あらすじ

大学へ行かずにコンビニでアルバイトをしているミコは、幼少期に見た光景が頭から離れずにいた。ある日、バイト先の常連客からとあるクラブへの参加を持ちかけられ…… 本当に好きな人ってどんな人なのか。欲情するってどういうことなのか。あの光景から自分を解き放つことができるのか。松尾スズキ、感服!!!「もっと欲情しろ、深く生きてみろ。」 セックスの根源に肉薄する、いがらしみきお渾身の大作! ★購入者プレゼントキャンペーン情報掲載★
あなたのアソコを見せてください
大学へ行かずにコンビニでアルバイトをしているミコは、幼少期に見た光景が頭から離れずにいた。ある日、バイト先の常連客からとあるクラブへの参加を持ちかけられ…… 本当に好きな人ってどんな人なのか。欲情するってどういうことなのか。あの光景から自分を解き放つことができるのか。松尾スズキ、感服!!!「もっと欲情しろ、深く生きてみろ。」 セックスの根源に肉薄する、いがらしみきお渾身の大作! ★購入者プレゼントキャンペーン情報掲載★
ぼのぼの人生相談 「自分をしまっちゃうのをやめないとさ」

ぼのぼの人生相談 「自分をしまっちゃうのをやめないとさ」

「自分の顔が嫌いです」「今の仕事が天職なのか分かりません」「好きになった人が宗教を信仰していました」「子どもを持たないのは悪いことですか?」「家に幽霊が居るかもしれません」家族・恋愛・友人・仕事・子育てなどなど実際に寄せられたお悩みに、ぼのぼのたちが一生懸命考えて答えた人生相談漫画の第2弾!
お猫見

お猫見

「ネコは見るもの愛でるもの」『ぼのぼの』いがらしみきおが贈る、笑いあり涙あり流血ありの実録猫エッセイコミック♪描き下ろし漫画・コラムに加えコミックス未収録作品3篇収録。LOVEと狂気とモフモフが渦巻く、いがらしみきおワールドをたっぷりご堪能ください!〈収録内容〉『お猫見』『実録帰宅の人』『山からくん』『時々遊びに来るぼのぼの』連載時のカラーページ全収録!!!★単行本カバー下画像収録★
ぼのぼの人生相談 ひととくらべちゃダメなのさ

ぼのぼの人生相談 ひととくらべちゃダメなのさ

神回答・珍回答続々!息苦しい生活にヘトヘトになったらこの1冊。「絶対的な死の恐怖にどう付き合っていけばよいでしょうか?」「どうすれば女の子から男の子になれますか?」「やらないといけないけどやりたくない時はどうしてる?」家族・恋愛・友人・仕事・子育てなどなど、実際に寄せられた38のお悩みに森のみんなが一生懸命考えて答えた漫画でぃす!掲載時のカラーページ全収録!!!★単行本カバー下画像収録★
お人形の家 寿

お人形の家 寿

いがらしみきおの家はお人形の家だった!! 『ぼのぼの』『忍ペンまん丸』『羊の木』『かむろば村へ』『誰でもないところからの眺め』など、数々の名作を描いてきた漫画家いがらしみきお。その最新作はお人形! お人形は長年連れ添う妻が収集してきた実際にあるものをキャラクター化。サバを読んで50体(妻談)というお人形たちから、選りすぐりの子たちが登場。いがらし家を舞台に、家族の近況をネタにお人形たちが駆け巡ります。 画業40年、いがらしみきおの到達点。「人形×ノンフィクション×しゃべくり」の世界をどうぞお楽しみください。■内容『お人形の家 寿』(全26話) ペンギンの自我を描いた意欲作 『動物園のボブ』(全7話) <特別収録>史上初! いがらし夫妻対談 本邦初公開 いがらし家間取り図 描き下ろし『お人形の家 寿』『動物園のボブ』後日譚
人間一生図巻

人間一生図巻

「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終るだろう」 レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」の最終章に出てくる有名な言葉です。 それでもヒトはこの世に生まれ、生き、病み、老い、死ぬ。 それでもヒトそれぞれの生きざまは胸を打つ。 巨匠いがらしみきおが贈る入魂の人生絵巻!
ぼのちゃんとしまっちゃうおじさん

ぼのちゃんとしまっちゃうおじさん

「さあ~どんどんしまっちゃうからね~」のセリフでおなじみ、しまっちゃうおじさんが登場~!* * * * * * * *ある日、ひとりでお留守番をしていたぼのちゃんの前にあらわれた謎の存在、しまっちゃうおじさん。しまっちゃうおじさんは、ぼのちゃんにしか見えなくてぼのちゃんとしかお話ができません。しまっちゃうおじさんはどこから来て、どうしてぼのちゃんにしか見えないのでしょうか…?ぼのぼのがはじめて、しまっちゃうおじさんと出会いしまわれてしまう日のお話。「さぁ~読まない子はしまっちゃうからね~」* * * * * * * *ぼのちゃんシリーズ完結!オールフルカラー 描き下ろしポエム収録。★単行本カバー下画像収録★
ふつうのきもち

ふつうのきもち

「少年の心象風景を描こうと思ったんですが、こんなにむずかしいとは思いませんでした。今までで一番苦しんだ作品かもしれません」とは著者の談。webアクション連載中にコロナ禍となり、主人公ヒロくんもその渦中に。たいせつな「ふつうのこと」がとても心に沁みる巨匠いがらしみきおの意欲作です。
いぬぼの

