ドカベン
なぜ今までドカベンを読まなかったのか?
ドカベン 水島新司
マンガトリツカレ男
マンガトリツカレ男
基本的には水島新司のマンガは好きだが「ドカベン」「大甲子園」に絡むマンガは読んでいなかった。水島新司のマンガは好きなので「いただきヤスベエ」「銭っ子」「父ちゃんの王将」「たちまち晴太」あたりは読んだし、「朝子の野球日記」「平成野球草子」、理解はあまりできていなかったが「ドカベン プロ野球編」「ドカベン スーパースターズ編」「ドカベン ドリームトーナメント編」はリアルタイムで読んでいた。「あぶさん」に至っては1990年代前半からずっと読んでいて、あぶさんがシーズンオフに行く温泉の回で季節を感じるくらい生活に密着していた。 ただ「ドカベン」「大甲子園」に絡むのだけは読んでいなかった理由ははっきりしていて小学校の同級生で水島新司のマンガがすごい好きな奴がいて、「ドカベン」「大甲子園」の話とファミコンで発売していた「水島新司の大甲子園」の試合結果を毎日のように聞かされなかなかきつかったのでドカベンに対してあんまり良い印象をもてなかったのが原因だと思う で今回「ドカベン」を読み始めていますが柔道編はともかく確かに31巻まで読むと名作と言われるだけのことはある面白さだった
ドカベン プロ野球編
じつは滅法おもしろいプロ野球編!
ドカベン プロ野球編 水島新司
影絵が趣味
影絵が趣味
数あるドカベンシリーズのなかでも、亜流なのかもしれないですが、地味に好きなのがプロ野球編です。まず、ドラフトからいって滅法おもしろい。巨人とホークスを除いた10球団が、山田、山田、山田、山田、山田、山田、山田、山田、山田、山田、と山田を一位指名して、岩鬼が学校のグラウンドでラジオを聞きながら怒っているという。たしか、岩鬼はノックをしながらで、一年か二年の誰かが受けているんですけど、全部かっ飛ばしちゃって、これじゃあ練習にならないですよーとか言われている。とても印象的な始まりでした。そんな岩鬼は、巨人とダイエーから一位指名を受け、気持ちは巨人の長嶋監督だったけれど、ホークスの王監督が当たりくじを引く。岩鬼は涙ぐみながら、これも勝負の定めとか何とかそれっぽいことを言ってホークス入りを決める。外れ一位戦線では山田のライバルたちが次々と指名される。 日ハム→不知火 横浜→土門 中日→影丸 ヤクルト→中 近鉄→坂田 阪神→武蔵 広島→犬神 本格派の好投手を獲ってしっかり育てているイメージのある日ハムが不知火を指名しているのが、いかにもって感じです。こうしてみると、みんなけっこうハマっているような気がします。坂田なんかは地元球団ですしね。 そして、里中が三位で千葉ロッテ、微笑が三位で巨人。五位でオリックスがピアノの道に進む殿馬を強行指名と続きます。 肝心の山田は西武ライオンズ。これは清原から直に打診があったそうなんですね。俺はドカベンから四番バッターの心得を学んだんだ、と。だから、ぜひとも続きを描いてほしい、と。まあ、清原が言うんじゃ仕方ないというわけで、山田は清原が在籍していた西武に入団することになります。ちなみに殿馬のオリックス入りはイチローが頼みこんだみたいですね、ぜひとも殿馬とプレイしたい、と。これはもうナイスアシストとしか言いようがないですね、ここに夢の1・2番が誕生するわけですから。 そんなこんなでプロ野球編がはじまるわけですが、捕手を主役に置いたドカベンの特異な構造が高校のときよりもふんだんに生かされていると思います。これこそがプロ野球編ひいてはドカベンの醍醐味だと思うのですが、本来なら主役におさまるべき投手を主役にせず、あえて捕手を主役にすることで、かえって個性豊かな投手たちをライバルとして描けることになるのです。そればかりではなく、プロ野球編では、山田が受ける投手がもはや里中だけじゃない。何なら里中は高校時代にはなかったスカイフォークを引っさげて山田のライバルとして立ち塞がり、山田は、渡辺久信(ナベQ)、松坂大輔、犬飼知三郎、蔵獅子丸らを巧みにリードしていきます。対ホークス戦では、岩鬼の打席で、大先輩のナベQに対してど真ん中の直球を要求して、マジかよ、なんて言わせるわけですから、これが面白くないわけがないんです。 プロでも山田殺しのワンポイント・リリーバーが大勢現れます。なかでも印象深かったのは、牛虎というピッチャーですね。のらりくらりとした牛のようなフォームから、星野信之ばりのスローカーブと直球を投げ分ける投手で、90キロのスローカーブを見せられたあとの直球に山田は金縛りにあう。しかも、スピードガンには150キロの表示が。まさに牛虎という名を体現した投手でした。 そんなこんなで投手はむしろ、贅沢なことにも有り余ってきたような感じになり、坂田や犬神を野手としても活躍させたりしています。坂田はわかるとしても、犬神の野手転向は渋かったですね。あくまでも、どっちもできるユーティリティープレーヤーみたいな感じでしたけど、一時期はカープの四番打っていましたからね。 時代が進むごとに野手でもオリジナル・キャラクターが増えてきます。いちばん最初は、里中とバッテリーを組むことになる瓢箪だったでしょうか。里中のスカイフォークを捕球できるのが一緒に特訓をした瓢箪だけだったので、里中とともに一軍登録になり、ロッテの守護神バッテリーとして活躍します。のちに山田とバッテリー組むことになる蔵獅子丸も、当初は野手として登場しました。清原の抜けた四番に山田を押しのいて座るんですけれど、まあ、高飛車な選手で山田をコケにしまくる。背番号は440(ししまる)、もうこれだけで勝ちのキャラクターです。でも、じつは変化球がまったく打てないことが判明して、いつのまにか投手として山田のいい相棒になっていましたね。イチローの後釜として、オリックスに入団した不吉霊三郎なんてのもいました。名前のごとく、対戦相手に怪我とかイレギュラーとか不吉なことが起こりまくるというドカベン史上もっとも意味不明なキャラクターでしたけれど、まあ、トリッキーの殿馬との相性はバッチリでした。 岩鬼がバント等の小技に目覚めるなんて年もありました。お客さんからの野次が秀逸で「何でもありじゃあスーパースターじゃなくて、スーパーマーケットだろうが!」とか言われていましたね。大笑いしたのを憶えています。 最後まで名前の出てこなかったことからお察しいただけるように、微笑をいかに活躍させるか、みたいなところもひとつの見所ですね。 シリーズの中では、つまらないと言われがちなプロ野球編ですが、いやあ、滅法おもしろい! ドカベンならではの良さがいちばん出ているのがプロ野球編だと思います!
