私的漫画世界|寺沢武一|ゴクウ
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寺沢武一(てらさわ ぶいち)の作風はアメリカン・コミックスの影響がうかがえる独特のものですね。最初のメジャー作品となった「コブラ」の主人公はアメコミあるいはハリウッド映画から脱け出してきたような造形です。雰囲気は殺しのライセンスをもち,事件の度に敵味方関係なく美女と熱い関係になる「ジェームス・ボンド」に類似しています。
随所に見られる主人公のシニカルで洒落たセリフも日本の漫画とは一味違ったものになっています。窮地に陥っても強がりにも聞こえる洒落たセリフが寺沢武一作品の持ち味です。
描画の特異性と登場人物が欧米人が多いためアメコミ風という評価になっているようですが,当の米国での評価は日本的なコミックスとなっています。作者も取り立ててアメコミを意識しているようではありません。
しかし,ハリウッドのアクション映画に見られるような主人公のエスプリとユーモアにあふれる決めゼリフは日本人には似合いませんのでアメコミ風の作品にならざるを得なかったのでしょう。
最初の作品「コブラ」は少年誌に連載されたにもかかわらず,女性キャラクターの露出度が(物語の展開にとって不必要に)非常に高く,相当の批判があったようです。しかし,読者がそのような女性描写に慣れてしまったのか「コブラ」は足かけ8年にわたって連載されます。
独特の雰囲気をまとった作品を手掛ける寺沢武一の漫画家としての出発点は手塚プロへ入社したことです。それ以前にも賞金稼ぎのように賞金付き漫画に投稿していました。しかし,そのような投稿は小遣い稼ぎになっても安定した収入にはなりません。たまたま雑誌で手塚プロがアシスタントを募集していることを知り応募しました。
結果として面接までこぎつけました。当の本人はまだ社会的な常識がなく,面接=採用だと思い込み,引っ越し荷物を手塚プロに送ってしまったという笑える話が本人談として語られています。
実は手塚プロとしては不採用としていたところを,手塚本人が寺沢の絵を見て感じるものがあると採用を決定したというエピソードも残されています。荷物を送り届けて不採用では笑えない話になってしまいます。
手塚プロにお世話になったのは約1年ですが寺沢は手塚を師匠としています。新しいもの好きも手塚の影響が大きいと本人は語っています。手塚のDNAを受け継いだのか,本来の性向なのか寺沢は彩色においてコンピューターを活用するというまったく新しい試みに挑戦しました。
それは,1985年のことであり,使用機種は「PC-9801」ですから驚きです。現在ではコンピューター・グラフィクスは当たり前のものとなっていますが,当時のパソコンの機能からするとほとんど信じられないような先進性です。
1980年代半ばのパソコンの性能は現在とは比較になりません。クロック周波数は8MHz,HDD容量は1装置あたり10Mb,メインメモリーは1Mbといったところです。この程度のマシーンでは「一太郎」のようなワープロソフトを動作させるだけで手一杯の状態でした。そんな時代に漫画原稿の彩色に取り組んだとは驚きです。