手塚治虫、本当に恐ろしいひとです。いちど迷い込んだがさいご、たぶん死ぬまでこの迷宮とお付き合いしなければならない。そもそも、手塚のライフワークだった『火の鳥』ひとつだけにしても壮大な迷宮なのに、周辺作品から辺境作品まで、なにしろ数が膨大すぎる。 私は『ブラック・ジャック』以降(劇画ブームに押されて人気を失っていた手塚がブラック・ジャックをきっかけに再評価される)の作品から手塚に入門したクチですけども、だいたい再評価とかそういうのは普通は本人が死んでから成されるものだと思いますが、手塚は稀有なことに生きているうちから古いものと見なされ、またしばらくして手塚はやっぱり凄かったと言われるわけです。その仕事ぶりから超人のように言われること数多ですが、じっさいに常人ではまず不可能なことに人生を二回転もしてしまっている。 私も後期の手塚からふらふらと迷宮に迷い込み、あるとき、ひょんな抜け穴から彼の初期作に触れたんですけども、まあ、腰を抜かすほど驚いた。それこそ人生を二回転して生まれ変わったような衝撃を受けたんです。まず『メトロポリス』もそうですけど、絵が驚くほど巧い。どのコマも一枚画として額に入れて飾りたくなるぐらい構図が精巧としていて、細部の曲線はペンの抜き差しひとつびとつに色気を感じるほどの。後期の手塚が物語の経済性と重層性を重視するためにやむなく捨てたものがここには宝石のように遺っていたんです。しかも、ただ巧いというだけではない。そこには苦渋の跡、困難の跡、混沌として不都合な現状をより良くして行こうとする軌跡がみられるんです。後期の手塚は自身の形作ったマンガの記号体系を経済的に活用して重層的な物語を量産していきましたが、初期の作品には新しい制度をイチから築いていこうとする、いままさに未知の何かが生まれようとするスリリングさがあります。それこそツルハシで洞窟を掘って探検していくかのような過酷さと冒険者的なロマンがある。 手塚治虫の迷宮に迷い込むことをオススメします。過酷で、それ故にやり甲斐があり、何よりめちゃくちゃ面白いのですから。
ドフトエフスキーの同名小説を手塚治虫が漫画化した作品ですが、まず驚くべきことは文庫本で約1000ページ以上ある原作を実験的なコマを使った省略方法や圧倒的な構成力でたった131ページにまとめ上げているという点です。 ストーリーや登場人物の役割などを一部アレンジはしていますがおおよその筋道は追えるようになっており、またストーリーを追うだけでなく登場人物たちの切迫感や物悲しさをあくまで子供に読んでもらうためのものなのでコミカルな描写も入れながら構図やセリフで見事に表現しています。 特にラストの見開きページでは、それまでの主人公ラスコルニコフの個人的な物語から視点が広がり世界全体の様子が描かれますが、これを絵の力のみで悲劇的にも喜劇的にも取れるように描いており、手塚治虫の表現者としての圧倒的な才能を垣間見ることができます。 私は先に原作を読んでから今作を読みましたが、未読の方でも全く問題はないと思います。また、原作を読んだという方にも手塚治虫が罪と罰をどのようにまとめあげたのかという点と原作とは違ったラストをどう読み解くかどういう点でも非常に興味深い作品になっています。
