山田 太一(やまだ たいち)
山田太一 (脚本家) 山田太一 (タレント) 山田太一 (ボート選手) 漫画『ペナントレース やまだたいちの奇蹟』の主人公
81歳、孤独な老人。46歳独身、介護職の女。27歳、特別養護老人ホームを「ある事情」でやめた青年。ぬぐい去れない痛みを抱えた3人の奇妙な恋が始まる――――。脚本家・小説家山田太一の小説『空也上人がいた』(朝日新聞出版)を、『THE WORLD IS MINE』『キーチ』の鬼才・新井英樹が漫画化!! 巻末に新井英樹×山田太一録りおろし対談を収録!!
誰もがうらやむ川べりの一戸建てに暮らす田島(たじま)家。何不自由なく平和に暮らしていたが、ある日、日常は、もろくも崩れ始めた。人生初の不倫にはまっていく妻・則子(のりこ)。会社の不祥事で神経をすりへらす夫・謙作(けんさく)。家族に無関心を装う長女・律子(りつこ)……。誰もが自分のことしか考えていないことに気づく長男・繁(しげる)は、母の不倫現場を目撃して!?’70代伝説のドラマが現代版コミックに蘇る!!
これを漫画化しようと思った新井英樹もすごいですが、やっぱり山田太一はそれを上回ってくるような、何というか圧倒されました。死が近い老人の最後の悪あがき、中年女性の持て余した性、青年の自分自身も追い詰める素直さ、そんな人間の〈生〉の濃いところを煮詰めていった先にあるのが…まさか恋の話だとは。巻末の対談を読む限り山田太一さんはとても物腰の柔らかい方だと思うのですが、なんとなく作中に登場する老人こと吉崎さんのイメージと重ねてしまいます。ちょっと外見を似せて描いてませんか…?吉崎さんは滅茶苦茶なことばかり言ってるように見えますが、あんな風に最後まで生きることにもがいて死ねたら幸せなんじゃないかなと思いました。私が一番好きなのは空也上人の仏像と認知症の老婆の表情が被る場面です。あの老婆の目が問いかけてくるものはそのまま新井英樹がこの作品で描きたかったことなんじゃないかな。自分はまだ答えが出せないです。
何たることでしょうか。 新井英樹先生が絶望しておられる……! 新井英樹という作家は、「漫画で、俺のペン一つで、世の中を変えてやる!」という気概が紙面から迸っている、極めて稀少な描き手です。その卓抜した筆勢は、『キーチ!!』やその続編『キーチVS』、『ザ・ワールド・イズ・マイン』、『SCATTER』などを是非読んで頂きたい所です。 いずれも圧倒的な作品であり、今世紀で好きなマンガを十作品選ぶなら、『ザ・ワールド・イズ・マイン』と『キーチVS』の二つ新井英樹先生の作品は入ります。必然的に私の中で新井英樹先生は現代でも最も注目度の高い作家となっています。 その新井英樹先生の最新作が、山田太一先生の小説を原作とするこの『空也上人がいた』です。この単行本を手にとって、私は大きな驚愕に包まれました。 最初のページを捲ると、何と上記の作品群を引用しながら9・11や3・11を経た世界への絶望に暮れる新井英樹先生自身がプロローグとして描かれているではありませんか! > 狂気が世の中への「反撃(カウンター)」として存在できたのはまだ世の中が少しは正常と思えたからで、今の狂気の世の中に喰らわす「反撃」を捜すと倫理、道> 徳ぐらいしかない!! > そう…思ってたんですけどねえ。本気で。あったまわるいから。 > 「世のため」なんて旗ふったつもりで、期待しすぎてこのザマですよ。 > 絶望っ だね 絶望… > 別に使命感とかじゃなくなんか嫌で嫌で… > オレなんかよりずっと売れて影響力ある人が描いてくれてりゃって思ってたんだけどね > 「ファンタジーなんて描いてる場合じゃない」ってアニメの巨匠だって言ってるじゃん > グローバリズム コーポラティズム カネカネカネ > 世界は金持ったキ●ガイと飼われたいブタだけ > そうだよオレあれもこれも全部嫌いだよ > 世界なんか滅べ!! もう知るか!! あんなに政治家の汚職を、検察の腐敗を、大企業の卑劣を、米国への従属を、クロスオーナーシップを、新聞特殊指定を、ありとあらゆるタブーを恐れず踏み込んで批判して来た新井英樹先生が! 文字通り、大切な「云」うべく敢えて「鬼」と化して絶大な魂を紙面に落とし込んで来た新井英樹先生が! 怒ることを忘れた日本人に喝を入れ、怒りを思い出させようとして来た新井英樹先生が! こともあろうに、あまりにも深い諦観に駆られている……! 