マイ・リグレット

後悔の先へ歩み始める彼らの物語

マイ・リグレット 砂糖野しおん
兎来栄寿
兎来栄寿

皆さんは人生において「何であんなことを言ってしまったんだろう」「あのとき、もしも違う行動を取っていれば」といった強い後悔はあるでしょうか。 私は大いにあります。何なら時々、色々と思い返して苦鳴を上げてしまうタイプです。人間には折角「忘却」という便利な機能が付いているのに、忘れられないことばかりです。 ただ、人生とはそうした後悔の連続で作られるもの。後悔があるからこそ、未来へ向けて推進する力が湧くし成長もできるという面もあります。 この作品は、そんな個々人の過去の苦い後悔を想起させてくるような内容です。 スリ・恐喝・ギャンブルなどを日常茶飯事とする不良少年の主人公は、無料でご飯を食べさせてくれる老人が営む店を知りそこに通うようになります。 その老人には、非常に頭脳明晰でありながら他者との関わり合いが上手くできずに引きこもりになってしまった孫がいました。 不良の主人公と、元・優等生の老人の孫。まったくタイプの違うふたりであるが故に、そこに物語が生まれていきます。そして、彼らの行動原理となるのは、まさにタイトル通りそれぞれの「後悔」です。 後悔は前述の通り、人生における通過儀礼のような側面もありますがそれでも相応の痛みは伴うもの。そんなところに 「お前もあの子らも みんな何かが足りてないんだよ でも それでも生きていかなきゃだろ?」 という、人生の先達である老人の言葉が非常に沁みます。 最初はインモラルな主人公に感情移入しにくいかもしれませんが、1冊を読み終える頃にはそれも変わっているかもしれません。

さらば、佳き日

富山・逃避の果・仮初の安息

さらば、佳き日 茜田千
あうしぃ@カワイイマンガ
あうしぃ@カワイイマンガ

不倫にしろ逃亡犯にしろ、逃避行と〈北〉はよく似合う。後ろめたさを抱える身には、人目のない北の冬はうってつけ、という事だろうか。 『さらば、佳き日』の兄妹は、二人で共に在る事を選び、住み慣れた故郷を捨て、親と友を捨て、雪の降る北陸へと向かう。 故郷が湘南地域であることは、6巻ではっきりする(江ノ島タワーが描かれている等)。きらきら明るい海沿いの道の描写は1巻から印象的だが、同じ様に美しい海が、北陸に来てからの描写にも出てくる。 5巻に出てくる「天晴」は絵から恐らく、雨晴(あまはらし)海岸。富山県高岡市にある、岩の景観が印象的な海岸。他にも古い日本家屋や庄川の花火大会などから、ここは富山県だと分かる。 意外と穏やかで明るい雨晴海岸にて、妹の晃は、自分と不可分な海を想う。まるで隣の兄・桂一の事を想うように。 ここでは冬の厳しい富山を、暗く扱うことはない。光ある穏やかな地で、優しい人々に受け入れられる「夫婦」は幸せそうだ……受け入れられる筈もない二人の秘密を、どこまでも抱えたまま。 (6巻の書誌情報で「富山」とはっきり書かれているので、間違い無いと思います。4巻で桂一が「福井……だったかな」と言うのは、彼のいい加減さのエピソードになっていますね)