いぬぼの

ぼのぼのが・・・犬!?犬はほえるもの、うるさいもの!みんなで走るよ、走ると元気がでるよ!シッポはおもしろいよ、うれしいとたくさん動くよ!でもどうしてだろ? 海がなつかしいのは…?もしも、ぼのぼのが犬に生まれたら――犬になったぼのぼのたちの、わんダフル・パラレルストーリー♪掲載時のカラーページ全収録!!!掲載時のカラーページ全収録!!!★単行本カバー下画像収録★
ぼのちゃん~ボクに兄弟ができたよ~

ぼのちゃん~ボクに兄弟ができたよ~

数日間だけ兄弟になることになった、ぼのちゃん・シマリスちゃん・アライグマちゃん。ぼのちゃんのおとうさんは3人をどう育てたらいいか悩んでいたところ「自分たちだけで家を作らせてみなさい」と、シマリスちゃんのおとうさんからアドバイスを受ける。ぼのちゃんたちはお家を作ることができるのでしょうか・・・?お家作りはじめ~!親子で癒され楽しめるぼのちゃんシリーズ最新刊。描き下ろしポエム収録!★単行本カバー下画像収録★
あなたのアソコを見せてください
みることと、みられることと
あなたのアソコを見せてください いがらしみきお
影絵が趣味
影絵が趣味
2010年代という時代にひと区切りがついて、2020年代という新しい時代がはじまりましたが、この新時代を迎えるにあたって、ひとつ思ったことがあります。「2020年代は、なにかをつくるひとよりも、なにかをきちんとみることのできるひとを培っていかないと、そろそろまずいのではないかという気がしている」ということです。 技術が発達して、ものづくりへの敷居が下がって(発信することもふくめ)、ひと昔まえよりもかんたんにみてもらえるようになりました。それじたいは悪いことではないと思います。ただし、それと並行して、この供給過多の状態が、みることの株を暴落させてはいないかと不安に思うのです。‬ ‪つくることは、まあ、こういってしまえば(程度に差はあるにせよ)誰にでもできます。つくって、はい、できました、とすれば、あとは声をデカくしてみてもらえばいいだけの話です。それに比べると、みるというのは、けっして誰にでもできることではないと思います。しかも、技術が発達して、ものづくりへの敷居が下がっても、みることの困難さというのは依然としてまったく変わっていないと思うのです。‬ そんなことを思っていた矢先の、2010年代最後の年の瀬に「あなたのアソコを見せてください」なんていう、ただひたすらみることに焦点を当てたマンガが、しかも、いがらしみきおの手で描かれていたのには驚いたと同時に嬉しかったですね。なにしろ、ファンなので。このマンガ的にいうなれば、欲情の対象とでもいえましょうか。まあ、いがらしみきおさんとセックスはしたくないですけども。 欲情には少なくとも2種類あると思います。ひとつは生殖、すなわちセックスに結びつく欲情。もうひとつは純粋に対象を羨望するほうの欲情。いがらしみきおさんとセックスはしたくないけれど羨望の的とというのは、おそらく後者になると思います。火とアソコが結びついてしまったミコちゃんは、どちらかといえば前者。ロリくんは彼の言うことを信じるなら、後者ということになると思います。それでは、本当に惚れた相手とはセックスできなくなってしまうピンさんはどうなのか。ピンさんの女性の衣服にまつわるほうは前者かもしれませんが、セックスできなくなってしまう場合はどうなんでしょう。いがらしみきおとセックスはしたくない、とかいうのではなく、したい欲情はあるのに、できなくなってしまうんです。 まあ、とにかく欲情には色々な種類があるかと思います。でも、どの欲情にもひとつだけ共通して言えることがある。それは、欲情には本来的に、欲情される相手がいないということです。欲情それ自体はあくまでもこちらの側だけで起こっていることで、欲情される相手がいる場合というのは、単に欲情するというのを超えて相手に働きかけているんです(A:わたしはあなたを欲しています。B:それは嬉しいです。)。なので、欲情というのはきわめて個人的な営みなんですね。孤独な営みといってもいいかもしれません。 そうなんです。このマンガの登場人物はみんな孤独に欲情を実践している。なにしろ、彼らにおけるそれらは、誰かにみられて褒められるどころか、おぞましいと蔑まれる行為ばかりです。何の見返りもありはしない。それは自分"だけ"のもので、誰かが代わりにその渇望を満たしてくれるなんてことはありえないんです。 2020年代、ひとはますますみられることに慣れ、みられることに満足を憶えることになるでしょう。でも、それって、当たり前のことですが、みてくれるひとがいないとはじまりません。まあ、仮にみてくれるひとがいたとして、はたしてそれで本当に満足できるのか。おそらく、きっと、本当の意味でみられないことには満足しないと思うんです。じゃあ、本当の意味でみてくれるひと、欲情してくれるひと、羨望してくれるひととはいったいどういうひとなのか。あるいは、どうして本当に好きな相手とはセックスができないのか。そして、必ずしもお互いのことを見合っていないふたり(実にすれちがったセックスでしたね)が最後に笑い合えたのはどうしてなのか。そろそろ何か答えのようなものがみえてきそうではありませんか。