藤原カムイの最初期の短編集『BUYO BUYO』には『おいね』という漫画史上類まれな作品が収録されている。1983年発表の本作は、作画に藤原カムイを置き、原作を竹熊健太郎が務め、編集を大塚英志が担当している。つまり、のちに漫画界をあらゆる意味で席巻することになるこの三人が連名で共作しているということがまず類まれである。しかも、藤原と竹熊においては共に誌面でのデビュー作であり、大塚にいたっては大学を出たばかりの新米編集者として本作に携わり、まだ大塚英志の名前すら世には出ておらず、大塚某の名で本作に登場している。 ここでいう連名の共作に、作画の藤原と原作の竹熊の名があがるのは当然として、編集の大塚の名があげられるのは少々お門違いなのではないか、と思われる方がいるかもしれない。なるほど編集とはあくまでも裏方であり、作者の側とは明確に区別されるべき存在だ。ところが、裏方たる編集がどういうわけか漫画の物語に全面的に関与してしまうという点において、この漫画はまた類まれである。 1頁目のタイトルで連続大河ドラマと銘打たれた『おいね』は、たしかに大河ドラマっぽい感じではじまるのだが、どういうわけか、たかだか20頁あまりの尺で宇宙規模の物語にまで大発展する。漫画史上ほかに例を見ない「お詫び」なる制作者側からの謝罪文を合間合間に挟みながら、物語はさらに加速度を増していく。 あくまでも物語を引っぱっているのは、メビウス(=ジャン・ジロー)から多大なる影響を受けた藤原カムイの確信的なペンタッチであり、その裏で制作者側のギャグ?が大真面目にメタフィクション的に展開されるという、まさかの二重構造が『おいね』を漫画史上類まれな作品たらしめている。 おそらく、このアイデアの発起人は竹熊健太郎だと思われるが、何よりも頭が下がるのは、竹熊も彼を天才と称してやまない藤原カムイの作画である。彼は、コマとコマとがそもそも繋がっていないということを熟知しており、とにかくかっこいい絵を並べておけばそれだけで漫画を引っぱっていけるということを確信していたのだ。この発想はいかにもメビウス(=ジャン・ジロー)的だと思われる。のちの藤原のキャリアが作画を中心に展開されるのも大いに頷けることなのである。 竹熊はのちに『おいね』のメタフィクション要素をさらに過激にした『サルでも描けるまんが教室 サルまん』で漫画制作そのものを漫画にしてみせ、藤原と大塚は『アンラッキーヤングメン』で再び共作して、それぞれ時代を代表する作品を残している。 ちなみに『おいね』は竹熊健太郎が主催する電脳マヴォでも読めるようである。http://mavo.takekuma.jp/viewer.php?id=449 必読! と言わざるを得ない。
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