今でこそ、もう珍しくはないのかもしれないが、高橋留美子といえば女性の漫画家としてイチ早く少年漫画の分野を開拓したひとでしょう。そんな性別の垣根を越えて活躍した漫画家が『らんま1/2』という水と湯をかぶるだけで男性女性の垣根をいとも簡単に越えてしまうマンガを描いている事実はたいへん興味深いことだと思います。 1/2という言葉のとおり、主人公の早乙女乱馬は男性とも女性ともつかない実に中途半端な存在として私たち読者の前に姿をあらわします。そして、まさしく、この中途半端な有様こそが高橋留美子という漫画家の特異な作家性だと思うのです。 あるいは地球を侵略しにやって来たはずなのに、そのまま居着いてしまった宇宙人は中途半端な存在ではなかったか(うる星やつら)。あるいはうら若い未亡人のアパート管理人と、大学浪人から就職浪人までしてしまうアパートの住人は、どちらとも中途半端な存在ではなかったか(めぞん一刻)。あるいは妖怪と人間とのあいだに生まれた半妖の少年は中途半端な存在ではなかったか(犬夜叉)。あるいはあの世でもこの世でもない境界に連れて行かれた過去をもつ少女と、人間と死神との混血の少年はどちらとも中途半端な存在ではなかったか(境界のRINNE)。 高橋留美子のマンガには、このようにして、どちらともつかない中途半端な存在がまず必ずといっていいほど見られるのです。それはあたかも女性漫画家の身でありながら少年漫画の分野に進出した作者自身のように。そして手塚治虫の『火の鳥』のように高橋留美子のライフワークであるように思われる『人魚シリーズ』、人魚とはまさしく中途半端な存在の代表格でしょう。古来よりどちらともつかない中途半端な存在としてよく知られる人魚は、高橋留美子の特異性にもっとも相応しいアイコンだったのではないでしょうか。
人魚っていいですよね。神秘的で妖艶で。漫画にはぴったりのキャラクターだと常々思っているのですが、留美子先生の描く人魚ってあんまり神聖な感じがないというか、良い意味で親近感のあるタイプなんです。そのせいか、人魚の村自体少しリアリティがあったりして、ワクワクしながら読むことができました。 「なりそこない」って怖いです。
カロリーの高いもの食べる時、金が無いのに高級なご飯食べる時「懺悔します…」と1人勝手に呟いて食べます
父がアニメを見てススめてくれたおもしろい作品です。
曲が頭からはなれない!ラムちゃんかわいい!
RINNE終わったの知りませんでした‼︎ キャラクターがみーんな魅力的で、老若男女楽しめる素晴らしい漫画でしたね。 りんねと桜はどうなったのか気になる……一刻も早く最終巻を読もうと思います・
1999年から2014年の間に描かれた高橋留美子の短編が収録されている。ほとんどが単行本初収録らしい(もう少し早くても良かったのでは笑) 表題作の「鏡が来た」は手のひらに鏡が現れると、人の悪意が見えるようになってそいつを始末してあげなきゃいけない世界の話で世にも奇妙な物語的なテイストだけど、「with CAT」とかは高橋留美子らしいドタバタラブコメで幅が広い。 個人的にはあだち充と共同で描いた週刊少年サンデー50周年記念企画に寄せた「マイスイートサンデー」が二人が漫画家になるまでとか、あだち充がデビューしたとき高橋留美子は何をしていたのか?が描かれてて面白かった。二人ともサンデーとの出会いは遅いっていう共通点があるらしい
犬夜叉の最終回と境界のRINNEの第1話のネームがさんでーうぇぶりで公開されてる 最終回っていうのがまたいい。読んでない人にはネタバレになってしまうが、連載終了から結構時間も空いたし、RINNEの1話目もあるからいいかなって思う。 ネームも漫画家と編集の打ち合わせ用って感じじゃなくて、結構綺麗だった見やすくてよかった https://www.sunday-webry.com/events/201703rumiko2oku/
キツネだと思うんだけどどうかな?
高橋留美子のドタバタラブコメは、みんながみんな自分ことしか考えていなくて欲望のままに行動しているところがすごい好き。
今でこそ、もう珍しくはないのかもしれないが、高橋留美子といえば女性の漫画家としてイチ早く少年漫画の分野を開拓したひとでしょう。そんな性別の垣根を越えて活躍した漫画家が『らんま1/2』という水と湯をかぶるだけで男性女性の垣根をいとも簡単に越えてしまうマンガを描いている事実はたいへん興味深いことだと思います。 1/2という言葉のとおり、主人公の早乙女乱馬は男性とも女性ともつかない実に中途半端な存在として私たち読者の前に姿をあらわします。そして、まさしく、この中途半端な有様こそが高橋留美子という漫画家の特異な作家性だと思うのです。 あるいは地球を侵略しにやって来たはずなのに、そのまま居着いてしまった宇宙人は中途半端な存在ではなかったか(うる星やつら)。あるいはうら若い未亡人のアパート管理人と、大学浪人から就職浪人までしてしまうアパートの住人は、どちらとも中途半端な存在ではなかったか(めぞん一刻)。あるいは妖怪と人間とのあいだに生まれた半妖の少年は中途半端な存在ではなかったか(犬夜叉)。あるいはあの世でもこの世でもない境界に連れて行かれた過去をもつ少女と、人間と死神との混血の少年はどちらとも中途半端な存在ではなかったか(境界のRINNE)。 高橋留美子のマンガには、このようにして、どちらともつかない中途半端な存在がまず必ずといっていいほど見られるのです。それはあたかも女性漫画家の身でありながら少年漫画の分野に進出した作者自身のように。そして手塚治虫の『火の鳥』のように高橋留美子のライフワークであるように思われる『人魚シリーズ』、人魚とはまさしく中途半端な存在の代表格でしょう。古来よりどちらともつかない中途半端な存在としてよく知られる人魚は、高橋留美子の特異性にもっとも相応しいアイコンだったのではないでしょうか。