さが、弱さが、痛いほど脈打っている。 「漫画」という宿痾のひとつの内実が、ここにはある。