戦後75年が経ち、あの戦争を知る世代が鬼籍に入ることも珍しくなくなってきた現在、その記憶を後世に伝えるべく関係各位の協力を得て『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』を電子化いたします。冬は零下15~20度だったという奉天で7歳まで過ごした森田拳次氏の当時の体験と、日本へ戻るまでの間に体験した出来事を綴った『中国からの引揚げ 少年たちの記憶~森田拳次編~』。「決して母さんの手を放すんじゃないよ。もし放したら、二度と会えなくなってしまうんだからね」恐ろしいほど真剣な母の表情だった。当時6歳だった私の幼心にも、異常な危機感はひしひしと伝わり、私は必死に母の手にすがりついていた。(『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』「はじめに」より) ※本書は『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』(中国引揚げ漫画家の会編/ミナトレナトス刊)をもとに、参加した漫画家別に1冊にまとめたものです。
あの戦争を知る世代が鬼籍に入ることも珍しくなくなってきた現在、その記憶を後世に伝えるべく関係各位の協力を得て『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』を電子化いたします。昭和12年(1937年)長崎県佐世保市で生まれ1歳で上海に、その後、終戦前の昭和19年(1944年)佐世保に帰りました。その間、7年間を上海で過ごしたことになります。魯迅に憧れ、海寧路で「上海書店」を運営していた父とともに過ごした少年時代を綴った『中国からの引揚げ 少年たちの記憶~高井研一郎編~』。※本書は『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』(中国引揚げ漫画家の会編/ミナトレナトス刊)をもとに、参加した漫画家別に1冊にまとめたものです。
あの戦争を知る世代が鬼籍に入ることも珍しくなくなってきた現在、その記憶を後世に伝えるべく関係各位の協力を得て『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』を電子化いたします。昭和15年(1940年)大連で生まれた山内紀之(ペンネーム:山内ジョージ)。父が警察官を務めていたこともあり、2階建ての官舎に住んでいたといいます。大酒飲みだった父は、春になれば家族や友人を呼んで花見を行っていました。終戦を大陸で迎え、引き揚げ体験を綴った『中国からの引揚げ 少年たちの記憶~山内ジョージ編~』。※本書は『中国からの引揚げ 少年たちの記憶』(中国引揚げ漫画家の会編/ミナトレナトス刊)をもとに、参加した漫画家別に1冊にまとめたものです。