ドカベン
だから野球マンガは面白い!
ドカベン 水島新司
影絵が趣味
影絵が趣味
当初は柔道マンガとして始まり、いくつものシリーズを経由しながら、ひじょうに長い年月を経て、とうとう『ドカベン』に終止符が打たれた。最終巻の最終話では、第一巻の第一話における山田と岩鬼の出会いをそのまま回想としてなぞり、このあまりにシンプルでありながら、これしかないという演出には言うにいわれぬ感慨を憶えたものだった。 『大甲子園』を含めたドカベンシリーズの本流だけで全205巻。それ以外の支流からドカベンシリーズの本流に合流してきたものを合わせれば300巻に迫る勢いである。じつは、こち亀の200巻の記録をゆうに超えてしまっているのだ。 この途方もない事態は、おそらく『ドカベン』にのみ関わるものではない。すべての野球マンガに、野球マンガというジャンルに関わるものであると思う。マンガには様々なジャンルがあるが、そのなかでも野球マンガというジャンルは、マンガという体系に対して、ある特権的な位置を占めていると思うのだ。これはハリウッドが西部劇というジャンルとともに映画産業を発展させてきたのとよく似ているような気がする。すなわち、ここでは映画が西部劇を撮るのではなく、西部劇という土壌が映画を撮らせているというある種の逆転現象が起きている。映画においてもっとも重要な光線の処理の問題、これをハリウッドはその近郊の年中天候の変わりにくい荒涼地帯で西部劇を撮ることで解決してきたのだ。天候がほいほい変わればそのたびに撮影を中断せねばならないが、西部劇ならばそんな心配はしないでどんどん撮影をすすめ、作品を量産することができる。つまり、こうした西部劇の量産で興行した潤沢な資金を次の撮影にまた注ぎ込むというサイクルがハリウッドにはできていたということだ。 では、マンガはどうかといえば、マンガ制作に天候はあまり関係がなさそうだが、やはり手塚治虫の登場いらい体系の整えられてきたコマと記号の処理という問題が"大友以降"のマンガにおいても頭をもたげてやまないはずなのだ。というより、マンガにおける諸問題はコマをいかに処理し、記号をいかに処理するかに集約されるはずだ。あれだけマンガというものに抗ってみせた『スラムダンク』の井上雄彦もけっきょくはコマからは逃れられないし、記号には頼らざるを得ないところがあった。そもそも井上がマンガに抗わざるを得なかったのはマンガ家という身分でありながらバスケが好きだったという不幸に由来する。マンガでバスケの動きをどう表現するか、それは文字通りマンガへの過酷な抵抗であったことだろう。『スラムダンク』の美しさは、このマンガへの過酷な抵抗と山王への果敢な挑戦がダブるところに集約されるだろう。ただ、あくまでも井上に許されていたのはマンガへの飽くなき抵抗という姿勢までで勝利ではなかった、だからこそ湘北が山王に奇跡のような勝利をおさめたときに連載を止めねばならなかったのだ。その点で、マンガは野球に愛されていると言わざるを得ない。愛に守られてスクスクと育ち、野球マンガに特有の素晴らしき楽天性でもって『スラムダンク』とはまたちがった豊かさを随所で花開かせている。そのことは近年ますます豊饒となった野球マンガのひとつ『おおきく振りかぶって』にもよく描かれている。すなわち、打者のほとんどが打ち上げてしまう三橋くんのまっすぐ、打者はボールの運動をじっさいに目で正確に追っているのではなく、その軌道を経験的な記号として捉えてバットを振っている、と。このことは野球を外からみる側にもいえる。投手が構えて、ボールが投げられる、打者が構えて、バットが振られる、この一連の運動を隈なく目で追っているひとなどいないはずなのだ。わたしたちが見ているのは、投手が構えて、次の瞬間には、構えていた打者がスイングし終えていて、マウンドの投手はまるでバレエでも踊るみたいな不可思議な格好になっている。この野球をみるときの呼吸はマンガの呼吸とぴったり合いはしないだろうか。コマからコマのあいだの欠落を敢えて埋めようとはしなくてもマンガは野球を経済的に語る術をはじめから心得ていた。つまり野球マンガは、あるいはバスケマンガのように、マンガそのものに抵抗する必要があらかじめなかった。この追い風を受けてマンガは野球という物語を幾重にも変奏して量産することができたのではないかと思うのだ。