悪魔の花嫁

マジのガチで縦横無尽な文化教養マンガだった #完結応援

悪魔の花嫁 あしべゆうほ 池田悦子
名無し

昔の名作少女漫画という話題になると結構目にする悪魔の花嫁。マンバ通信でも取り上げられてたし読んでみるか〜と思って1巻読んだら、少女漫画らしくてメチャクチャよかったしマジで縦横無尽な文化教養マンガだった。 https://manba.co.jp/manba_magazines/11982 1巻でテーマとなったものだけでも ・【絵画】ドガ『踊り子』 ・【クラシック】ショパン『ノクターン』、シューベルト『魔王』 ・【環境問題】公害 ・【古典】竹取物語、ギリシャ神話、能楽(観阿弥・世阿弥)、源氏物語 …と、盛りだくさん。「ほぉ〜」と感心しながら読んでしまった。 作中世界について、↑の記事を書いた和久井さんが「異世界風ジャパン」と言ってたけど秀逸すぎる表現ですね。 日本の男子学生が自宅で貴族みたいな長テーブルで食事して平然と燭台持ちながら地下室に向かい出すの最高…! 少女漫画でおなじみの憧れの欧州の上流階級の暮らしを「こういうの好きなんでしょ?」ってサラッと現代日本(※70年代)にぶっ込んでしまう素直さ柔軟さが素晴らしい。 なによりにぶっ込んでも違和感を感じさせず、世界観を崩壊させない手腕がすごい。 正直1巻の時点ではスパダリというか結構粘着ヒーローって感じなので、2人がこのあとどうなるのかすごく気になる。 【追記】 気になったのが、主人公・美奈子という名前。 「ディモスの妹で、美と愛の女神ヴィーナスだから美奈子」という説明がされていたのですが、この「ヴィーナス=美奈子」って何が発祥なんだろう。 いままで「ヴィーナスで美奈子」と言えば愛野美奈子ことセーラーヴィーナスだと思っていたので驚きました。 あと1巻の最後のお話「愛は炎の中に」のカップルのやりとり。「やけどで酷い容姿になってしまった恋人(男)のために目を潰した彼女」って、これも何か元となる故事があるんだろうか。康一くんは由花子さんのために目を潰そうとしたけど、悪魔の花嫁読んでたのかな…。

機動戦士ガンダム THE ORIGIN

モデルを持たない僕達の、たとえ稚拙な芝居でも…

機動戦士ガンダム THE ORIGIN 安彦良和 矢立肇 富野由悠季 大河原邦男
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)

2024年3月17日 「また、死ぬよ!」(伝説の大根役者ロバート・コーツの「迷演技」,リーダーズダイジェスト『世界不思議物語』より引用)  安彦良和による表情がコミカルでいいんだけど、一年戦争後期のギレンとかシャアが中々しやがらないんだ、これが。仏頂面や一物抱えた薄笑いばっかりでさも自分等をアレクサンダー大王やナポレオンと思ってるんだろうね。あの芝居がかった態度は。それが大変不気味であるんだが、不気味ゆえに彼らは強い。彼らの心持はナポレオン、カエサルであるからだ、英雄は容赦を知らない、それ故負けも知らない。  それに比べるとホワイトベースの乗組員はケツの青いひよっこもイイとこ。たかが仲間が将軍を尻に敷くと言う粗相をした程度で目を丸くして開いた口が閉まらない。彼らの振る舞いもまた芝居がかってるが、ギレンやシャアと違ってそこには英雄を憑依させた凄みなんか無い。あるのは一身上の苦悩と戦場での生の証を立てようと足掻く青臭さ、それだけだ。  然し、彼らはハムレットやヒットラーを憑依させて何かしらの大物になろうとしているシャアやギレンと違って自分を生きている。彼らが英雄にのめり込み過ぎて自分でも何でもない暴力の化身になり果てているのに対し、ホワイトベースの乗組員はちっぽけな自分でしかないが、それを貫徹していく最中に英雄に届かなくても何かしら自分を語るヒストリーを身に着けた。詰り立場は逆転したのだ、余りにも豊かな教養とバックボーンにより得た資格で歴史に寄り過ぎた男たちは、逆説的に歴史の中での自分の立ち位置を忘れて骸か神か以外の自分の存在を忘却した。これは結局誰よりも歴史と己の対比に自覚的であり、メタ的にシャアやギレンの思想的師となっていたマ・クベが結局不出来な部下一人教育できず、歴史のダイナミズムを意識したアムロたちに敗北を喫した(『アムロ0082』)姿を見ても窺えよう。  『ガンダム』は45年続くロングランのシリーズだ。その中で築き上げられた設定や歴史はとてつもなく膨大で長くそれを専ら漁るファンも大勢いる。然しそのような流れの中に於て『THE ORIGIN』はフラットな設定に紐づいた歴史に異を唱えるように、そこでの「健全なダイナミズム」を描き出す。勿論、これは安彦良和の一存の作品であり、とても「粛清」の域に至らないのであるが、それでよいではないか(安彦もそこまで考えてはいない)。  結局、こういう作品が打切にならず大団円を迎えた辺りに「ガンダム」は恵まれた作品であり、我々はそれを盲信の観念を払拭して健全に引き継がねばならない。これは『ガンダム』の意匠を用いた歴史漫画であり、この歴史に『ガンダム』が含まれているとの告白だろう。 P.S:  或いはジオンが、事故演出家した歴史とするなら彼らはヨーロッパで、逆に自分を規定する歴史を持たず力で押しがちな連邦はアメリカなのかもしれない。然し少なくとも作品の後者には、己を語る語彙を得ようとするチャンスがあるのだ。作品ラストにジオンの残党が連邦で再就職するオチは「何物でもない」余地、ナポレオンでもヒットラーでもないモデルをさがす余地をアメリカに求めた隠喩なのかもしれない。これは余談の通り、根拠の無いトンチキ歴史観だ。忘れてくれて結構。