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水野 英子(1939年生)は下関市出身であり,日本の女性漫画家の草分け的存在です。1950年代の少女漫画は月刊誌のみであり,多くの男性漫画家が少女誌と少年誌を掛け持ちで執筆していました。石森章太郎(1938年生),赤塚不二夫(1935年生),ちばてつや(1939年生),松本零士(1939年生)も少女誌で執筆しています。
この時期の女性作家といえばわたなべまさこ(1929年),花村えいこ(1934年生),細川千栄子(1935年生),牧美也子(1935年生),木内千鶴子(1938年生)とごく少数でした。
作品の内容もギャグや生活ドラマを扱う短篇が主流でした。そのような少女漫画の世界に大きな変化をもたらしたのは手塚治虫(1928年生)の「リボンの騎士」です。少女クラブで1953年1月号から1956年1月号にかけて連載されたこの作品は少女漫画に新しい作品世界と長編ストーリーをもちこんだ画期的なものでした。
これは手塚が少年漫画の世界で行ったのと同じインパクトをもっていました。「リボンの騎士」の登場により,少女漫画の世界は新しい時代を迎えることになります。当時,中学生であった水野英子はそれまでのまんがに欠けていた物語の要素(具体的には物語性と恋愛ロマンス)に圧倒されたと語っています。
その水野が少女漫画界における手塚の後継者となっていきます。水野は手塚より10年後の世代であり,永島慎二(1937年),石森章太郎(1938年生),ちばてつや,鈴原研一郎,水島新司,矢口高雄(いずれも1939年生)と同世代ということになります。
水野は小学生の頃に手塚の作品に感銘を受け,漫画家を志します。中学生の頃から「漫画少年」に投稿を続けており,入賞することはありませんでしたが,少女クラブの編集者であった丸山が原稿を見て手塚の推薦もあり,水野に原稿を依頼しています。
このとき水野は15歳,中学を卒業して下関の水産会社に就職を決めており,しばらくは会社員と漫画家の二重生活となっていました。この生活は2年ほど続き,1957年12月には初の長編「銀の花びら」(原作は緑川圭子)の連載が始まっています。
また,石森章太郎,赤塚不二夫と合作で「U・マイア」のペンネームでいくつかの作品を発表しています。こうなると下関に住んでいては不便ですので上京することになります。18歳の水野は丸山に連れられて「トキワ荘」にやってきます。それは1958年3月のことでした。
手塚治虫が「トキワ荘」に引っ越したのは1953年のことであり,それを追うように下記のような若手の漫画家が「トキワ荘」に集まり,さながら「マンガ荘」になっていました。水野がやって来た時にはすでに手塚は退室(1954年10月)しています。
・寺田ヒロオ(1931年生,1953年12月から1957年6月まで居住)
・鈴木真一(1933年生,1955年9月から1956年6月まで居住)
・森安なおや(1934年生,1956年2月から1956年末まで居住)
・横田徳男(生年データなし,1958年から1961年まで居住)
・水野英子(1939年生,1958年の3月から10月まで居住)
・藤子不二雄A(1934年生,安孫子素雄,1954年から1961年まで居住)
・藤子・F・不二雄(1933年生,藤本弘,1954年から1961年まで居住)
・赤塚不二夫(1935年生,1956年5月から1961年10月まで居住)
・石森章太郎(1938年生,1956年5月から1961年末まで居住)
トキワ荘に居住している間は自分の作品の執筆や「U・マイア」名義の合作以外に,石森のアシスタント的な仕事をすることも多かったようです。水野本人は石森の作画・表現技法に多大な影響を受け,自分の画力が飛躍的に向上したと語っています。
トキワ荘に入居するには下記のような基準があり,厳格な事前審査が行われていました。
●「漫画つうしんぼ」の中で優秀な成績を収めている
●協調性がある
●アシスタントが務り,穴埋め原稿が描ける程度の技量に達している
●本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っている
「漫画つうしんぼ」は見たことがありますが,本物の通信簿だったんですね。「寺田ヒロオ」が通信簿を担当しており,毎月,「漫画少年」に投稿されていたいうのですから,これは厳しいものだったんですね。
水野の「トキワ荘」生活は7ヶ月で終わり,家庭の事情でいったん下関に戻り,再度,上京して「トキワ荘」にバス1本で行けるところに下宿し,「通い組」となります。つのだじろう(1936年生)も「通い組」でした。
トキワ荘に居住あるいは通っていた若手漫画家にとっては映画は貴重な情報源であり,最大の娯楽でした。水野も入居3日目に石森や赤塚に連れられて「十戒」のロードショーを見に行き,感激しています。当時は漫画制作に必要な資料が簡単に手に入りませんので,映画における歴史考証や登場人物の服装などは貴重な資料であり,動画としての動きは漫画の表現技法にも生かすことができました。
また,少女漫画の題材として欧米のファンタジーを取り入れるようになっていきます。手塚,石森,水野と続く少女漫画の系譜において,欧米を舞台にする作品が多いのはこの影響によるものでしょう。水野はその系譜において少女漫画に物語性とファンタジー,ロマンスを取り込んだ作品を次々と発表して,少女漫画の新しい地平を切り開いていきます。