あらすじ

1965年に行われた「第2回鈴鹿レースミーティング」で、周囲に圧倒的な差をつけ優勝をはたした浮谷東次郎。その後、日本レース界の頂点を決める「全日本自動車クラブ選手権」にて、長年の友人でありライバルでもある生沢と対戦することになる。悪天候にも関わらず全国からファンが押し寄せ、決戦の日を迎えた2人。雨の中、運転に悪戦苦闘する東次郎の車に、生沢の車が突っ込み、一時は走行不可能と思われるほどダメージを負う。しかし気力により必死の追い上げを見せた東次郎は、トップの生沢を抜き奇跡の大逆転勝利をはたす。この勝負の後、世間からの注目度は一気に上がり、当時23歳の東次郎はカーレース界からも将来が期待されていた。全てが順調に進んでいたそんな最中、思いがけない事故が彼を襲う…… 後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!
栄光なき天才たち1上 東京五輪の長距離走者――裸足の王者アベベ・ビギラと忍耐の男、円谷幸吉

敗戦の屈辱から約20年――1964年の東京五輪は、当時の日本人達にとって、単なるスポーツの祭典以上の意味を持っていた。もはや戦後ではない。惨めな負け犬ではない。高度経済成長の波に乗り、生まれ変わった「経済大国日本」の姿を世界に誇示するまたとない機会であったのだ。そんな東京五輪を遡ること4年前、ローマ五輪。かつての陸上王国だったはずの日本が、総ての陸上競技に入賞ゼロという絶望に打ちひしがれていた頃、陸上界には新たな巨星が誕生する。ヒーローの名は、ハダシの王者、アべべ・ビギラ。一介の無名兵士だったはずの彼は、最終日のマラソン競技に世界新記録で優勝すると、一夜にして、祖国、エチオピアの英雄となったのだった。――そして、また、ローマから遠く離れた地、日本でも、後に東京五輪で王者アべべと優勝争いをすることとなるニューヒーローの芽吹きが…… 後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち1下 アベベ・ビギラ 円谷幸吉~父上様母上様 三日とろろ美味しうございました――頂点に立つ者の重圧

一度輝かしい実績を達成してしまった者は、もう、その実績を自ら上回り続けなければ、世間に「落ちぶれた」と見なされてしまう。しかし、その実績が輝かしいものであればあるほど、上回ることはより困難に―― 1964年、東海道新幹線開通、首都高速道路完成。戦後最大のスペクタクルの中、東京五輪は始まる。一万メートル競技に六位入賞を果たした円谷は、最終日、国家の威信をかけたマラソン競技でも、デッド・ヒートの末、三位でのゴール・イン! 不遇に喘いでいた日本陸上界戦後初めて、競技場に日の丸を飾る快挙を果たし、国家総出の一大イベントの終幕を飾ったのであった。賞賛の嵐の中、次のメキシコ五輪では、王者アべべの打倒を宣言する円谷。だが、持病の椎間板ヘルニアは長年の過度な練習により身体を着実に蝕んでおり、また、一躍日本の英雄となった五輪後の多忙な生活は練習不足を引き起こす。円谷の走りは、膨れ上がった大衆の期待を裏切り続けるものとなっていた…… 後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち2上 デビッド・W・グリフィス マリリン・モンロー――時代に忘れられた「映画の父」 栄華と凋落

旅回りの役者だったグリフィスの映画界でのキャリアは、エンドウィン・ポーター監督のもとでの役者業から始まる。しかし、制作側を志望していたグリフィスは、なかなか自分の脚本が採用されないことに苛立ち、ライバル会社バイオグラフ社に移籍。そこで、その後も彼の右腕となり続けるカメラマン、ビリー・ビッツァと出逢うのだった。単なる一零細企業だったバイオグラフ社は、グリフィスの活躍によって、全世界から注目されるようになるが、職人的こだわりを持ち、フィルムを何本も使い製作費のかかるグリフィスの存在を、会社は快く思っておらず…… 芸術か、興業か――? 2巻上では、モンタージュ、クロスカッティング、クローズアップなど、現在に連なる様々な映画の文法を生み出した、「映画の父」デビット・W・グリフィスの生涯を辿る。後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち2下 デビッド・W・グリフィス マリリン・モンロー――スクリーンに活きスクリーンに殺された悲劇の女優

