はっきり言って『すくらっぷ』を小山田の最高傑作にし辛いのは、私一人じゃなかろう。となるとかの二者だ。奥深さはこちらだが、『ウッド』にはヒーローグループが少数ゆえの明快さがある。すると〈兄たり難く弟たり難し〉としかいえない。
私は今小山田論をツイートする際、一般党員が九割方首を捻る事請合のタグを必ず付ける。〈#幸福の科学〉これだ。理由は「小山田を後者が見たら」という自問自答だ。その結論は、〈小山田の過去生は、欧州美術史の一等星の一・ラファエロ〉という物だった。その香を私に最も深く味わわせてくれるのが、そう、これ!
「天才の若書き」なる辞があるが、本書を手に取ってみると『巨人』(マーラーの第一交響曲)位しかその右に出られるモノはない気がしてやまない。後作『ぶるうピーター』と違って、それこそ生一本で一貫しているのが、こちらの強味なのだ。しかも全体の味は童話風とは!日本文学史の一等星扱いを受けてもおかしくないと思えてならない人間は、私一人なのか!?
なぜか後の「フォーナ」や「風の宿」とかに通じるシリアスさが、ほとんど感じられない。そのため、人は、構えずにその世界に入っていける。勿論小山田いくのベストを争う逸品!現存モノで肩を並べ得る作品は、私のカンでも「十二国記」及び「ログ・ホライズン」位ではあるまいか。
「こんなこと」を考えているのは、私ぐらいのものではないか?だが「『密度』の点では、他の作品を寄付けない」としかいえないのも事実。私としては、「よくぞここまで…」とまで言いたい。
今は無き鉄道線の絵を見る。それだけでも、私は手にとる。
これも学園モノだが、どこかから『陳腐性』が匂いやかなところがあって、ノリの点で食い足りなさが感じられたものだ。だが、今となっては、これとていとしい。
こんな代物の設定が空振りだったところで、どうだというのだ。誰の識った事かというわけだ。もとより、おりゃ知らんわそんなもん。
はっきり言って『すくらっぷ』を小山田の最高傑作にし辛いのは、私一人じゃなかろう。となるとかの二者だ。奥深さはこちらだが、『ウッド』にはヒーローグループが少数ゆえの明快さがある。すると〈兄たり難く弟たり難し〉としかいえない。