私的漫画世界|安彦良和|クルドの星
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「クルドの星」が世に出た1980年代は海外旅行に出かける人はまだ少なく,いくつかの世界遺産を抱えているとはいえトルコを目指す人はさらに少数派だったはずです。当然,トルコの少数民族である「クルド人」が置かれている状況について知る日本人はほとんどいなかったと考えます。
その中で作者がトルコのクルド人を物語の題材に選んだにはそれなりの理由があります。安彦氏の作品である「アリオン」が映画化されることになり,ギリシャのイメージを確認するため旅行することになりました。ギリシャとトルコは陸続きですので,ついでにトルコも訪問地に加えました。トルコの西海岸はエーゲ海に臨み,トロイの遺跡に代表されるようにギリシャとも関係の深い地域です。
一般的にトルコ人は非常に親日的であることはよく知られており,その要因は二つあるとされています。 一つはオスマン帝国海軍の軍艦エルトゥールル号の海難事故に関わるものです。1890年(明治23年)9月16日夜半,日本を表敬訪問して帰路についたエルトゥールル号は折からの台風による強風にあおられ,紀伊大島の樫野崎近くで座礁しました。
船は機関部への浸水により水蒸気爆発を起こして沈没し,587名が死亡または行方不明になる大惨事となりました。最寄の大島村(現在の串本町)の住民たちは総出で遭難者の救助に当たりました。乏しい蓄えの中から食料,衣類を供出し,献身的に生存者たちを手当てしたことにより,69名が故国に生還することができました。エルトゥールル号の遭難および村民の献身的な救助,日本国政府の尽力はオスマン帝国内でも新聞で大きく報道されました。
もう一つは1904年(明治37年)の日露戦争です。この戦争で日本が勝利すると,長らく帝政ロシアの南下圧力にさらされてきたオスマン帝国の人々は東の小国日本の快挙として熱狂したといいます。この二つの出来事によりトルコ国民の対日感情はとても良好です。
余談になりますがイラン・イラク戦争のさ中の1985年にイラクは48時間の猶予期限をもつイラン上空の航空機に対する無差別攻撃宣言を出しました。出国を急ぐイラン在留日本人は日本国政府の救援を受けられず危機的状況にあったとき,トルコ政府から派遣されたトルコ航空機によって猶予期限内にトルコに移動し,無事日本に帰国できたというこころ暖まる逸話もあります。
このとき日本の商社や大使館からの救援要請にトルコ政府が快諾した背景には100年前のエルトゥールル号の海難事故の恩返し意味合いがあったとされています。当然ですが安彦氏の一行もトルコでは歓迎されたと推測します。こんなに歓迎されたのだからトルコを舞台にした作品を作らなければと安彦氏が思ったかどうかは分かりませんが,トルコ訪問が「クルドの星」が生まれる大きな要因となりました。