ハリウッドがつくりあげた最大のスター、マリリン・モンロー。彼女の名はみな知っているけれど、彼女が何者であったのか、誰も知らない――。マリリン・モンロー、本名ノーマ・ジーン。彼女の幼少期は、父親不明、祖母と母が精神病院に入院、里親を転々とし孤児院に預けられるなど、身寄りのない孤独なものだったが、兵器工場で働いていた時分に、偶然撮られた写真が、後にハリウッド大スターとなる彼女のキャリアをスタートさせることとなる。雑誌のカバーガールから始まり、風でスカートをわざとめくり上げるあまりにも有名なワンシーンをもつ映画、「七年目の浮気」で“セックス・シンボル”としての地位を確かにさせた以降も、マリリン・モンローの人気はうなぎ上りの一方であった。しかし、世界に名を轟かすほどの大人気の一方で、モンローは、「頭が空っぽのグラマー女優」という世間のレッテルに反発、ハリウッドを飛び出してニューヨークへと渡る。演劇学校で一年にわたる猛勉強の末、“マリリンはついに女優となった”との評価を受ける「バス停留所」などの作品に出演するも、相変わらずアカデミー賞からはことごとく無視をされ、さらに追い打ちをかけるように、彼女を襲う、流産、離婚という悲劇。世界のモンローという耐えざるプレッシャーと孤独は彼女の心を蝕み…… 後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち3上 スウェン・ヘディン 澤村栄治――戦後欧州のタブー 20世紀最大の探検家

地球上最後の「未開の地」を切り拓いた20世紀最大の探検家は、なぜ歴史から消えたのか? 1865年、スウェーデンで生まれた地理学者スウェン・ヘディンは、当時まだ地理学的に未開の土地であったシルク・ロード周辺に目をつけ“地図”を作成しようと試みる。さまざまな困難を乗り越え、楼蘭廃墟の発掘、“さまよえる湖”ロブ・ノールの謎の解明、新山脈トランス・ヒマラヤの発見といった「20世紀最高の地理学的業績」を残したヘディンは、偉大な探検家として名声をほしいままにするが……。後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち3下 スウェン・ヘディン 澤村栄治~背番号14は巨人の永久欠番――悲劇の時代に灯りをともした大投手

日本野球史上最高の投手・澤村栄治。左足を高々と上げるピッチングフォームから放たれる速球は、時速160キロを超えたともいわれ、1934年の日米野球では、ベーブ・ルースを擁する「世界最強のチーム」大リーグ選抜の打者から次々と三振を奪った。しかし日本が戦争に突入すると、澤村は何度も軍隊に召集され、投手の生命線である肩を壊してしまう。兵役から戻ると、すでに体はボロボロになっていたが、彼は歯を食いしばってボールを投げ続けた――プロ野球のために。後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち4上 川島雄三 島田清次郎――~さよならだけが人生だ 早すぎた喜劇作家

日本映画界の“幻の巨匠”川島雄三。松竹で二本立て興行の添えもの作品ばかりを任され「器用貧乏作家」のレッテルを貼られていた彼は、日活に移ると『愛のお荷物』『洲崎パラダイス・赤信号』『幕末太陽伝』といった作品を次々と世に送り出し、安易なヒューマニズムが蔓延する戦後の日本映画界に一石を投じた。しかし、川島の描く乾いたユーモアや哀愁は一部の人々を除いて評価されず、自身の肉体的コンプレックスも絡んで、より一層、物事を斜に構えた作品を連発するようになり……。後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち4下 川島雄三 島田清次郎――地に墜ちた時代の寵児 ねじ曲げられた日本近代文学史

時代の寵児は、なぜ日本近代文学史から抹殺されたのか? 20歳の時に書いた『地上』によってベストセラー作家の仲間入りを果たした島田清次郎だったが、度を超えた大言壮語や奔放な女遊び、そして若くして成功を収めたことへの嫉妬から文壇に忌み嫌われ、次第に孤立していく。自分を理解しない周囲への反発もあり、ますますエスカレートしていく傲慢な振る舞いが、作家人生を左右する大事件を引き起こしてしまい……。後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち5-1上 浮谷東次郎――不屈の天才レーサーが走り抜けた短かすぎる青春1

千葉県の名家に生まれた浮谷東次郎は、15歳になった1957年の夏、愛車のクライドラーにまたがり、東京―大阪を往復する1,500キロの一人旅に出発した。まだ道路が十分に整備されていない時代、50ccのオートバイで長旅に出るのは無謀だったが、東次郎はさまざまなトラブルにもめげず、強い意志をもって旅を続けていく……。後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち5-1下 浮谷東次郎――不屈の天才レーサーが走り抜けた短かすぎる青春2