手塚治虫を初めて読むという人に、なにを薦めればいいだろう。 どう考えても最高傑作の『火の鳥』か、面白いってことなら抜群の『ブラック・ジャック』や『三つ目がとおる』か、そりゃあやっぱり『鉄腕アトム』か…。 まあ、どれでも良いんですけどね。 「天才といえるのはダ・ヴィンチと手塚治虫だけ」(立川談志)で、「手塚のほかに神はなし」(関川夏央)なんですから。 なんつっても「神」ですよ。 その全作品が漫画の「聖書」なんです。 とりあえず、ここでは神のダークサイドを薦めましょう。 だって、黙示録だって聖書ですからね。 『きりひと讃歌』。 ダークですよ。暗すぎです。すごいです。 『ばるぼら』『奇子』『MW』…ヤバいほどにダークな傑作がたくさんあるんですが、手塚本人が「自分で自慢できるものといえばアンハッピーエンドだ」と言っていたわけで、神が「暗い」漫画を指向していたことは、何度でも確認しておいたほうがいいです。 『きりひと讃歌』を読みましょう。 これが漫画の聖書ですよ。 忘れてはいけません。
手塚治虫がトラウマです。まだ汚れも知らぬ小学生のころ、なにげに読んだ手塚治虫作品からたくさんのトラウマと言う名の衝撃を受けました。特に『火の鳥』は「復活編」「宇宙編」はじめ、心をえぐるような話が多く、いまだに「面白い」と思うより先に「恐怖」が思い出されます。そんな手塚治虫作品の中でも特に印象に残っているのが「ドオベルマン」という短編。 父が買ってきた手塚治虫の追悼記念号「朝日ジャーナル 手塚治虫の世界」というムックに再録されたこの「ドオベルマン」によって、小学生の僕は長年にわたって独りでトイレにいけなくなってしまったのです。ある夜、手塚治虫が外国人の絵描き・ドオベルマンと出会うところから物語がはじまります。ただのフーテンと思い、適当にあしらおうと思った手塚でしたが、人の心が読めるという彼のもつ不思議な力に興味を持ちます。ドオベルマンのアトリエにいった手塚は、そこで彼の作品を見ます。ある日突然、何者かの「描け」という啓示を受け、ガムシャラに書き始めたというドオベルマンの作品は子供の落書きのようなものばかり。動物とも鉱物ともいえない何かの絵がアトリエに何百枚とある。気になって何回も訪れていた手塚は、その絵がある一定の配列があることに気づきます。止まることのないドオベルマンの筆は一体何を描ききるのでしょうか…?というお話。ラスト、遠くの出来事がぐっと身近に引き寄せらたとき、ゾワゾワっとした恐怖を感じます。これがたったの32ページにまとめられているというのが、本当に驚嘆です。
近年、舞台化されるようにもなった手塚治虫のナンセンスSF。 60年代後半の手塚治虫が、少年マンガから大人向け長編マンガへの転換期を迎えていた頃の作品で、漫画集団の影響もあってか、ところどころ風刺漫画っぽいタッチになっている。 はじめは手塚作品らしからぬ見慣れない絵柄に戸惑うが、読み進めるほどに、醜い人間の欲望を写し出した手塚ワールドに引き込まれる。戦争、テロ、人工授精にクローン人間といった科学の暴走、優性思想に人身売買など、これだけの問題をかき集めて、痛烈に風刺した上で2巻に収まっているのが凄い。 「これがもしリアルな作画だったら」と思うと、恐ろしくなる場面がいくつかあった。ナンセンス絵のおかげで、心に深い傷を負わずに済んだし、エッチシーンも淡白になってしまうのだけど、ナンセンス作品においてそれを言うのはナンセンスなんだろうなぁ。 ※画像は、終始活躍していた精子搾取マシーンの「シボリ機」 コレに男を放り込むと、死ぬまで搾り取られるらしい 内部では一体何が起こっていたのか、最後までわからなかった…
満員電車の中で読んでる人がいて、横目で少し見させてもらってたら、様子がおかしいことに気がついた。これはブラックジャックじゃない…!!それがこの作品と私との出会いでした。 圧倒的な絵の再現度を見てもらえればわかるように、ほんとうに御本人が描いたのでは!?と錯覚するほど。紙の色もわざとダメージがあるように演出しているところがニクい。 しかし、中身は全くの別物。パロディの中でも更にパロディをしかけているページも有り、見どころが満載だ。ショートギャグの詰合せなので、笑うところを見られてもいいなら、ある意味電車の中で読むのがベスト。
