殷周伝説

紀元前1100年くらいの話です。

殷周伝説 横山光輝
酒チャビン
酒チャビン

今から3000年も前の話ですね。おそらく人間の形とかも今とは全然違ったでしょう。さすがに。 舞台は中国は殷の時代です。三国志とかそういう感じの作品と同じジャンルです。読み味も似ています。 ただ個人的には、同作者の史記・三国志・水滸伝・チンギズハーン・織田信長・豊臣秀吉・武田信玄あたりと比べてイマイチ入り込めませんでした。 やっぱ前提として登場人物のことを知らなかったんですよね。他のは光栄などのお陰で、かなり武力の値や兵科の種類などかなり知ったうえで読んでいたので、脳内で膨らませられたのだと思います。 そういった意味では、やはりマンガにおける登場人物の掘り下げって、すごく大事なんだなと気付かされた作品になりました。横山先生、死してなおありがとうございます。 あと紂王と妲己が本当にやばくて、早く倒してもらってスカッとしたかったのですが、まさか最終22巻までこの方達がラスボスとして居座り続けるとは思いませんでした。 まぁ史実(というか3000年前だと史実かすらもわからないですが)なのでしょうがないのですが、やはり当初のボスは、いい塩梅のところで倒されてもらって、その後さらに極悪で強いボスが登場する、という作りの方が物語としてはエモーションを感じますね。 でも読んでよかったと思ってます。

三国志

夏草や 兵どもが 夢の跡

三国志 横山光輝
影絵が趣味
影絵が趣味

無類の夏好きとしては、日に日に日没が早くなり、重々しいほどの陽射しと蝉時雨が軽やかに感じられるようになる、この晩夏という季節には、言うに謂われぬ気持ちが沸き起こってくるのですが、そんなときは秋の楽しみを言い連ねて心を落ち着かせています。 秋の夜長、秋晴れの高い空、お月見の秋、紅葉の秋、食欲の秋、芸術の秋、そして、読書の秋。むかしの人は、夏が終わるというのに、今度は秋のなかに次々と醍醐味を見出していて、何て前向きなんだろうと感心してしまいます。 さて、「夏草や 兵どもが 夢の跡」とは、芭蕉が平泉の古戦場(源義経が追い詰められて討ち死にした場所)を目にして詠んだ俳句ですが、夏の終わりが来ると、この句のことを自然と思い浮かべます。兵どもを熱かった夏の思い出に置き換えているんだと思います。兵ども、それは今年も涙した高校球児たちのことかもしれませんし、狂ったように鳴き続けるセミたちのことかもしれません。過ぎていった夏の数々の記憶に、芭蕉の句がふしぎと寄り添うんです。 そうはいっても、時も季節も前にしか進んでいきませんから、せっかくの秋の夜長なら、その時間を読書に費やしてみる。そうだ、長編を読もう。久しぶりに横山光輝の『三国志』を読み返してみよう。 読み始めて驚いてしまう。なんと、桃園の誓いを先駆けに、そこには熱かった夏の記憶のような熱戦や駆け引きが繰り広げられているんです。兵どもが頁のそこかしこで腕を奮っているんです。蜀の面々だけで言えば、劉備、関羽、張飛の三人が出合い、趙雲が仲間に加わり、関羽の右腕として元山賊の周倉、養子として関平が加わり、劉備の養子として劉邦が加わり、そして諸葛亮孔明に三顧の礼をつくし、さらには孔明についで龐統までが加わり、黄忠・厳顔の老将コンビが加わり、馬超一族が加わり、ここに関羽・張飛・趙雲・黄忠・馬超からなる五虎大将軍が生まれます。まさに夏の絶頂。 しかしながら、いつの世だって季節のというものは過ぎてゆきます。関羽、関平、周倉、劉邦の相次ぐ死を皮切りに、五虎大将軍たちがあっけなく逝ってしまいます。季節というものは驚くほど正確に時を刻んでゆくのです。 新世代の台頭として期待された張苞・関興の義兄弟コンビもあっけなく逝ってしまい、泣いて馬謖を斬り、姜維との新たな出会いや馬超一族から馬岱の献身的な活躍などがありながら、蜀の戦力はしだいに痩せ衰えてゆき、ついに孔明が逝き、後を継いだ姜維が孤軍奮闘しているさなかに首都成都を襲われた蜀は簡単に降参してしまう。なんというあっけない最期。 そして、また芭蕉の句が頭によぎるのです。 夏草や 兵どもが 夢の跡

宗像教授伝奇考

律儀で骨太な演出

宗像教授伝奇考 星野之宣
影絵が趣味
影絵が趣味

何を隠そう、影絵が趣味さんは、この宗像教授シリーズが大好きで大好きで仕方ありません。「なんでそんなに好きなのか」という問には、とにかく面白いからとしか応えようがないんですが、同じく手塚賞でデビューしていらい盟友として、あるいは切磋琢磨するライバルとして星野之宣と並べられることの多い諸星大二郎、彼のマンガも大好きなんですが、同じ民族学を題材にするマンガ家同士といっても好きの種類がどうも違うような気がするんです。 諸星大二郎はすっとこどっこいといいますか、あの無茶な演出がバカバカしくて好きなんですけど、星野之宣はというと、ひたすら律儀で骨太な演出を淡々と積み重ねてゆく。たぶんそこが好きなんですね。宗像教授シリーズは短編連作としてかなりの巻数を重ねていますが、毎回〃〃もの凄く面白いものを読んだなぁと深い後読感が残るんですけども、何を読んだのかと言われるとアレ? となってしまう。というのは内容が伝綺とか伝説だからなんでしょうけど、読んでいるあいだは律儀で骨太な演出に引き込まれて興奮しながらページを捲ってしまうんですね。これがもの凄い。 諸星大二郎については語ろうと思えばいくらでも語ることができると思うんですが、星野之宣はというとこんなに面白いのに何故か口吃ってしまうようなところがある。これがいつも不思議なんです。ひょっとすると星野のマンガはある種の透明性に達しているのかもしれません。