1960年、ニューヨーク行きの夢を叶えた浮谷東次郎は、早速持ち前の明るさを発揮し、学校でも一目置かれる存在になっていた。しかし、移民局は東次郎の留学生ビザの発行を一向に許可せず、家計の苦しいホストファミリーから徐々に疎まれるようになる。両親に頼りたくない東次郎は、学資を稼ぐために仕事を探すが、学歴を理由に断られる日々が続き、「どうせあたるんなら世界一の会社にしてやる!」と大手雑誌出版社のタイム&ライフに飛び込んで……。後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち6-2上 浮谷東次郎――不屈の天才レーサーが走り抜けた短かすぎる青春3

高校を中退したのち単身でアメリカに渡り、帰国後はトヨタの専属ドライバーとなった破天荒レーサー、浮谷東次郎。1964年、当時まだ珍しかった本格カーレース「第2回日本グランプリT-Vクラス」に出場することになる。しかし彼のために用意されていたのは、性能の低さが問題視されていたトヨタ・コロナだった。圧倒的に不利と思われていた状況の中、持ち前の腕で同車種では最速の11位でゴールし、華々しくデビュー戦を飾ることになる。こうして東次郎は、レーサーとしての頭角を表していくのだった。翌1965年、日本レース界の頂点を決める一大イベントの序盤戦「第2回鈴鹿レースミーティング」が開催された。東次郎はサーキット場で出会った仲間の林が改良を加えた車、“カラス”で出場する。観衆の注目を一挙に集め、オンボロな見た目からは想像できないようなスピードで、次々にライバルを抜かしていく。彼の快進撃はここから始まろうとしていた…… 後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち6-2下 浮谷東次郎――不屈の天才レーサーが走り抜けた短かすぎる青春4

1965年に行われた「第2回鈴鹿レースミーティング」で、周囲に圧倒的な差をつけ優勝をはたした浮谷東次郎。その後、日本レース界の頂点を決める「全日本自動車クラブ選手権」にて、長年の友人でありライバルでもある生沢と対戦することになる。悪天候にも関わらず全国からファンが押し寄せ、決戦の日を迎えた2人。雨の中、運転に悪戦苦闘する東次郎の車に、生沢の車が突っ込み、一時は走行不可能と思われるほどダメージを負う。しかし気力により必死の追い上げを見せた東次郎は、トップの生沢を抜き奇跡の大逆転勝利をはたす。この勝負の後、世間からの注目度は一気に上がり、当時23歳の東次郎はカーレース界からも将来が期待されていた。全てが順調に進んでいたそんな最中、思いがけない事故が彼を襲う…… 後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち7上 佐藤次郎――死を以て国に謝罪した日本人最強のテニスプレイヤー1

日本にテニスが伝来して以来最高の選手と言われる天才テニスプレイヤー、佐藤次郎。“ブルドッグ佐藤”との愛称で親しまれ、世界を舞台に活躍した戦前の名プレイヤーは、あまりにも悲痛な運命をたどる―― 日本テニス黄金時代といわれた1930年代当時、テニスは個人のものではなく国家のものであった。国や母校・早稲田大学からの期待に応えようと躍進する佐藤は、“個人”として出場するウィンブルドン大会や全仏選手権では好成績を残すが、“国別対抗戦”のデビス杯では思うような結果が残せずにいた。日に日に国からの期待は高まり、強すぎる責任感からか、次第に体調を崩していく佐藤。国という大きすぎるプレッシャーが、若き天才プレイヤーの心を追い詰め…… 後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!

栄光なき天才たち7下 佐藤次郎――死を以て国に謝罪した日本人最強のテニスプレイヤー2

昭和8年、世界各地を転戦したのち2年ぶりに母国に帰国した佐藤を待っていたのは、国からの更なる期待だった。寄付金を募るため、彼を利用とする庭球協会。疲弊している佐藤に追い打ちをかけるかのように、国や協会からのプレッシャーは日に日に強まっていく。同年、デビス杯では予選で敗北したものの、全仏選手権やウィンブルドン選手権で躍進をみせた佐藤は、テニスプレイヤーとして絶頂期を迎えた。テニス界の名花と呼ばれていた岡田早苗さんとの婚約も決まったが、国からの重圧が負担となり、関西へ逃げようと試みる。しかしどうしても佐藤の存在が必要な庭球連盟は、無理矢理にでも彼を翌年のデビス杯に出場させようとする。そのプレッシャーから、肉体的・精神的な疲労が積もっていく佐藤。重荷に耐えられなくなった彼は遂に…… 後世に残る偉業を成し遂げながらも、不遇の人生を送った“栄光なき”天才たち。彼らの人生は、如何なるものだったのだろうか――森田信吾による異色の偉人伝!