ダンジョン飯

『ダンジョン飯』最終巻、丸ごと一冊哲学者だった

ダンジョン飯 九井諒子
mampuku
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自由にいきるとは何か 欲望とは何か 社会で暮らしていくとはどういうことか 善悪とは何か 食べるとはどういうことか 現実世界を遥かに凌ぐ多様な人種、生物種、民族、価値観が絡まり合いながら各々がそれぞれの“明日”と向き合っていく。 猫のように気ままに振る舞ってきた獣人のイヅツミはいざ自由な地上に放り出されたことで、本当の自由とは何かという問いに直面する。 そんな戸惑う彼女にマルシルは、嫌いな野菜も我慢して食べ、よく運動し、健康で長生きしてほしいと懇願する。すなわち、自由とは何かという深遠なる問いに対する一つの手がかりとして、「健康に生き続けること」こそが自由を叶える方法なのだと一つの“道”を提示したではなかろうか。 というか自由とか欲望とか語りだすと収集がつかなくなるので簡潔にまとめると、たとえファンタジー世界であろうと変な奴らばっかであろうと、飯を食うという普遍かつ不可避な事象の前ではその人なりの哲学や生き様が現れる。人は思考や欲求によって食事をし、食事によって作られた体、食事によって生きながらえた生がまた新たな思考や欲求を生むのだ。

乙女ゲームのヒロインで最強サバイバル@COMIC

定められた運命と、武力で戦うヒロイン

乙女ゲームのヒロインで最強サバイバル@COMIC ひたきゆう わかさこばと 春の日びより
ゆゆゆ
ゆゆゆ

あなた、主人公なのよ! 運命に流されておけば、これまでの苦労もかき消えるような処遇になるかもなのよ! 乙女ゲームの主人公なんだから!! でも主人公・アーリシアは止まらない。 両親の不遇の死、自身の置かれた環境、すべてが乙女ゲームとやらの設定のためと知ったから。 守られるだけでもなく、ゲーム内登場キャラクターを云々するでなく、舞台の前段時点で、バグのように大荒れ。 生きるためにドンドコドンドコ、強さを求めていく。 チート持たぬ少女は生き抜くために強くなる。 原作で、主人公の強さは真面目に鍛えた結果でチートは持っていないと書かれていたので、ほんと恨みはこわいなと思った。 まだ序盤なのに「その年齢の割には強い」と、強い人たちから太鼓判を押されているほどに、強くなっている。 この子には、平和な未来があったろうに。 いや、そうなるための前提がひどくて、その最中にブチ切れたんだった。 そして、転生者が現れても、「僕以外全員転生者かよ」と違って皆、悲壮感が強い。実は転生してしまったら、本当はそういうものなのかもしれない。 そもそも、この世界にはチートというものがないのかもしれない。 まだ途中なので、どのような結末になるのか、想像しきれない。