現代社会における良心、希望の篝火のような存在が、遂にこの世の巨悪と狂気、弱さと同調圧力の奔流に屈してしまう時が訪れてしまったのか……そんな悲しいことはありませんでした。 大多数の人が見て見ぬ振りをしてやり過ごすことを処世術とする中で、自らへの不利益を省みなずに声を上げる勇猛さ。真っ当であれ、という極めて純度の高いメッセージ。それらが全て敗北してしまったとなると、私自身も絶望の深淵に沈まざるを得ません。 しかし、そんな魂を賭した長きに亘る闘いの果てに至った絶望、その先に描かれた本書もまた圧倒的に素晴らしかったのです。 **介護に携わる若者、キレる** 今作は、タイトルだけ聞くと歴史物のような印象を受けるかもしれませんが、現代社会の問題を描いた一冊完結の現代モノです。 特別養護老人ホームで働いていた27歳のヘルパー青年・草介は、毎晩叫び狂う老婆に対しある日キレて車椅子から突き落としてしまいます。そして、その6日後にその老婆は死亡。自責の念に駆られ職場を辞めた草介は、同僚の46歳ケアマネージャーから紹介された81歳の独居老人の在宅介護を始める、というのが今作冒頭の筋書きです。スーパーのレジ打ち並の収入で280円の牛丼を食べながら、人の命を預かる過酷な仕事、金持ちの老人の世話を行う若者像というのは、現代社会の様々な物の象徴です。 2014年現在、介護職員は150万人。少子高齢化社会の日本では、2025年までには職員数が250万人必要、つまり100万人の介護職員を増やさねばならない、という試算もあります。しかし、激務であり責任も重大な仕事内容でありながらも、その待遇は恵まれているとは言い難い状況です。一刻も早くこの現状を打破せねばならない、。現場で働く末端の介護職員の給与を増やし、負担を減じる方向に持って行かねばならない、ということは多くの人が痛感しながらも、決定的な方策を打つことができていない状況です。一方で、お金を持った老人相手のビジネスとして介護を認識し、食い物にして巨利を得る悪質な輩も跋扈しており、闇は深いです。 介護の大変さは、私も多少解ります。私自身、祖父の介護を数年にわたって行っていました。祖父は、私がこの世で一番尊敬する人物でした。聡明で、物腰が柔らかく何があっても決して怒らず、優しく諭してくれる人でした。70歳を超えても毎日二時間の散歩と運動を欠かさず、自炊によりバランスの取れた食事で健康を保ち、そしてあらゆる物事への好奇心が旺盛でした。触ったこともないTVゲームにも付き合ってくれて「何事も経験。何でも積極的にやってみること」と幾度となく教えられたことも、私の中で血肉となっています。 しかし、そんな祖父も認知症を患ってしまうと、深遠な知識も高潔な人格も、全てを失って行きました。下の世話などはまだ全然良いのです。それより何よりも、話をしても何をしても意思を通わせることができない虚無感・絶望感というのは凄まじいものです。その中で生じる負の感情に、介護をしている自分の不寛容さを曝け出され突き付けられることも伴って、自分自身も精神を苛まれ、蝕まれ、病んで行きます。悪意が無いと解ってはいても、繰り返される様々な蛮行に、苛立ちや憎しみすら抱く瞬間が全く無かったと言い切るのは難しい程です。生涯で最も尊敬する人物をしてこんな感情を抱いてしまうのですから、赤の他人である老人の介護をしている方々の心的ストレスはいかばかりかと思ってしまいます。 作中で、女性ケアマネージャーが > 介護やってれば気持じゃ何百遍もほうり出してるよ。 と語る通りでしょう。 日々、心身を傷付け抉られながら、一方で命を預かっているという緊張感。その状態が何年、何十年と続くのか全く先の見えない状態。その抑圧を、原作者の山田太一先生は「キレないはずがないというのもちょっとひどい言い方だけれども、キレても不思議はない」と実際の取材で感じた体験を元に、この作品を著したそうです。今後の社会で重要なテーマであるにも関わらず、こういったことを描いてくれている作品は寡少なので、私はよくぞ描いてくれたものだと思います。 「後悔」と「他者の眼差し」 今作はノンフィクションの介護小説としてでなく、老人が後悔に苛まれる傷付いた青年を救う物語として描かれたことで、介護というテーマは勿論ですが、それに留まらない普遍性を獲得しています。その軸となっているのは、「後悔」。きっと、誰しも人生の中での最大の後悔というものがあるはずです。その後悔と、人はどう付き合い、どう向き合っていけば良いのか……。 