親愛なる贄たちへ

既視感はあるが意外に読ませる

親愛なる贄たちへ 八町智大
名無し

まずプラスやスクエア、増刊誌を含むジャンプの読み切りには、スタイリッシュな絵柄の系譜というのがあると勝手に思ってて、もちろん本作だけじゃなく、少し前の「檻の中のソリスト」だったり最近話題を呼んでいる「宇宙の卵」や今日発売のWJ44号に載ったばかりの「根暗闇蔵」など、挙げればきりがないよなー そんでこの読み切りも、西洋風スタイリッシュの系譜だと言っていい。ジャンルはダーク・ファンタジー、ストーリーは大まかに言うと世界観が前面に出て来るタイプで、生命を左右する過酷な状況のさなか、主人公は運命に翻弄されながらも大切な人を守るために行動し、世界の秘密にも触れたりする、まあ王道なあれだ。世界観はさておき、その画風に初期の進撃の巨人を思い出す向きも多そうだが、もう一つ、重要な影響を見てとるのは難しくないようにおもう。他でもない、藤本タツキだ 割と真面目な話なんだけど、そこを緩和させるかのようなシリアスな笑いがところどころに現れてくる。冒頭のセックスがどうこうというくだりは笑っちゃいけない場面なのに盛大に草が生えた、訴訟。この緊張と緩和、間の取り方など、まさにタツキ作品の特徴のそれをリスペクトしたように思えてならない。加えて、途中からファイアパンチのトガタっぽいキャラクターまで出てくるのですよ。 タツキチルドレンの鑑や・・・(適当) 世界観でも正直既視感はあった。巨人要素では進撃がそれだが、封建的な村が舞台であり、神への生贄が定期的に捧げられ、巨人が聳え立つ。お気づきでしょう、山下和美のランドっぽいぞと。影響受けてそうだぞと。 しかしじゃあこの読み切りが先行作のエピゴーネンにすぎないのかというとそうとも言い切れないのがまた興味深い。絵は、上手かは意見が分かれるところだろうが、丁寧に描かれているし、世界観、ストーリー、キャラクターにしても既視感や稚拙さがそこかしこに見え隠れするが、その奥に不透明な、何か芯のようなものが一本通ってる感じがして、不思議と読ませる。捻ったようでいて、よく考えると、実は行きて帰りし物語の王道には忠実に沿っているのが助けになっているのだろうか。 昔、インターネットには何の見返りもないのに発想が独特で、クールな漫画があきれるほどたくさん公開されていた、という趣旨のあとがきを以前書いたのは新都社出身の詩野うら先生だっただろうか。週刊少年ワロス、個人サイトにそれらの漫画は載っていた。たぶん、多くはいまもそのまま読める。そういう漫画たちを思い出させてくれたのが、本作の「不思議と読ませる」の正体かもしれない。 哲学者ロラン・バルトはかつて「テクストは引用の織物である」と有名な言葉を残した。ぼくらが「オリジナリティ」だと思っている発想も、実のところこれまで培われた歴史の上に成立しているのだ。バルトが語ったのは広義の文章全般についてだったけど、漫画にもそれは当てはまるのではないだろうか。つまり、どんな漫画であっても、ほぼ例外なく何かしらの先行作の影響下の元に成立している、と。 そうした先行作の影響から抜け出して、独自の何かを見つけられた時が、真の勝負どころなのかもしれないな。