お天気お姉さん

きみは天下のお天気お姉さん

お天気お姉さん 安達哲
かしこ
かしこ

お天気お姉さんこと仲代桂子はその美貌で世の男たちを虜にしているが、性格は凶暴である。下着姿でテレビ出演することなんて屁でもないし、ライバルの女子アナを性奴隷にするほど奔放だが、誰も彼女には逆らえない。むしろ崇拝してしまうのだった。 ほとんどが無茶苦茶な内容で完全に度が過ぎてるのだが、それでも私が桂子さんのことを不快に感じることはなかった。それがなんでかっていうと最初の方でのエピソードでこんなのがあるからだ。 ライバルの策略によって自分の人気がなくなったと思い込んでショックを受けた桂子さんは「お天気お姉さんを辞めてお茶汲みでもするワ」と言い出す、しかしそれを聞いた高校時代から桂子さんと因縁の関係にある山岸君が心の中でこう思うのだ「”女っておもしろいこと考えるな”男が女を尊敬するのはこういう時だけだ 男のマネなんかしなくていいんだ 男の予想範疇で動かないでくれ…!」そして叫ぶのだった「きみは天下のお天気お姉さんなんだぞーーーーーッ」と。 こういうのって現代の価値観でいうとアウトなんだろうか?でもなんか私も山岸君と同じ気持ちになるんだよな。でもラストで2人がああいう関係になるのはよく分からなかった…。

ニーナはパパを暗殺したい

暗殺者とそのターゲットが「家族」になる物語 #1巻応援

ニーナはパパを暗殺したい 島崎無印 キトラ
sogor25
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内務省直轄機関の特殊工作員である高橋怜司は、突入したマフィアのアジトで1人取り残された少女・ニーナを発見します。 彼女はマフィアにより暗殺マシーンとして育てられていた上に「最初に自分を発見した者を殺せ」という暗示を受けており、「最初の発見者」である怜司を殺そうとします。 腕利きの工作員である怜司にとってニーナをあしらうのは容易いのですが、怜司が彼女のターゲットとなっていることから、逆に上司から「ニーナを監視するために一緒に暮らす」ことを命じられます。 という導入から始まるので、設定だけ見ると殺伐としているのですが、実際は一緒に暮らし始めた怜司とニーナが徐々に関係性を深めてゆき「家族」になっていく様子を描く作品です。 暗示により無意識に怜司を殺そうとするニーナと、そんなニーナを御しつつ 無理に暗示を解いて彼女の精神に影響を与えないよう丁寧に「普通の生活」を教え込もうとする怜司の生活は、 見ようによってはじゃれ合っている親子のようにも見えてきます。 また、途中から怜司の同僚である美緒が補佐として2人の生活に関わるようになり、本当の親子3人の日常のように見える場面が増えてきます。 一応"暗殺者とそのターゲット"という関係なのに、気づいたらちゃんと親子のような関係性を築いている、設定に反してとても心温まるホームコメディのような作品です。 1巻まで読了

じゃりン子チエ【新訂版】

なぜこれがアニメ化され、国民的人気作になったのか

じゃりン子チエ【新訂版】 はるき悦巳
hysysk
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子供の頃アニメを観ていたが、決して好きではなかった。「好きじゃないなら観るなよ」というのは今だから言えることで、当時はそれほど娯楽の選択肢が多くなく、暇を潰すにはテレビを観ているのが一番だった。 父親は暴力的で賭け事大好き、母親は別居中というのが、子供の頃の自分には恐怖でしかなかった。お父さんがああなったらどうしよう、お母さんが出て行ってしまったらどうしよう…。父親がパチンコに行くことで夫婦喧嘩になった時など、不安になったものだ。 しかし大人になって読み返すと、それぞれ口は悪いがお互いに思い合っているし、保守的な価値観に対する疑問や清濁併せ呑む態度など、生きる上で大切なことがたくさん描かれている。一般的なアニメや漫画に出てくる「普通の幸せな家庭」ではないことも、近い境遇の人達には勇気になったかも知れない。 舞台は大阪の西成区周辺をモデルにしていると思われるが、それも大人になるまでは分からなかった。今なら何故当時の大人たち(アニメの監督は高畑勲)がこの作品を子供達に観せたかったのかというのがすごくよく分かる。そしてジェントリフィケーションや格差の拡大、ポリティカルコレクトネスや自己責任論が吹き荒れる今、また読まれて欲しい作品だと思う。