主人公の27歳の草介は、おばあさんを一時の激情に駆られ、それが原因かどうかははっきりとは判らないものの、人を死に至らしめてしまったという罪悪感に囚われます。一方で、彼が出会う81歳の老人もまた、長い人生の中にある一つの大きなわだかまりを抱いています。 そこで、一つの象徴として登場するのが、タイトルとなっている空也上人です。踊り念仏や六斎念仏の始祖であり、疫病で多くの死体がその辺りに転がっている時代の中で、様々な公共事業に勤しんだ聖人。その空也上人の立像というのは、他の多くの彫刻や仏像と違い、顎を上げかすかな声で「南無阿弥陀仏」を唱えながら、前を見て歩いている。それは、罪を許してくれるのではなく、同じようにへこたれて共に歩んでくれるものなのだ、と。 そのようにして、自身が大きな感銘を受けた空也上人立像を、老人は青年に見せようとします。そして、六波羅蜜寺で青年が空也上人立像と対面した時の描写は、小説版でも漫画版でも一つのクライマックスとなっており、必見です。その眼差しは、草介を通して読者をも刺し貫いてきます。 思うに、この世界で生きる際に「他者からの眼差しに晒されている」という意識があるのとないのとでは全く違う次元に存在するようなものです。それは、世界の多くの国々では宗教と呼ばれるものでもあります。日本人は宗教性は薄い民族ではありますが、「お天道様が見ている」とか、「壁に耳あり障子に目あり」といった言葉にそういった精神性は散見されます。 誰も見ていないからといって、不善をなす。多くの人は経験していることでしょう。しかし、その犯した罪は消えることはありません。何らかの他者性を内在させることでその罪の芽をあらかじめ摘み取ることができるなら、それは現実的に推奨されるアティテュードなのではないでしょうか。眼差しを投げかけ、共に歩んでくれる、あなたの「空也上人」を。 そうして生きて行った先には、予想もしなかった新しい展開が開け、そこは想像もできない心地良い場所になっているのかもしれません。そんなことを思わせてくれる物語です。ラストは、表紙を一見した時のような何とも言えない優しさに彩られています。 ある意味で、これはドストエフスキー『罪と罰』の現代日本版であり、一つの返歌と言える作品かもしれません。 **結び** モンやキーチのような圧倒的カリスマは、この物語には出て来ません。ここには普通の人の、普通の現代社会の生活の中での有り触れた想いがあるのみです。しかし、それが静かに深く胸の奥底を叩き、貫いて行きます。それは言うなれば高級料亭で食べるシメの雑炊のように。見た目は地味でありながらも、それまでのあらゆる豊潤な食材のエキスを吸収して生み出される余りにも豊かな旨味に溢れていたのです。山田太一先生の原作に忠実でありながらも、確かに新井英樹作品としての生命の鼓動を感じます。私の中では今年の作品の中でも確実にベスト10に入ります。 今作の巻末に収録された、原作者山田太一先生と新井英樹先生の一万字対談には、こんな注釈もありました。 > 『キーチVS』については、漫画に主義や思想はいらないというご批判を多々受けました。そんなこと言ってるから、漫画は3・11や原発で、映画や小説の後塵を拝したじゃないか。 この一文に込められた気概に、私は喝采を送りたいです。 今作を描くに至った新井先生が、現在とんでもないことになっている『SCATTER』をどう着地させるのか。そして、その次は一体どんな作品を生み出すのか。今後も新井英樹先生の漫画表現による社会・世界との鬩ぎ合いを、心から応援していきます。
これを漫画化しようと思った新井英樹もすごいですが、やっぱり山田太一はそれを上回ってくるような、何というか圧倒されました。死が近い老人の最後の悪あがき、中年女性の持て余した性、青年の自分自身も追い詰める素直さ、そんな人間の〈生〉の濃いところを煮詰めていった先にあるのが…まさか恋の話だとは。巻末の対談を読む限り山田太一さんはとても物腰の柔らかい方だと思うのですが、なんとなく作中に登場する老人こと吉崎さんのイメージと重ねてしまいます。ちょっと外見を似せて描いてませんか…?吉崎さんは滅茶苦茶なことばかり言ってるように見えますが、あんな風に最後まで生きることにもがいて死ねたら幸せなんじゃないかなと思いました。私が一番好きなのは空也上人の仏像と認知症の老婆の表情が被る場面です。あの老婆の目が問いかけてくるものはそのまま新井英樹がこの作品で描きたかったことなんじゃないかな。自分はまだ答えが出せないです。