あらすじ

年中無休、24時間オープンの救急医療。そんなハードな診療を始めた理由とは?そして貧しかった徳田虎雄がいかにして病院を建てたのか?「のろのろと病院をつくっていたんでは助かる患者さんも死んでしまうんだ!」。一人でも多くの命を救うため、日本中に一つでも多くの病院を建設するため、奔走する虎雄だったが、強大な権力を持つ医師会による圧力が……。虎雄の医療革命を阻もうとする医師会との闘いが始まった……!
徳田虎雄物語 トラオがゆく
年中無休、24時間オープンの救急医療。そんなハードな診療を始めた理由とは?そして貧しかった徳田虎雄がいかにして病院を建てたのか?「のろのろと病院をつくっていたんでは助かる患者さんも死んでしまうんだ!」。一人でも多くの命を救うため、日本中に一つでも多くの病院を建設するため、奔走する虎雄だったが、強大な権力を持つ医師会による圧力が……。虎雄の医療革命を阻もうとする医師会との闘いが始まった……!
【劇画】大隈重信

【劇画】大隈重信

歴史的政治家かつ早稲田大学の創立者・大隈重信の激動の生涯を貴志真典が完全劇画化! 天保9年、大隈は有明海に面した肥前佐賀藩の砲術家の長男として生まれた。慶応元年12月、幕府は第二次長州征伐を行ったが長州軍・民衆の頑強な抵抗にあい敗退、幕府は苦境に陥った。15代将軍・徳川慶喜に、将軍職を朝廷に返上するよう進言する事を誓った大隈は京都に直行。慶喜の参謀・原市之進に会うが、駆け付けた藩邸の役人に捕らえられ大隈は佐賀へ送り返されてしまう。藩法によれば、脱藩は切腹の刑だというが…!?
【劇画】早稲田大学

【劇画】早稲田大学

明治、大正、昭和、そして太平洋戦争開戦、終戦へ……生徒数わずか八十名から始まった学校が激動の時代を駆け抜ける!──明治元年。キリシタン弾圧が欧米列強の怒りを買い、日本政府は諸外国との間に大きな溝を作ってしまった。しかし、外国事務局判事・大隈重信(おおくましげのぶ)が事態を見事に解決。政府首脳から高い評価を得た。この有能な青年は後に、国家の基礎は教育にある、との信念に基づき近代的な学校を設立する──。──日本を代表する大学の一つ早稲田大学。様々な困難を切り抜け成長していく学校だったが、「学徒動員」という最も大きな試練が待ち構えていた……。
【劇画】慶應義塾大学

【劇画】慶應義塾大学

学問の意義とは何か?大人に改めて読んで頂きたい慶應義塾大学を設立した福沢諭吉の評伝劇画!──天保五年、中津藩の家臣の子として生まれた福沢諭吉は少年時代から学問に親しみ、若くしてひとかどの蘭学者に成長していた。ある日、横浜へ見物に出かけた諭吉は自分が学んだオランダ語が全く使われておらず、会話も看板の字も英語ばかりである事に衝撃を受ける。世の中の移り変わりと英語の必要性を痛感した輸吉は英語の習得を決意するが、当時の日本では英語の参考書や辞書を入手するのはほぼ不可能だった……。
【劇画】日本大学

【劇画】日本大学

陸軍中将。伯爵。初代司法大臣!創立者・山田顕義の熱き49年の生涯とは!?──長州藩士の長男として生まれた山田市之允(のちの山田顕義)は、14歳の時に松下村塾に入門し、吉田松陰の教えを受ける。のちには下関戦争や第二次長州征伐で奮戦し、戊辰戦争では官軍を率いて勝利に貢献。明治期は第一次伊藤内閣において日本で初めての司法大臣に就任し、近代法の法典整備に尽力する。そんな山田顕義は、法学を修め研究する教育機関として日本法律学校を設立し……。
恋獄漂流

恋獄漂流

姉との間にもうけた子供を姉もろとも失った青年・風見銀河は、街から街へとさすらう流れ者となり様々な女性と出逢いを重ねる…。本当の愛を求めて彼が行き着く境地とは!? 70年代初頭の「ヤングコミック」誌上で圧倒的人気を博したピカレスクロマン。貴志元則の原点はここから始まった!! デビュー作「ふとん」も同時収録。
徳田虎雄物語 トラオがゆく
徳洲会病院の歴史が分かる漫画
徳田虎雄物語 トラオがゆく 貴志真典
名無し
面白かった。徳洲会病院といえば地方にある自分の地元にもある病院だけど、その成り立ちについては一切知らないので全部興味深く読めました。2004年以降に描かれているはずなのに謎に劇画調なところも面白かった 1972(昭和47)年に、大阪・松原市に年中無休、24時間オープンの救急医療を行う徳田病院がオープンしたところから始まり、創設者の徳田虎雄が「生命だけは平等だ」という理念のもと、既得権益を守ろうとする医師会とバチバチに戦いながら日本各地に徳洲会病院を増やしていくという熱い話。 いつ何時倒れようと夜間救急や休日診療を訪れたり、救急車搬送され治療してもらえるのが当たり前だと思っていた自分にとって、70年代の救急医療の酷さにはとても驚きました(この本以外のソースをあたってないのでどの程度正確に描写されているのかわかりませんが)。 徳田虎雄自身は鹿児島市から約468km離れた徳之島という島の出身で、隣の町まで呼びに行ったのに医者が来ず弟を喪ってしまったことが、徳田虎雄の強い信念の礎となっている。病院を建てるためにあらゆる手段を尽くすと自ら選挙にも出ていたと知り、その信念が本物だなと感じた。 新しい病院を設立するために毎回自分に生命保険をかけ受け取り人を銀行にし、その額が1億8千万→8億→27億3千万と跳ね上がっていくところが凄まじい。 内容以外の絵について言うと、並んでる人物の大きさがおかしかったり、コマ割りが謎だったり、ギャグとシリアスの見分けがつかなかったりいろいろあるのですが、全部ひっくるめて面白かったです。