時は紀元前――。いまだ一度も統一されたことのない中国大陸は、500年の大戦争時代。苛烈な戦乱の世に生きる少年・信は、自らの腕で天下に名を成すことを目指す!! 2013年、第17回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞!
高校教師が生徒からのイジメにより入院した。代わりに新しく赴任した葛西先生は、美人でスタイル抜群。そのうえ天然で、きわどいトークにもニコニコ応じてくれる。「私が教師になったのは生徒を幸せにするため」と笑う彼女にまで、悪い生徒たちの魔の手が忍び寄る。しかし生徒たちは知らなかった――葛西先生は、サイコパスだと。
嫌われるのが怖くて、周りに流されながら高校生活を送る双葉。派手なギャルグループから抜け出せず、学校をサボったり親に反抗したり……。本当の自分を見失ったまま過ごすある日、交通事故をきっかけに家族にも友人にも内緒で、記憶喪失のフリをすることに!? 「この交通事故は神様が私にくれたチャンスかもしれない…」清楚な優等生として、今度こそ“自分らしく”生きようとする双葉だけど―――? マンガMeeで大人気の、人生やり直しヒューマンドラマついに電子版で登場!!
イギリス名家のお嬢様であるアイビーは、兄からもらった不思議なブレスレットの力により、古代エジプトへと飛ばされてしまう。砂漠で2人の青年に拾われたアイビーは、首都で行われる晩餐会に強制的に参加することになり、そこでビフィスと名乗る王子と出会う。突如起こる乱闘の最中にアイビーはビフィスに無理やりキスされ…!?
領主の次男として生まれたノアは、ある負い目から死んだように過ごしていた。そこに現れたのは美しい殺し屋。彼女はノアを追い詰め――「結婚しましょう!」どうやら一流の暗殺者に惚れられてしまったようです!?オールKADOKAWAによる縦スクロール漫画大賞受賞作!
「温かい陽だまりのような人に出会った。」父を亡くしてから、母の再婚相手の家で暮らすことになった主人公・杏。服従を強いる母と自分の姓を受け継がせない義父の下で育った彼女は、いつの間にか心を固く閉ざして生きてきた。無味乾燥な日々が続く中、義父の顔を立てるためのお見合いに無理やり行かされることに…期待感ゼロの杏の前に現れたのは、自分とは正反対の完璧な男・悠真だった。自然と会話を重ねていくうちに、杏の凍りついた心が次第に溶けていくのだが…
継母に吉原に売られた美しき令嬢が、妖艶な身体と技で男たちを悶えさせる……。花街で令嬢女郎が操る性技の数々、女のエゴやプライド、様々な生き様を描く!
いよいよ『キングダム』が化けの皮を脱ぎ捨てて、その本質を剥き出しにしてきたと思うわけです。これまで毎週のようにキングダムに夢中になっていながら、どうも周囲の熱狂ぶりから一歩身を引いてしまう自分がいました、自分の夢中になるポイントがどうも周囲とはズレているように思われて仕方なかったのです。 あるいは戦術的な細かな考察であったり、あるいは将軍たちの個性をマネジメント能力や経営論の名のもとにビジネス書にまでしてしまう素っ頓狂な連中、そろそろこういったものたちに厳しくノーを突き付けなければならないような気がするのです。やれキングダムから世間を語ろうがビジネスを語ろうが何を語ろうがそれはまったくの自由だが、そうすることでキングダムというこの漫画の一頁一頁に迸っている本来の魅力をうっかり見逃してしまいはしないか、そんな危惧があるのです。キングダムの魅力は、そんなふうに何かに援用されて語られるような二義的なものではないと切に思うのです。二義的であるというのは、すなわち根本的ではないということ。上記のような援用の仕草は、無数の事象の積み重ねによる幾重もの絡まり合いから途方もない事実として現前にあらわれる「いま、ここ」にあるものを単なる何かの理由からくる結果として弄んでしまう。 世間的には支離滅裂だと不評だった犬戎戦で、「元と正せば我こそが貴様らの祖、貴様らの王である」と因果論を振りかざすロゾに対して、フィゴ王は言わなかったか。 「何が王か、何が祖か、一体何百年前の話をしているのだ貴様は 貴様ら犬戎と我ら山の民は大きく違う 貴様らはこの平地の孤島遼陽に滞まり続けたが 我らは西の大山界で覇を争い戦い続けてきた 滞まるお前たちと違い、我らはそれぞれ夢に立ち向かう者」 まずフィゴ王は犬戎と山の民の違いを指摘してみせた、それはまさしく、ひとつの因果としての捏造された物語に組み入れられることへの拒否にほかならない、つまり、お前はお前だが、俺は俺だ、勝手に一緒にしてくれるなということ。その上で「我らは"それぞれ"の夢に立ち向かう者」、つまり、我らはお前が勝手にのたまう因果の物語には生きていない、我はそれぞれの目の前に瞬間ごとに立ちはだかるこの現実をしかと見据えている、ということだと思うのです。 そして最新話、散々騒がれた隊の覚醒とは、ひとはそこに因果を探りたくもなるものだが、じっさいには単なる因果とはまるで無縁の、いや無数の一瞬一瞬からくる因果のはてに荒唐無稽と呼びうるまでになった途方もない現実の積み重ね、ほとんどそのひとつひとつが奇跡ともいえる圧倒的に現前する事実また事実の一回かぎりの繰り返し、そのたったひとつとしての士気の爆発でした。 だいたい私たちはどんな因果の物語に括られようが、じぶんにこの先いったい何が待っているのか、そんなことは誰に言われるでもなくわかっているのです。同じようにキングダムの結果だってわかっているのです、秦は中華を統一して、やがて滅び去るのです。そして、ほかでもない私たちは秦が中華を統一した後の世界に生きている、そこにどんな因果があるだろうかはひとそれぞれにしても、とにかくこの事実だけはどうしてもひっくり返りようのない途方もない奇跡のような事実なのです。