寄生獣

不徹底と言う名の慈悲

寄生獣 岩明均
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)
阿房門 王仁太郎(アボカド ワニタロウ)

「人間が何故泣くのか分かった。俺には涙は流せないが」-『ターミネーター2』  再読して思ったがつくづく不思議な漫画だ。今現在の漫画は『童夢』を一つの里程標として映画的な立体を備えた場面や編集(コマ割)で事件を描きその「アクション」で以てテーマを射影するのであるが、『寄生獣』はそれに比べると余白が多い。ならば、手塚治虫のような捲し立てる戯曲風かと言えば、やはりあの余白やコマの多さを考えるとそうでもない。  モノローグの豊かさや情報の緩急のコントロールは正しく他の作家の系譜と言い切れない、アラン・ムーアやフランク・ミラーとかとは意味が異なるが正しく「グラフィック・ノベル(絵のついた小説)」とでも言うべきものだった。  この作品の「結論」が出るのは恐らく「田村玲子」の死亡からだと思う。田村は一種の心尽くしとして拳銃弾の雨に背を穿たれている最中に、回避、防御され二の次にしながら新一の亡くなった母の顔を模し彼に「不格好でもパラサイトも他人を慮れる」事を示しその心を解し、ミギーを驚愕させる。即ち、パラサイトが「人間味を持てる」事を示したのだが、その反対に市長の広川(パラサイトと共存していない純粋な人間)はディープ・エコロシー(敢えてこう言えば地球と言う自然全体の保護のために人間の淘汰さえ辞さない発想)に基づく、或いはナチス・ドイツさえ彷彿とさせる虐殺と管理を提唱し、人間でありながらパラサイトと誤認される。  要するに、「相手に対する慮り」こそが「人間」の得難い性癖であるが、それは人間の条件や特権ではないと言う事、それを元に環境を考えなければならない事がこの作品のテーマだと思う。  恐らく、最初は広川的なディープ・エコロジーこそが結論だったのかも知れないが、彼の示す如き全体主義を現出させる事に気づき、涙ながらに後藤を殺める新一が新たに象徴として浮き上がったのだろう。  私はこの変遷を見て『ターミネーター2』を思い出した。この映画も「歪な生き物」が現代社会に登場し、人間の過ちや罪深さを浮き彫りしていくのだが、ターミネーターが「命の大切さ」を学んだ事―又はこれを通してサラが未来の為と言って他人を殺める事は出来なかった―で黙示録を回避できるのではないかと言った希望が紡がれる所で終わる。  広川やスカイネット的な計画と管理ではなくこの「感情」を軸にした他者へのシンパシー、自己の尊重こそが世界的な終末を避けると言う結論はあるいは失敗するかもしれないが、岩明やキャメロンのようにそれに賭けるべきなのかもしれない。その面でもいい漫画だと思う。 P.s 投稿より約9時間後、「「相手に対する慮り」こそが「人間」の得難い性癖であるが、それは人間の条件や特権ではないと言う事」、「広川やスカイネット的な~」との文言を追加、編集

レイリ

武田家の滅亡を描く

レイリ 岩明均 室井大資
六文銭
六文銭

大河ドラマ『どうする家康』が好きで、武田家の話がメインになったとき、本作にたどりつきました。 武田家の滅亡を武田側の目線で描いた作品。 正直、信玄以後、長篠の戦いで織田・徳川連合にフルボッコにされた後は、どう滅ぼされたのかあまり知らなかっただけに、その点も興味深く読めました。 主人公・レイリは、織田兵に家族を殺され、襲われているところを、武田家家臣・岡部元信に救われる。 武田領で剣技を磨き過ごしていたところ、武田家の嫡男・信勝に似ていることから影武者として教育をうける。 そこから、織田・徳川による甲斐征討に巻き込まれる・・・という展開。 個人的には、歴史モノとしては珍しい、非常に読みやすいのが特徴だと思います。 文章による説明が多くないのにも関わらず、問題なくストーリーが入ってくるのが、巨匠・岩明均だとうなりました。(もちろん背景となる歴史をある程度知っておく必要はありますが・・・) レイリという名前の由来とそこから派生する最後の描写は非常によかったです。 何より、後で調べたのですが、 最終的に家康に士官し、レイリによって育てられた土屋惣蔵(土屋昌恒)の息子、その母親は岡部元信の「娘」だと知って、岡部元信のあのセリフがフラッシュバックしてグッときました。 歴史モノとしてでなく、歴史の流れに翻弄されるヒューマンドラマとしても楽しめる作品でした。