まんが道を読んだり映画「バクマン。」のテーマ曲を聴いたりすると読みたくなります。 カーチェイスに宝探しに海賊や恐ろしい原住民との戦いなどなど、内容はアクションあり、バトルあり、ホラーありで見どころがとても多いです。 またコマの割り方こそ古風ですが、車がスピード感を持ったまま近づいてくる絵の表現は、時代に見合わない新しさを感じました。 藤子不二雄先生が受けた衝撃に思いを馳せ、当時の子どもたちの気持ちになって読みたい作品です。
1968〜70年代前半に、ヤングコミックやプレイボーイなどの大人向け雑誌に掲載された全8編からなる短編集。この電子書籍版では、秋田文庫版(1994年)に収録されている「ペーター・キュルテンの記録」「カノン」「最上殿始末」が未収録であるのと、作者のあとがきが含まれていないのが少し残念…。とはいえ全体の完成度が高いことに変わりはなく、いずれの短編も名作揃いです。時代的には、手塚治虫が劇画へ進んでいた頃で、それぞれの短編が、のちの「アドルフに告ぐ」「ブラック・ジャック」「火の鳥」などの作品に繋がってゆくルーツ的なものを随所に感じます。8編の中で一番ヤバい短編を選ぶとしたら「イエロー・ダスト」でしょうか。スクールバスを乗っ取った犯人が沖縄の米軍基地に立て籠もる話で、とてもショッキングで目を背けたくなるような描写が多いですが、短いページ数の中にあらゆる戦争の狂気が凝縮されていて戦慄しました。
https://twitter.com/fukkan_com/status/1097736185705709570 予価7344円。お高いけど欲しいね
白黒アニメでも見たけど、ナゾ多くて楽しいです!
手塚治虫、本当に恐ろしいひとです。いちど迷い込んだがさいご、たぶん死ぬまでこの迷宮とお付き合いしなければならない。そもそも、手塚のライフワークだった『火の鳥』ひとつだけにしても壮大な迷宮なのに、周辺作品から辺境作品まで、なにしろ数が膨大すぎる。 私は『ブラック・ジャック』以降(劇画ブームに押されて人気を失っていた手塚がブラック・ジャックをきっかけに再評価される)の作品から手塚に入門したクチですけども、だいたい再評価とかそういうのは普通は本人が死んでから成されるものだと思いますが、手塚は稀有なことに生きているうちから古いものと見なされ、またしばらくして手塚はやっぱり凄かったと言われるわけです。その仕事ぶりから超人のように言われること数多ですが、じっさいに常人ではまず不可能なことに人生を二回転もしてしまっている。 私も後期の手塚からふらふらと迷宮に迷い込み、あるとき、ひょんな抜け穴から彼の初期作に触れたんですけども、まあ、腰を抜かすほど驚いた。それこそ人生を二回転して生まれ変わったような衝撃を受けたんです。まず『メトロポリス』もそうですけど、絵が驚くほど巧い。どのコマも一枚画として額に入れて飾りたくなるぐらい構図が精巧としていて、細部の曲線はペンの抜き差しひとつびとつに色気を感じるほどの。後期の手塚が物語の経済性と重層性を重視するためにやむなく捨てたものがここには宝石のように遺っていたんです。しかも、ただ巧いというだけではない。そこには苦渋の跡、困難の跡、混沌として不都合な現状をより良くして行こうとする軌跡がみられるんです。後期の手塚は自身の形作ったマンガの記号体系を経済的に活用して重層的な物語を量産していきましたが、初期の作品には新しい制度をイチから築いていこうとする、いままさに未知の何かが生まれようとするスリリングさがあります。それこそツルハシで洞窟を掘って探検していくかのような過酷さと冒険者的なロマンがある。 手塚治虫の迷宮に迷い込むことをオススメします。過酷で、それ故にやり甲斐があり、何よりめちゃくちゃ面白いのですから。