中学生くらいの頃だった。初めて1巻を読んだ時、なぜか私はそれが続きものだということを知らなかった。短編集だとばかり勘違いしたまま、数年後に続きがあることを知る。そして全巻を文庫で揃え、むさぼるように三原順ワールドに飛び込んだ。
なかでもとりわけアンジーが好きだった。アンジーはヒラヒラの服を着た髪の長い少年だ。そのわりにオラオラしている。という矛盾がまた魅力的だった。グレアムも、サーニンも、マックスもどいつもこいつも個性的で、ただかわいいだけの男の子ってわけでもなくて、訳アリの、大人びた捻くれたこまっしゃくれた浮浪児たちが、うつりゆく暮らしを描いてあるほのぼの漫画だとばかり思っていた。
そしてまさかの、事件が起きる。
突然の、数年後…というくだりは、ドキッとした。
まさかまさか、アンジーの大人になった姿が見れるとは思いもよらなかったのだ。そこには風子という、アンジーにはお似合いには一見みえない、だけどアンジーにとっては癒しであるお姉さんが現れていた。グレアムはあんなことになってるし…。マックス、忘れてるし…。
どういうことなの!?とハラハラしながらページをめくる手がとまらなかったのを覚えている。
結局、最終的には「はっきりとした結果(オチ)」はなかったので、その当時は無性にどういうことなの!?と後ろ髪をひかれる思いばかりが湧きだっていたが、いい大人になった今思えば、あれは…結果がうやむやだったからこそ、よい作品なんだな、と改めてはみだしっ子の凄みを感じるのであった。
もうほとんど、内容は忘れているのでもう一度読みたい。
しかし、心の奥底で残る、あの複雑怪奇でせつなく苦しい、そして愛おしい気持ちをほじくりかえすのには、若々しいエネルギーがものすごく必要だから、もう読みたくない。
私にとってはそういう漫画だ。
もう、読みたくない。それほどに熱い漫画であった。